02話.[なんなのだろう]

 甘えないと決めてから一週間が経過した。

 が、残念ながらもう寂しさに押しつぶされそうになっているのが私だ。

 隆介君が私にとってどれだけ大きい存在なのかを、いや、あの選択をする前から分かっていたわけだけどいなくなったことへの影響は大きかった。


「駄目だぁ……」

「なにが?」


 もう驚いたりはしなくなったけど聞かれたのは普通に恥ずかしい。

 彼女は堤満里まりさん。

 あれからなにかと一緒にいてくれている不思議な女の子だった。


「実はもう甘えたくなっちゃって……」

「私達と違って知っているし仲いいんだから普通でしょそれが」

「でも、甘えてばかりでいたくないという気持ちがありますからね……」


 ちなみに家事の方はなんら問題なかった。

 だからこそなんら問題ないかわりに時間だけが余って寂しくなっているわけだ。

 相変わらず母の帰宅時間は遅いし、最後に話したのはいつだっけ状態だし。

 そういうのもあって隆介君が来てくれていたあの毎日は幸せだったんだなと。

 失ってからじゃないと気づけないというアホな人間だった。


「そんなに甘えたいなら行ってきなさいよ」

「え、でも……」

「多分だけど新井先生も気にしていると思うわ、あっちも寂しさは感じているんじゃない?」

「え、それはないと思います」

「なんでよ?」


 なんでってこちらは頼ってばっかりだったからだ。

 こちらからはなにもしていなかった。

 ありがとうとか言ってその場その場を終わらせていただけ。


「よし、放課後になったら連れてきてあげるからあんたは教室で待っていなさい」

「え」

「それじゃあまた後でね」


 なんでそうなるのか。

 私は別に隆介君といたいわけではない。

 そりゃ確かに寂しいけどあと一週間もすれば慣れるはずなんだ。

 それなのに今日話してしまったら多分駄目になる。

 なので、放課後になったらすぐに逃げよう――そう決めていたんだけど……。


「新井先生を連れてきたわよ」


 堤さんは満足そうな笑みを浮かべて「それじゃあゆっくりね」と言って出ていった。

 あれから一週間避けに避け続けて話してさえしていなかったから普通に固まった。

 隆介君もどこか気まずそうに見えるし、本当にいいことはない対面式だと思う。


「あ……元気だったか?」

「は、はい」

「ご飯はちゃんと食べてるのか?」

「はい、ちゃんと作って食べていますよ」


 寝ることと比べれば下がるものの、何気に食べることも好きだったりする。

 ただ個人的に言わせてもらうと、その作った料理を誰かと、隆介君と食べたいというのが正直なところだった。


「寂しくない――」

「凄く寂しいです、新井先生の大切さが凄く分かりました」


 食い気味になってしまうぐらいには影響力があるんだ。

 本当に今後のモチベーション維持も難しくなってくるから問題だった。

 こんなことを言っておきながら迷惑をかけたくないと考える矛盾している自分がいるのもね。


「無理するなよ、遠慮なく頼ればいい」

「でも、甘えてばかりだとあなたに迷惑をかけてしまうので……」

「そもそも未羽は自分の妹の娘なんだからな、気にかけるのは当然だろ?」


 そういえばそうだった。

 お母さんのお兄ちゃんが隆介君だったというね……。

 父がいないからもうこっちに住んでくれた方がいいまであるなあ。


「あ、そういえばある女の子が新井先生と仲良くしたいと言っていまして」

「誰だ?」

「堤満里さんです」

「おお、お? それはまた意外だな」


 意外……と口にするということはよく知っているのだろうか?

 教師と生徒という時点で恋をするのは問題になるけど、ただ単に仲良くするというだけなら上手くできるのかもしれない。


「だったら残っておけばよかったのにな」

「あ、今回のこれは私のことを考えてしてくれたわけですからね」

「そうか、堤は優しいんだな」


 そう、普通に優しいということが分かった。

 ちゃんと相手をしてくれるし、お昼にはおかずを分けてくれるし、放課後になったら一緒に帰ってくれたりもする。

 これまでそういう人はひとりもいなかったから驚いているぐらいだった。

 あ、正しくは優しい人はいても一週間は続かない、というところかな?


