06話.[これでいいかな]

「原田君……?」


 なんかしゃがみこんでいる人がいたから近づいてみたら原田君だった。

 こちらを見て「……橘さんか」と反応してくれたけど顔色が悪くて心配になる。


「保健室に行った方が……」

「いや……ちょっとあれだけどそこまでじゃないから」

「じゃあ帰ろうよ、残っていても調子悪くなるだけだろうし」


 荷物ぐらいなら代わりに持つことができる。

 原田君も頷いてくれたから帰ることになった。


「あ、確かこっちだったよね、微妙そうならお家まで付いていくけど」

「いや……申し訳ないからここでいいよ」

「む、なんか複雑だから付いていくね」


 なにもしてあげられないかもしれないけどこのまま帰るのはやっぱり嫌だ。

 寝られるまで側にいられたら少しは安心できるかもしれない。

 鍵のことを考えると行かない方がいいのかもしれないけどね。


「あ、ここだよ」

「そうなんだ? 結構近いんだね」

「うん、だからいいって言ったんだけど……」

「い、いいから入ろっ、このままだと余計に悪化しちゃうしっ」

「そうだね……」


 中に入ろうとして結局やめることにした。

 謝罪をして、荷物も渡して、無理やり笑みを浮かべて気まずさを誤魔化す。


「ごめんね……」

「謝る必要はないよ」

「うん、じゃあ明日――はちょっと難しいのかな……?」

「どうだろう……」

「そ、それじゃあこれでっ」


 恥ずかしい人間だ。

 慌てて去るぐらいなら最初からあそこで別れた方がよかった。


「橘さんっ」

「えっ、な、なに?」


 原田君のことだから責めてきたりはしなさそうだけど怖いな。

 自分が原因で本来治るところで治らなかったら……。


「……やっぱり少しだけいてくれないかな」

「あ、じゃあ……」

「うん、さっき橘さんが来てくれただけで少し楽になったからさ」


 お世辞が辛い。

 でも、長居していたらやっぱり駄目だから言うことを聞いてすぐに入った。

 それどころか座っているのもあれだろうからと寝てもらうことに。


「……本当はすぐに帰ろうとしたんだけどちょっと最悪な状態になってね」

「声をかけてよかったよ」

「うん、本当に助かったよ」


 私はちょっと校内をうろちょろしていただけだった。

 隆介君が帰ってくるのは早くても十九時過ぎだから時間つぶしをしたいのもあったのだ。

 でも、結果的にこうなったわけだから無駄ではなかったと思いたい。


「……いまさらだけど飲み物を用意しないと」

「いいよ、あ、飲みたいなら飲んでくればいいけど」

「じゃあ僕が飲みたいからということで」

「そっか……」


 調子が悪いときに敢えて動きたくなるのって私だけではないらしい。

 いや……そもそも私がここに来ていなければささっと飲んでゆっくり寝られたはずなんだ。

 まあ……最終的に誘ってきたのは彼だけど、うーん……。


「はい」

「ありがとう」


 ……いまさらだけど男の子の部屋になんて初めて入った。

 普通に綺麗で落ち着く空間だけど落ち着かなくなり始める。


「い、いるから少し寝た方がいいよ」

「……それなら頭を撫でてくれないかな」

「原田君の頭を撫でればいいの? いいよ」


 今度満里にするためにも練習しておく必要がある。

 寝るために当然目も閉じてくれているわけだから気恥ずかしさを感じることもないだろう。


「……今日はありがとう」

「ううん、いつもお世話になっているから」


 優しくゆっくりと同じ動作を繰り返した。

 彼が寝息を立て始めて時間が結構経過し始めると余計に落ち着かなくなった。

 何度も言うけど異性の子のお家に遅くまでいたことなんてないからだ。

 だから寝ているところを悪いけど十九時ぐらいには起こさせてもらった。


「……もう帰らないとだよね、送っていくよ」

「大丈夫だよ、それより明日もちゃんと来てね」

