第7話 トリセツを所望します

「はぁ、はぁ、はぁ~~」


 段ボールの重みは絶えず指先を攻撃し続け、僕の指先は既に限界を迎えようとしていた。さらに、追い打ちをかけるように、眼前には階段が立ちはだかる。

 もう、その辺に置いて帰ろうかな。

 血迷った考えが浮かぶが、すぐさま却下。

 ここを上り切れば、本当の本当に今日のタスクは終了である。

 僕は重い腰と荷物を持ち上げ、階段を上り始めた。


 それにしても、さっき拾ったハンカチ。持ってきちゃまずかっただろうか。なんとなく、そのまま、気まぐれに、僕のポケットに入っているが。持ち主は今頃、職員室をうろうろ探しているかもしれない。もしそうだったら、少し悪いことをしただろうか。まあ、帰りにでも落とし物ボックスに入れておけばいいか。


 トカゲがプリントされた水色のハンカチ―――見れば見るほどに、トカゲの場違い感が際立っていた。普通そこは魚介類とかではないのか? 魚とか蟹とか、いくらでも水色にマッチする生物がいるはずなのに―――選ばれたのはトカゲである。

 まあ、世間に疎く、流行りもよく分からない僕である。巷では、トカゲが流行りまくっている可能性も否定できない。ちょっと前に注目されていたタピオカだって、カエルの卵みたいな見た目をしていたし、流行りなんてものは運以外のなにものでもないのかもしれない。


 そんな、しょうもないことを考えていると、いつの間にか2年3組に到着していた。


 早く帰りたい、ご飯が食べたい、猫吸いたい。欲求に忠実となった僕は思いっきり引き戸を開けた。開けてしまった。中に人がいるとも知らずに。


「ぴゃっ」


 『ぴゃっ』だと? それは、到底人間が発したとは思えない、珍しい鳴き声である。 


 その鳴き声の主は、僕の隣の席で荷物をまとめる少女であり、先ほど中澤にネチネチ怒られていた少女であった。あのジャージ姿に、目が完全に隠れるほど伸びた前髪は紛れもなく例の彼女である。

 教室げんばの状況からして、彼女が僕の隣の席の人で間違いないだろう。そして、僕の第一印象があまり良くないことも。

 しかし、これはチャンスでもあった。隣席の人と良好な関係を気づくことは学校生活をうまく立ち回るには、とても重要なことである。異性ということもあり、最初の友達にしてはハードルが高い気もするが、現在友達0人の男に選り好みする権利はない。

 無い勇気を振り絞り、僕は口を開いた。


「こ、こんにちわ。今日転校してきた赤坂陽です。」

「…………」

「よ、よろしく」

「…………」

「お願いします?」

「…………」


 よろしくお願いされなかった。


 それは完全な無反応であり、微反応すらなかった。彼女は僕の方を見ないまま、手際よく荷物をまとめ、席を立った。もちろん、帰宅するためだということは、言うまでもない。

 まずい。なにか話さなくては彼女が帰ってしまう。かといって、ここで小粋なジョークで人笑いを取る技量は無い。それについては今朝すでに失敗済みである。

 僕は頭をフル回転させた。挨拶でさえ無視されたのだ。生半可な話はスルーされて終わりだろう。何かないのか。彼女を引き留める話題や質問は―――質問? 

 

 質問だったら、あるかもしれない。反応してくれる可能性としてはあまり高くない、むしろ低いと言っていい。それでも、思いついた選択肢の中では、これが最もまともで、可能性が高いのは確かだった。


「ちょっと待って!」

「…………」


 彼女の足は止まらない。なんなら、ちょっと速くなったような気もする。


 僕は急いでポケットに手を入れ、


「これ、さっき落とさなかった?」


 トカゲのプリントされた水色のハンカチを彼女の前に出した。


「……あ」


 彼女の第一声は『あ』であった。いや、第一声でいったら『ぴゃっ』の方が正しいのか。ともかく、初めて彼女を立ち止まらせることに成功した。


 長い前髪のせいで表情は分からないが、目線はハンカチに向かっているようだった。時々、こっちの顔を見ている気もするが。


「こ、このハンカチは、あれだ、その、職員室前で拾ったんだ。そう、落とし物ボックスに入れようと思って。べ、別に盗もうと思ってたわけじゃないからな」

「………」


 動揺のためか、ツンデレ口調みたいになってしまった。無反応の時もつらかったが、無言でじっと見てくるのもやめて欲しい。何もしてないのに、悪いことをしたような気になってくる。


「もし、持ち主なら返そうと思うん


 バチン


 その時だった。手のひらの強い衝撃と共に、掴んでいたものの感覚が消えた。

 簡潔に説明しよう。彼女は僕の手からハンカチを奪い去り、逃走した。

 脱兎のごとく逃走した。


「は?」


 僕はしばらくの間、動くことが出来なかった。 

 いったい、彼女はなんだったのだろう。表情はよく分からず、声もほとんど発しない。それが僕の隣の席の人。隣人である。


 結局のところ、今日一日を通して、誰一人も良好な関係を気づくことは出来なかったのは予想外であった。ブランクのせいだろうか。はたまた、くそ親父のアドバイスのせいだろうか。


 帰ろう。今日はもう疲れた。

 貰った段ボールをロッカーに捨て置き、僕は教室から出ようとした。しかし、その足を止めたのは、教室の入り口に落ちていた一冊の本だった。

 ハードカバーの小説などではなく、ペーパーバックの参考書のような、持ち運ぶのに丁度よい大きさの本だった。

 

 教室に入ってきた時―――彼女がまだ教室にいたときは、この本は扉の前に落ちていなかった。ということは、この本も彼女の私物ということで間違いないだろう。

 まったく、この短時間でどれだけ落とし物をするんだ。逃げるように帰ったにしても、おっちょこちょいの度が過ぎている。

 明日、話しかけるきっかけになったと思えば、そう悪い出来事ではないのかもしれない。


 そう考え、僕はおもむろに本の表紙を確認した。

 

『本場の専門家が語る ~コミュ障の直し方~』




 著:フレンド・リー

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妄想男子の妄想彼女  西田河 @niaidagawa

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