「とにかく、いつでも頼ってくれればいいからな」

「はい、ありがとうございます」

「……あと敬語はやめろ、なんか調子が狂うんだよ」

「いえ、これは必要なことですから」


 だって頼るつもりは一応ないから。

 恐らくこの先も寂しさを抱える羽目になるだろうけど、それでも大切な人に迷惑をかけたくないから頑張って抑えていくことが必要なのだ。


「話すことができてよかったです、それでは」

「あ、気をつけろよ」

「はい、失礼します」


 敬語もすっかり普通になってきたから後はこれを貫くだけでいい。

 堤さん相手にも続ければ嫌われるということはないだろう。


「あんた頼る気ないんでしょ」

「分かりましたか?」

「うん、目を見ていれば分かるわ」


 それでもこれが正しいことだから守っていればいいんだ。

 自分が寂しいからって他人を巻き込んでしまうのは違う。


「あ、そういえば新井先生に言っておきましたよ」

「ありがと、でも、可能性はゼロじゃない」

「それでも仲良くなることはできます」

「それはそうね」

「はい、その積み重ねた時間は無駄ではありませんよ」


 もっとも、彼女が行こうとしなければ駄目になってしまうけど。

 最近だって私のところには来てくれても隆介君のところに行っている感じはしなかった。

 いや、寧ろ私のところにしか来ていないように見えるのは自惚れだろうか?


「それより自分の母親の兄ってすごい話ね」

「はい、なんか最近まで忘れていましたけど」

「しかもその兄が勤務している学校に通うなんてねえ」

「他の高校を考えたことはありませんでしたよ」

「そりゃまあそうでしょうね、仲が良ければ私でも同じところを選ぶわよ」


 そう、そこの対策でもあった。

 ずっと一緒に過ごしたりしていたらどこか違うところに飛ばされてしまうかもしれない。

 だから学校ではやっぱりこれでよかった。


「でも、いまぐらいでいいのかもしれないわね、目をつけられると面倒くさいことになるから」

「はい、私が怒られるだけで済む話ではないですからね」

「うん。ま、私が相手をしてあげるわよ」

「はは、ありがとうございます」


 嫌な気はしないからこのままでいい。

 飽きたら勝手に離れていってくれるだろうから私らしく存在していればいい。


「はい」

「え?」

「んっ」

「えっ?」


 二度のアピールも訳が分からなかった。

 少しだけ気恥ずかしそうな顔をしているというのが唯一分かっていることだ。


「抱きしめてあげるから来なさいっ」

「えぇ!?」


 な、なんでそうなるの?

 あ、これが友達になるための条件なのだろうか?