「……うん、ありがとう」


 電気を点けてくれたけど眩しくてうっとなった。

 それでもちゃんと荷物を忘れていないかを確認してから外へ。


「気をつけて」

「うん、また明日ね」


 ちょっと怖かったから急いで帰った。

 だけど、


「連絡ぐらいしろっ」


 と、怒られてしまい結果的に怖い思いをすることになった。

 教師である隆介君より遅いうえに、連絡すらしていなかったらそうなるかとは思いつつも、こんな怖い感じなのは初めてだったから涙目になった。

 涙目になったから部屋にすぐに移動して引きこもった。

 少し不貞腐れている面もあったからそのまま朝まで寝たのだった。




「おはよ」

「うん、おはよう」


 朝に急いでお風呂に入ってきたから臭いの問題は回避できたと思う。

 ただ、そのかわりになにも食べていないからお腹が極端に減っている状態だった。


「そういえば昨日はあの後、すぐに帰ったの?」

「ううん、原田君のお家に行ってたよ」

「なんで?」

「調子が悪いみたいだったから少し側にいてあげたいなって」

「ふーん」


 意地になった面が大きかった。

 間違いなく空気を読んで「いてくれないかな」と言ってくれていた。

 病人の原田君に気を使わせたわけなんだから怒られても仕方がない、のかもしれない。


「あんたは優しいのね」

「それは満里や原田君の方だよ、いつもはお世話になっているから少しだけでも返したかっただけだよ」

「友達が誰かに優しくできる人間でよかったわ」


 うーん、これって本当にそう思ってくれているのかな?

 でも、嫉妬しているの? なんて聞いたら絶対に怒られるだろうし……。


「でもね、抱きしめさせたりはするんじゃないわよ」

「しないよ」

「あんたを抱きしめることができるのはあんたのお母さんと私だけでいいのよ」


 おお、これはまた同性とはいえかなり大胆な発言だった。

 私には絶対にできないことだから少し羨ましくもある。

 ただ、私が無理すると相手の気持ちを一切無視した自分勝手なやつになりかねないからこれでいいかな。


「ふふ、満里って私のこと好きだよね」

「好きよ、持って帰りたくなるぐらいにはね」

「ありがとう」


 問題があるとすれば家に帰りづらいということと、原田君が登校してきてくれるのかどうかということ。

 が、後者は十分もしない内に原田君が登校してきてくれてなんとかなった。


「おはよう」

「おはよっ」

「昨日はありがとね、橘さんのおかげで元気になれたよ」

「ううん、昨日も言ったように普段からお世話になっているからだよ」

「そっか、それでもありがとう」


 おお、なんかありがとうと言われるのは悪い気はしないなあ。

 これまでは悪く言われてばかりだったから余計にそう感じる。


「あ、いきなりなんだけど僕も名前で呼ばせてもらってもいいかな?」

「うん、いいよ」

「じゃあ未羽さんって呼ばせてもらうね」


 おお、これまたさん付けなんて先生からしかされたことがなかったから新鮮だ。

 それ以外は名字呼び捨てと、かおいとかねえとか、そういう悪い方向のばかりだったから本当にありがたい。

 でも、さん付けじゃなくていい気がしたからそう言ってみたら「そっか」と笑ってくれた。

 原田君の優しい顔、優しいところは一緒にいて安心できるからいい。

 ……昨日隆介君の怖い顔を見ていたから余計にね。


「ところで、今日はどうしたの?」

「え?」

「なんか微妙そうな顔をしていたから」


 鋭いのかそうじゃないのか、判定するのが難しかった。

 満里にすら気づかれなかったわけだから鋭いと片付けていいのかな?


「もしかしてまた堤さんとなにかあったとか?」

「それはないよ、あれから満里とは仲が深まっているだけだし」

「じゃあ新井先生?」


 表には出さない。

 これはふたりには関係のないことだからだ。

 

