第3話 口より手より脳を動かせ
春である。
桜はすでに多くが散っており、ほとんどの木が緑で覆いつくされていた。例年に比べると開花が早かったらしく、満開の桜が見れないのは少し寂しい気持ちである。毎年、家族で花見に行くのは恒例行事なのだが、今年はバタバタと忙しくそんなことをしている暇はなかった。
そう、本当に忙しかった。
結論から先に言おう。僕たち家族は父の転勤により田舎に引っ越すことになった。いきなり引っ越すことになって驚きはしたが、幸運なことに不思議と友達のいなかった僕は二つ返事で了承した。母も父の決定ならと反論はしなかった。問題は妹の
「やーーーーだ、やだやだやだやだやーーーだーーー」
普段はいつもニコニコしていて、ぐーたら過ごしているとは思えない勢いで駄々をこね始めた。確かに妹は昔は『嫌なこと』があると、すぐに駄々をこねることが多かった。それにより、歯医者では出禁による治療の回避、スーパーでは目当てのアイスを手に入れるなどの高難易度ミッションをいくつも成功させてきた。まさにプロフェッショナル日向である。まあ、そのせいで虫歯が悪化し、3本も歯を抜く羽目になったのだが。それからは、アイスをねだることはあったものの、駄々をこねることはすっかりなくなった。
しかし、引っ越しという史上最大の『嫌なこと』にぶち当たった日向は自分が最も得意としていた技を思い出した。
誰も望んでいないプロフェッショナル日向の帰還であった。
それからというものはひどいものであった。
父を1週間ガン無視
引っ越し業者との電話を大声で妨害
朝にトイレを長時間占領
様々な手を打ち、妨害の限りを尽くした。しかし、父は怒ることはなく、ただただ困った顔で笑うだけだった。日向もさすがに父を可哀そうに思ったのか、最後には渋々引っ越しの件を受け入れたのだった。
問題はすべて解決したかのように思えた。以降は順調に物事が進み、引っ越しは3日後に迫っていた。いつものように『彼女』におやすみの挨拶をして、電気を消そうとした瞬間、僕は最も重要な問題を思い出した。
そう、『彼女』の存在である。僕の高校生活を妄想生活で塗りつぶした張本人である。正直、真っ当な人間としての生活を送る上では、サヨナラをするのが手っ取り早く確実な方法だとは分かっていた。しかし、妄想上とはいえ1年間お付き合いをした『彼女』である。そのまま、分かれてポイはさすがにどうかと思う。真っ当な人間になるには真っ当な別れ方、つまり話し合いで解決する必要がある。こうして、第1回妄想会議は開かれたのであった。
***
「第1回妄想会議を始める。この会議の目的は君と円満に分かれることにある。どうか僕のためを思って別れてもらえないだろうか」
「いやよ! 急にどうしたっていうの? 私たちこれまで楽しく過ごしてきたじゃ
ない。私のこと嫌いになったの?」
「違う! 違うんだ。僕は本当に君を愛している。ただ、現実世界で幸せになるには
君と別れるしか手はないんだ。君は現実にいないから……」
まるで敵国に住まう王子と王女のように、二人の間には大きな障害があるかのように振る舞う。
「っ………!」
『彼女』は僕の顔を見たくなかったのだろうか。それとも自分の泣き顔を見られたくなかったのだろうか。後ろに顔を向け、こちらを見てくれない。
「自分勝手なお願いだとは分かっている。だが頼む! 次の学校では普通に勉強して、普通に友達を作って、普通の楽しい日々を送りたいんだ」
『彼女』後ろを向きのまま、小さい声で呟いた。
そんなに普通がいいのかよ
「……えっ?」
「あーーもういいわよ! 分かったわよ! 二度と私の前に顔を出さないで頂戴! あんたなんか大っ嫌いよ! バーカバカバカバーーカ」
「……ごめん」
「……謝んじゃないわよ。本当の本当に馬鹿なんだから……」
***
次の瞬間、意識は現実に戻った。
結局、円満解決とはいかなかった。一方的に、突然、自分のためだけに別れようとしたのだ。殴られなかっただけ、ましな方だろう。もしかしたら、最後の罵詈雑言は『元彼女』なりの不器用なエールだったのかもしれない。そう考えると、次の学校では絶対に失敗するわけにはいかない。
とりあえず明日も引っ越しの準備の予定がぎっちりと詰まっているのだ。これ以上の夜更かしは明日に響く。そう考え、今度こそ電気を消そうと立ち上がる。
そこで、ふと冷静になった。
僕が『元彼女』と別れたのは、学校で親しい友人を作り、青春を謳歌するためであった。つまり、別に学校で妄想しなければ何の問題もなかったのではないか?
…………
人間、冷静になることはとても重要である。
ん-ーー、どうするべきか。今考えれば『お家彼女になってください!』と言えばそれで良かったじゃないか。しかし、覆水盆に返らず。やり直すことはできないのである。
ただ、完全に元には戻らないにしても、7割ぐらいは元に戻すことも出来るはずである。
そうと決まれば、やることは簡単だ。由緒正しいジャパニーズ土下座にすべてをかけるしかない。
僕は裸一貫で
漢はゆっくりと歩きだす。
その背中は確かに、覚悟を決めた漢の背中であった。
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