3
第一便のバスが出ると、次の電車が着くまでしばらく暇になる。
まだ朝といっていい時刻なのに、無節操な陽光は、すでに全開だ。
静枝自身は暑さを感じないにしろ、常に体内で商品を冷やし続ける冷却器の響きを感じていると、なにかしら
静枝は物憂げに、後ろで閉ざされたままの店のシャッターに目をやった。いや、今は顔も目もないので、気持ちだけ物憂げな視線を向けた。
シャッターの真ん中に、孝吉が手書きした藁半紙が、静枝らしく几帳面に貼りつけてある。
[しばらく臨時休業します]
近頃のガムテープは、しっかり着きすぎる。いつまでたっても片隅さえ剥がれない。
こんなものを貼らなかったら、ちょっとは早く探してもらえるだろうに――。
静枝は情けなさに溜息をついた。
それもまた、気持ちだけの吐息のはずなのに、
「あれ?」
いつのまにか正面に立っていた一人の男子学生が、百円玉をつまんだ手を止めて首を傾げた。
その後ろから女子学生も顔を出し、
「どうしたの?」
「いや……なんか今、ここのおばちゃんの声が……」
男子学生は怪訝な顔をガラスに寄せ、
「こん中から聞こえた……みたいな」
静枝は、ほう、と目を見張った。
夏休み前とは見違えるように日焼けしているが、どうやら店の常連のひとり、教育学部の田沼雄一君に違いない。東宝映画の若大将と同姓同名だから、静枝も秘かにひいきにしていたのである。ただし以前の彼は細っこくて生っ白く、加山雄三はもとより、昔の旦那にもかなわなかった。しかし久々に見る田沼君は、夏休みの間に鍛えたのか、まずまず海の若大将っぽく仕上がっている。
男子三日会わざれば刮目して見よ――。
静枝は孫煩悩な飯田蝶子のように目を細めた。
この田沼君は、ファッションセンスも好ましいのである。今どきのフヤけた若者には珍しく、デザインよりも生地や縫製で選ぶ。いきおい地味で古臭いファッションになるが、着心地や
でも女を見る目はまだまだだなあ――。
田沼君の連れらしい女子学生をしげしげとながめ、静枝は眉をひそめた。
夏休み前は、あまりの女っけのなさに静枝も心配していたくらいだが、いきなりこれでは先が思いやられる。同じ教育学部の生徒ではあるまい。教壇より場末のキャバクラが似合いそうな娘だ。見栄えはいいのだが、いかにも品がない。
「朝っぱらから気持ち悪いこと言わないでよ」
女子学生の険のある声も、静枝の気に障った。
今の自分が、朝の駅前よりも真夜中の峠道あたりに向いていることは重々自覚している。それでも、朝っぱらからキャバ嬢に指摘されると無性に腹が立つ。
田沼君は、まだ腑に落ちないらしく静枝の背中を――もとい自販機の裏を覗きこんだりしている。
「……いないよなあ」
気を取りなおした田沼君は、正面に戻って品定めに入り、
「お、新しいのが出てる」
夏休み前には並んでいなかった缶飲料を目敏く見つけ、ふたつ購った。
片方を女子学生にさしだし、
「はい」
女子学生は軽くうなずいただけで礼も言わず、先にプルタブを引いて中身をひと口、
「なにこれウケる。ほんのちょっとカフェオレっぽい味がするかも? みたいな」
その娘が褒めているのか
「……ま、冷たくておいしいけど」
だからそっちを先に言っとけよ――。
静枝は、いよいよ顔をしかめた。
もっとも、その女子学生の味覚そのものに関しては、まったく異論がないのである。
半月ほど前、飲料会社の若い衆が「新製品、入れときますね。都心でテスト販売したら大好評なんですよ」と自慢し、静枝にも試飲させた『後味スッキリ 深煎りカフェオレ』――缶のデザインは、パリの街角を水彩画風にあしらっていかにも本場物っぽいのだが、肝腎の中身は、確かにそこはかとなくコーヒーとミルクの味がしないこともない程度の代物であった。近頃の都会では、水っぽい薄味が
田沼君も舌のセンスは平成仕様らしく、昭和なら苦情が殺到したであろうカフェオレっぽい水を、旨そうに一気飲みしている。
静枝は、よしよしと目を細めた。
うんうん、若大将はナウくてナンボだからね――。
我ながら無節操だと思うが、実のところ、あえて田沼君がその娘に調子を合わせるそぶりを見せない、つまり単に親切心から飲み物をおごっただけで特に好かれようとしているわけではない、そんな気配が嬉しかったのである。
うんうん、焦るんじゃないよ田沼君。あんたはまだこれからなんだから、星由里子さんや酒井和歌子さんみたいな、気立てのいいお嬢さんを探しなさい――。
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