うん、まあ大丈夫でしょ

 

「それでさあ……」


「へえ、そうなんだ」


 凪さんと教室までの帰路を辿る。行きとは打って変わって、気まずさを感じない。だが、凪さんの表情に陰りがあるような気がする。それに平然としているようにしか見えないが、コップから溢れそうな水みたいな危うさも感じた。


 なんとなくだけれど、凪さんは気丈に振る舞っているような、そんな気がする。


 何が凪さんをそうさせるのか聞き出したい。だが、触れないで欲しい雰囲気を醸し出していて、それを許してくれない。


 廊下を歩き、階段を上りきる。このままでは何も出来ず、教室にたどり着いてしまう。そんな正体不明の焦燥感に駆られた時、上から声が聞こえた。


「俺と付き合えよ」


「ごめんね」


 夏の声が聞こえて見上げる。手すりの隙間からは何も見えないけれど、声の通りから屋上前の踊り場にいるようだった。


「あれ、夏と……サッカー部の一年生の声?」


 凪さんの言葉で、思い出す。この声、たしか、前に夏に告った一年生の鈴木くんだ。一年生ながらにサッカー部のエースとして活躍している男の子である。


「いいの?」


「え、何が?」


「夏、告白されてるけど」


「うん、まあ大丈夫でしょ」


 夏は一人から何度も告白されることも多い。だからって慣れてるわけではないだろうけど、対処法くらいは身についているはずだ。下手な対応をとって逆上させたりすることはないだろう。


「……あはは。本当、信頼しているんだね」


 凪さんが寂しそうに笑った時、怒声が飛んだ。


「何でだよ!? あんなくだらないやつの、どこがいいんだよ!」


 その声は大きく、廊下にいた他の学生も声の方に顔を向けた。


「……もういいかな? 私、教室に帰りたいんだけど」


 夏の冷え切った声もそれなりに大きい。


 らしくない、と僕は思った。いつもの夏なら、適当にはぐらかして終わらせる。こんな切り捨てるような言い方を絶対しない。


「おい待てよ!!」


 怒号が聞こえてすぐ、大きな音が鳴った。


 ふっと体が動き、遅れて凪さんに断りを入れる。


「凪さん、ごめん。ちょっと行ってくるわ」


 階段を駆け上がる。屋上前の踊り場まで上り切ると、顔だけを僕に向けている夏と鈴木くんの姿があった。夏は壁に追い込まれ、鈴木くんは、逃さない、といったように片手を壁についている。いわゆる壁ドンの体勢であるが、夏が腰を落として怯えているところを見るに、キュンとさせることには失敗しているようだ。


「何だよ?」


 鈴木くんにはキッと睨まれ、夏には不安と恐怖に揺らいだ瞳を向けられる。


「その辺にしといてやってくれないかな?」


 笑ってそう言うと、鈴木くんは壁についていた手をどけ、体を僕に向ける。そしてそのまま僕に詰め寄ってきた。


「んだよ。もう彼氏づらかよ」


 目の前に立った鈴木くんからは見下ろされる。サッカー部で鍛え上げられた屈強な肉体を見て、歴代夏に振られた男の中でもなかなかの威圧感だ、と感じる。


「夏、あとで」


 僕は鈴木くん越しに夏に声をかけた。


「で、でも」


「大丈夫だから。面倒になるし、先生とかも呼ばないで」


 夏は少し留まっていたが、こくりと頷いて走り出した。


「おい。ふざけんな」


 鈴木くんが夏に腕を伸ばしたので、僕はその腕を掴む。すると、逆腕が伸びてきて拳が僕の顔に迫る。


 僕は拳を迎えるように顔を動かして額で受けた。いってえ……。流石サッカー部のエース、脚だけでなく腕の力も強い。だが、ほぼ距離がない所から繰り出されたパンチ。脳震盪とか怪我とかそんなレベルではない。