「実は寝坊しちゃってご飯を食べられてなくてね……」

「そうなんだ? じゃあ確かに辛いよね」

「うん、食べることは大好きだから特にダメージを受けてて……」


 あっ、いま廊下を隆介君が歩いているのが見えた。

 危ない危ない、先程みたいに廊下にいたままだったら間違いなく面倒くさいことになっていたぞこれは。

 父親ではないけどいまの私は反抗期の娘的ポジションだ。

 とにかくなんでもないというスタンスを貫いて放課後まで過ごした。

 お仕事があるから毎時間来るとかそういうこともなくて安心した。


「あんた帰らないの?」

「うん、ちょっといまは家にいたくないんだ」

「珍しいじゃない、いつもはすぐに帰ろうとするのに」


 彼女は勝手に横の席に座って「なにがあったの?」と聞いてくる。

 なにかがあったのは事実だけど言う必要はないから首を振るだけに留めておいた。


「それなら私の家に来る?」

「ううん、学校で過ごすからいいよ」

「そ」


 まだ絶好調の状態じゃなかったのか原田君は既に帰っていた。

 まあでも調子がいい状態でいてくれた方がいいから休んでいてくれた方がいい。

 私は私で無駄な精神ダメージを負わないようにこうしているというわけだ。

 心配してくれるのはありがたいけど、連絡しなかったのは確かに私が悪いけど、それでもあそこまで怖い顔をする必要はないと思うんだ。

 そういうのもあって、私にとっては初めての反抗期の到来だった。


「原田は?」

「もう帰ったよ」

「珍しいじゃない、あんたが原田と行動しないなんて」

「そこまで原田君と行動している感じはしないけど……」


 実は毎時間来てくれているわけではなかった。

 最近は他の人といることが多いから貴重な存在ではなくなっている。

 そもそも貴重なと言ってくれていたのはこちらを悪い気分にはさせないためにだろうからあまり信じない方がいいのかもしれないけど。


「そういえば原田は最近違う人間といるわよね」

「うん、楽しそうでなによりだよ」

「あんたは変わらないわね」

「私には無理だよ、満里とだって満里が来てくれていなければ関われていないわけだし……」


 そんな勇気があったのなら苦労はしていない。

 でも、捻くれることなく生きてこられたのは大きいかもしれない。

 それは多分、隆介君が毎日夜になったら来てくれていたからだろう。

 離婚してからは母は仕事の時間を分かりやすく増やしたから相談できるのは隆介君にだけだったからね。


「少しは頑張ろうとしなさいよ、あんたから来てくれたことが一度もないじゃない」

「誘ったことはあるけど駄目なの?」

「駄目、全然足りない。しかもその割には自分から原田の家に行ったりするんだから納得できないわ」


 その差はなんなのと口にはされてないけど聞かれている気がした。

 私からすれば意地を張った結果でしかないから差なんて特にない。

 それに素直に甘えられているのは満里にだけだし。


「あ、まだいたのか」


 いっ、……分かりやすい教室に残っていたことが馬鹿だったとしか言いようがない。

 いまはなるべく一緒にいたくない系だから鞄を持って教室をあとにした。

 もちろん満里の手も握って連れてきた。


「なに新井先生から逃げてんの?」

「ほら、いまは一緒に住んでいるから過剰にならないように気をつけているんだよ」

「ふーん」


 距離感に気をつけなければならないのは前に満里に言われた通りのこと。

 だから本来はこんな感じでいいはずなんだ。

 思春期の娘なんて反抗して普通みたいな感じ――なはずだからおかしいわけではないはず。


「もしかしてなにか隠してんの?」

「隠してなんかないよ、メリットがないじゃん」

「もしなにかがあったとして、あんたが嘘をついていたとしたらぶっ飛ばすからね?」


 それでもわざわざ言わなくてもいいことだ。

 だって私が拗ねているだけだし……。


「だってあれだけ新井先生大好きなあんたが避けているなんてありえないじゃない」

「いや、新井先生が大好きなのは満里――」

「あ?」

「な、なんでもないよ」


 待機場所というのも考えないといけないのかもしれない。

 それでも外で過ごすのは過酷だから学校内のどこか、になるのがなあ……。

 変なところにいたら変な目で見られるし、声だってかけられるかもしれないし。


「つか、荷物を持ってこられてないんだけど」