「いいから、誰かに触れていると落ち着くわよ」

「あ、それなら……」


 近づいたら少しだけ力強く堤さんは抱きしめてくれた。

 まだ一週間ぐらいしか経過していない人に抱きしめられているなんて不思議だ。

 でも、彼女の言うように確かになんかパワーがあった。


「大丈夫よ、自信を持ちなさい」

「はい……」

「よし、帰るわよ」


 初対面のときは敵対視されるものだとばかり考えていたからいまでも困惑する。

 それでも私の想像が駄目駄目なことは分かっているわけだし、疑ってしまっていたことは普通に申し訳ないと思う。


「それとね、なんで同級生相手にも敬語なのよ」

「……話すのが得意じゃなくて」

「嘘つき、新井先生相手に仲良し人間みたいな態度で接していたじゃない」

「い、いまは直しているから……」

「駄目、私には敬語を使うのをやめなさい」


 固まっている間に「こっちだから」と彼女は離れていってしまった。

 いつまでもじっとしているわけにもいかないから寒い中ひとりで帰ったのだった。




「あ、堤さん、今日はよく来てくれますね」

「敬語はやめなさいって言ったわよね? あと、満里でいいわ」

「はい、分かりました」


 これが当たり前になってしまって寧ろ怖いぐらいだった。

 飽きられたときのことを考えると普通に寒さからではなく震えてしまう。


「満里さんは何組でしたっけ?」

「あんたわざとやってんの?」

「これは許してくださいよ」


 これがなくなったときのことも考えて行動しなければならないのだ。

 メンタルが強くないから本当に気をつけなければならない。

 そうしないと本当に不登校になってしまうレベルだった。


「はぁ、まあ五組だけど」

「あ、そうでしたね。そういえば新井先生とは一緒にいるんですか?」

「こうしてあんたのところに何度も来ている時点で分かってるでしょ?」

「そうですか」


 どういう理由でかは知らないけど行ってないのならなにも言わなくていいか。

 私はいいから隆介君のところに行ってと言ったところでお仕事とかで忙しいから迷惑をかけたくないと考えるだろうしね。

 相手が教師でなければもう少しぐらいは可能性があったんだろうけどなあ……。


「あんたの誕生日っていつ?」

「六月四日です」

「へえ、じゃあまだ遠いわね」

「はい」


 去年だけではなく一昨年も隆介君が家に来てくれた。

 プレゼントもくれたし、ケーキとかも買ってきてくれて嬉しかった。

 だから肩を揉んであげたりしたんだけど、がちがちに硬かったことをいまでも覚えている。

 今年から高校生になった私とは違って長年教師生活を続けているわけだから当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけど。


「あ、今日の放課後は予定を空けておきなさい」

「なにかするんですか?」

「あんたを家に連れ込むから」

「あ、それなら私の家にじゃ……駄目ですか?」


 誰かの家に上がらせてもらうのなんて初めてだからこっちがいい。

 こっちだったらご家族と遭遇してはっ!? とか慌てることにはならないし。

 幸い、彼女は「ん? 別にそれでもいいわよ、じゃあそういうことで」と言ってくれた。


「そういえば新井先生の家って知ってんの?」

「はい、数軒先ですからね」

「そうなの? それなら行き来もしやすいわね」

「最近はないですけどね」


 でも、この平和な感じが好きだ。

 満里さんはこっちの話をちゃんと聞いてくれるし、間違っていることをしていたらちゃんと指摘してくれるから本当にありがたい。

 できればこの関係のままで居続けたいけど……できるだろうか?


「橘さん」

「あっ、え……」

「そう警戒しないでよ、別になにか悪いことをしようとしているわけではないんだから」


 原田健太けんた君はあれからこうしてたまに話しかけてくることがあった。

 私の近くには満里さんがいるからもしかしたら興味があるのかもしれない。

 でも、満里さんは隆介君のことが気になっているから難しそうだけど……。


「あんたもしかしてこいつに興味があんの?」

「うん、だからこうしてたまに話しかけさせてもらっているんだよ」

「ふーん、ま、こいつは可愛いからね」

「そうだね」


 こういうあからさまなお世辞には耐性がある。

 私で可愛いレベルだったらこの世の中には可愛い人しかいないことになる。

 男の子側からしたらその方がいいのかな……?