「日和っ!?」


 階段を少し降りた夏が足を止めて振り返った。


「あーいいから。またあとで」


 夏は泣きそうな顔で歯を食いしばっていた。


「下見てみ、夏。こんだけ騒ぎになるなら、先生もすぐくるはずだからさ」


 ざわめきが大きい。階段の下には人が集まり始めている。怒声が響いていたのだから、野次馬が集まってくるのは当然だった。


 夏は野次馬たちを確認して、もう一度僕に目を向ける。大丈夫というように頷くと、夏は階段を下り始めた。


 鈴木くんの顔を窺う。苦虫を噛み潰したような顔になっている。かっとなってやってしまっただけで、騒ぎを呼ぶとは想像できなかったのだろう。それに夏が手の届かないところに行ってしまった今、怒りのやりどころを失い、どうしていいかわからなくなっていることだろう。


 はあ、まいった。正直、鈴木くんにも情状酌量の余地がある。意中の人にあんな冷たいあしらわれ方をしたら、キレてしまっても仕方ない。


 落とし所を作ってやるかあ。昼休みも残り少ない、その上、先生が来るのも時間の問題。手早くやろう。


「なあ鈴木くん、人の目があるとまずい。屋上に行こう」


 そう言って、返事も待たずに屋上に出る。すると少しして、扉が閉まる音が背中に届いた。


 僕はついてきた鈴木くんに向き直る。なんとも言えない顔をしている。混乱の最中、つい提案を受けてしまった、そんな所だろう。


「夏の代わりに謝るよ。あの言い方はないと思う、本当にごめん」


 僕は、頭を下げた。


「な、なんだよ」


「申し訳ないんだけど、これで夏のことを許してあげてくれないかな?」


「……っざけんなよ」


「本当にごめん」


「何で俺じゃなくて! こんな、なよっちい奴なんだよ!」


 再び拳が飛んでくる。今度はそれなりの距離があるため、受けることなくスウェーで躱す。そのあとも殴りかかってきたが、余裕があったのでパリングでいなす。


 ああ、せっかく落とし所を作ったのに、と思いながら、十数秒くらい躱し続けていると、鈴木くんは止まった。


「なんなんだよ。俺が馬鹿みてえじゃねえかよ」


 そりゃそうなる。怒りをぶつけたのに、全ていなされたのだ。力士に挑む子供のような無力感を覚えただろう。


「鈴木くん。昔から僕はさ、幼なじみというだけで、今みたいに何度も喧嘩を売られてきた。今になってようやく自分の身を守れるようにはなったけど、散々に怪我してきた」


 何も言わない鈴木くんに諭すように語りかけ続ける。


「それがさ、彼氏になったらもっと増えると思う。それに君は耐えられる?」


 正直嘘だ。高校生にもなれば皆んな大人だ。鈴木くんみたいにカッとしない限り、手を出すような真似はしない。今回が異例なだけで、夏も苛立たせるようなことをしないから喧嘩にはならないだろう。だけど、こう言った方が収まりがいい。


 鈴木くんはしばらく黙って俯いていたが、ようやく顔を上げた。


「……先輩の強いとこに夏さんは惹かれたんすかね」


 んなわけないだろ。何で夏に喧嘩してきたことを話すんだよ。普通の精神の持ち主ならば、気遣わせたくないから、絶対に話さない。だけど、面倒くさいのでそういうことにしておく。


「多分ね」


 またも沈黙の時間が訪れる。鈴木くんは何かを言おうと、口を開けては閉じるを繰り返す。そしてようやく声を出したかと思えば頭を下げた。


「……すませんした。振られたことが辛くて、そんな時に冷たくあしらわれてカッとなっちゃって」


「いや、鈴木くんは悪くないよ。今のことはお互い忘れて、早く逃げよう。先生来たら面倒くさいし」


 僕はそう言って、先に屋上を出る。


 階段を降りて、何があったのか知りたい野次馬たちの質問をいなし、ぐったりしながら廊下を歩く。


 ようやく教室に入ると、入り口近くにいた夏が泣きそうな顔で駆け寄ってきた。


「日和、大丈夫だった!?」


「うん、まあ」


「……ごめん」


「しおらしい。こんな夏、二度と見れないかもしれないから、写真撮っていい?」


「……」


 僕の冗談に、夏はしばらくして笑った。


「今なら撮っていいよ! いつも通りの可愛い顔しか撮れないだろうけど!」


 いつもと変わらないバカなやりとり。だけどモヤつく。


 夏の顔は、何かを諦めたような、そんな笑顔だった。

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