「あっ、ごめん……」

「取ってくるから待ってなさい」


 ……満里には悪いけどそこを聞かれ続けても嫌だから去ることに。

 いまの私的にはとにかく逃げることが必要なのだ。


「寒い……」


 お金を少し持っているからおでんの大根でも買ってコンビニ内で時間つぶし。

 食べ終えたらここで過ごすわけにもいかないから結局自宅近くの公園で時間つぶしをすることになった。

 ちょっと反抗する目的で今日は十九時四十五分に帰宅した。

 もちろんリビングには顔を出さずに部屋に引きこもる。

 お仕事があるときは二十二時に寝る早寝早起きタイプだから遭遇して気まずい、なんてこともない。


「未羽」

「きゃあ!?」


 日付が変わってから動き始めたのに何故か遭遇してしまった。

 これだけ遅くまで起きていたのは久しぶりだから母と遭遇する方がまだマシだった。

 が、遭遇したからといって普通に対応したりはしない。

 ご飯を食べてお風呂に入って部屋に戻るだけだ。


「いつまで拗ねてるんだよ、昨日のは未羽が悪いんだろ」

「拗ねてるわけじゃありません」


 洗面所に入ってしまえば負けることはない。

 風邪を引いても馬鹿らしいからちゃんと洗ってちゃんと拭いておく。


「ふぅ――」

「未羽」


 何気にお風呂の時間も好きだと分かった。

 寝ることも好きだから悪くない時間ばかりを過ごせているわけだ。


「早く寝た方がいいですよ、明日もお仕事があるんですから」

「未羽っ」


 最近まで引っ付き虫だった自分のペースに持ち込めるわけがなかった。

 待ち伏せをされてしまえばこちらにはもうなにもできない。

 学校と違って逃げることもできないし、外になんていまから行きたくないからこれはもうこうなることが確定していることだった。


「……あんなに怒らなくてもよかったじゃん」

「心配だからに決まっているだろ……」

「原田君が調子悪かったから見ていたんだよ」

「だったらそう連絡してくれればいいだろ」

「……意地を張ってて気づかなかった」


 そこら辺りは私だから仕方がない。

 なにかに集中していたら他に気を回している余裕はないのだ。

 単純に原田君の頭を撫でていたからというのもあった。

 少しでもよくなってほしくて気持ちを一生懸命に込めていたからね。


「あ、それと堤が怒ってたぞ」

「あー……」

「ちゃんと仲直りしておけよ?」


 そればかりは満里次第としか言いようがない。

 嘘をついていたことになるし、待っていなさいと言われたのにあの場を去った。

 もう終わりかもしれないし、案外、平和なまま和解になるかもしれない。

 つまり私にはどうにもできないということだ。


「よし、じゃあ早く寝ろ」

「あなたのせいでこんな時間まで起きておく羽目になったのですが」

「勝手に人のせいにするな、俺は悪くないだろ」

「あれだけ怖い顔をするからだよ、そのせいで満里からも嫌われたらどうするの」

「ん? 堤は分からないけどそれ以外から嫌われているのか?」


 中学時代は被害妄想ではなく確実に嫌われていたと言える。

 確かに足手まといだったけどそれをぶつけていいかは別だと思う。

 自分だって中途半端だったから勝ち進めなかったんじゃないの? とか言われたらあの子達はどういう反応をしたのだろうか。


「もしかしてまだなにかを隠しているのか?」

「高校ではなにもないよ?」

「そうか、堤がいるなら安心できるか」


 昨日までの満里であればそんなことになれば守ってくれたかもしれない。

 ただ、今日のあれで間違いなくよくないことになったからどうなるかは分からない。

 ……満里といられなくなったら原田君に頼るしかないなあ。


「とにかく今日は寝ろ」

「寝るのを邪魔したのもあなたなんですが」

「いいから寝ろ、おやすみ」


 別にもう反抗する理由なんてないけどたまに残ったりしようと決めた。

 色々な楽しみ方があることを知れたからだ。


「あ、未羽っ」

「うん?」

「……仲直りできてよかった、おやすみ」

「あ、うん……、おやすみなさい」


 それでもせめて連絡はしようとも決める。

 電気を点けないままベッドに寝転んで一息ついた。

 平和に解決できたけど今度は別の意味で学校に行きづらかった。

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