「堤さんはいきなり橘さんと過ごし始めたよね、もしかして前々から友達だった?」

「え、あんた私の名字知っているのね」

「うん、調べたから」

「え、怖……」

「まあまあ、別にストーカーとかそういうのじゃないから」


 やっぱり満里さんに興味があるみたいだ。

 いい感じになってきたらいい感じにその場をあとにするのもいいかもしれない。


「あ、前々から友達だったとかそういうのじゃないわ」

「じゃあなんで? なんか共通点もなさそうだけど……」

「単純に放っておけなかったからよ、あんたみたいな人間に騙されそうだし」

「そんなことしないよ。そもそも、前話しかけたらかなり慌てられたからね」

「だから余計に見ておかなければならないのよ、あとはまあ……」


 彼女はこちらに顔を近づけてきて、恐らくこちらにだけ聞こえる声量で「実は他に友達がいないからよ」と教えてくれた。

 そんな馬鹿な!? と一瞬驚いた自分だったものの、お友達がいるならそちらを全く優先していない現状がおかしいからありえなくもないかと納得する。

 原田君は「僕にも教えてよ」と言っているけど彼女は教えようとしなかった。


「今日から守るためにうごくわ」

「それってもしかしなくても僕からだよね? 変なことはしないって」


 私は余計なことは言わずに傍観しておくことにした。

 それにしても最近は本当によく冷えるから防寒も意識しなければならない。


「大体、まだ友達レベルにもなれてないんだからさ」

「そんなこと言ったら私もそうよ?」

「でも、お互いに名前で呼んでいるよね?」

「うわ怖、なんでも把握しているじゃない」


 それは多分私の声が大きいからかもしれない。

 慣れていない分、いちいち大袈裟になってしまうという感じかな。


「橘さん、僕とも仲良くしてくれると嬉しいんだけど」

「あ……満里さんもいてくれれば……」

「うん、それでいいからさ」

「私は未羽を守るために動くけどね」


 それについてはそれでいいと言うことはなかった。

 とりあえず予鈴がなったから自然と解散になる。

 授業もすぐに始まって静かで寒い時間が始まった。

 何気に授業の間は苦手だったりする。

 静かな空間だから物音を立てたら目立ってしまうし、ひとりぼっちでいるしかないみたいな気持ちになるからだ。

 黙ってちゃんと板書とかをしておけば怒られることはないものの、毎時間早く終わってーと願い続けるのはそれなりに疲れる。


「未羽――どうしたのよ?」

「……来てくれてありがとうございます」

「行くわよ、行かなかったら気になりすぎて落ち着かないもの」


 授業の時間が苦手だと言ったら笑われてしまった。

 その後に頭を撫でてくれて「眠たくなるから似たようなものね」と言ってくれた。


「僕は授業中、好きだけどな」

「理由は?」

「なんかみんなで一緒になって同じことをしているわけでしょ? 協力しているわけではないけど、協力しているみたいでいいなって」


 確かに一緒に学んでいることは事実だ。

 けど、近くにいるはずなのに物凄く遠くにいる感じがするから嫌だなんだ。

 まだ賑やかな感じでいてくれていた方がいい。


「まあ確かに授業中に変なことをする人間はあまりいないわね、もししていたとしても結果的に損するのは自分なわけだし」

「うん。でも、授業中が苦手だと感じる子がいるとは思わなかったよ」

「私もそうよ、その教科が苦手とかなら分かるけどね」


 多分、満里さんとの時間をもっと増やせばこれはなくなると思う。

 だからそれまで耐え続けるしかない。

 そしてそれも満里さんがいてくれればできそうだから私にとってはいい関係だった。


「橘さん、堤さんには敬語じゃなくていいんじゃない?」

「……新井先生以外には敬語を使うのが普通なので」

「うーん、なんかもったいない気がするけど……」


 それでも距離感を見誤ると最悪なことになるからこれしかない。

 何度も言われて、それでも満里さんが離れないのであれば応えるつもりでいる。

 ……でも、そこまで粘ってくれるとは思わないんだよなあと。

 あといまの発言はだいぶおかしかった。

 ただ、最近は気をつけて敬語にしているから問題もないだろう。


「大丈夫よ、あんたが心配しなくても必ず私がやめさせるから」

「え、それは難しいと思う」

「なんでよ?」

「橘さんは意思が強いからね」

「なんであんたにそんなことが分かるのよ」


 確かにそうだ。

 ずっと見てきたわけでもないのにこの発言はなんなのだろうか。


「今日は家に連れて行くつもりだしそこで決めるわ」

「乱暴はしないようにね」

「は? あんた私をなんだと思ってんの?」

「ごめんごめん」


 怖いから余計に巻き込まれないよう黙っておいた。

 予鈴という最強カードのおかげで飛び火してくることはなく逃れたのだった。

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