第37話 美幼女と遭遇したある朝の風景。
騎士になり、一か月が経過した。
やはり人間は慣れる生き物のようで、初日あれだけぜえはあ喘いでいたランニングも、ひいこら喘ぎながら達成できるようになってきた。
うん? あんまり変わってないか……。
まあでも、身体は確かに変わっている。
ご飯が美味しくて体重の面ではまるで減っていないような感じがするが、以前と比べると、明らかに身体が軽くなった。
脂肪が筋肉に変換されていくのを実感する毎日は、かなり充実していると言えよう。
これで愛し愛される彼女でもできれば、晴れて自分もリア充の仲間入りってわけだ。
三十半ばにして言う台詞ではないような気もするけど……。
というか、一回り下の鈴木くんなんてもう子持ちなんだよな……。
それを初めて聞いた時は、上司として立つ瀬がなくなったなあ。結婚してる、子供がいるってだけで立派に見えてくるもんだから困った。
周囲の奴らも大体結婚してたしなあ。
近藤ですら彼女をつくってイチャイチャラブラブしてたっていうのに…………。
おっと、いかんいかん。幸せを噛みしめていたのに最近はすぐこうなる。
「タキタさん、お出かけですか?」
訓練場の横を歩いていると、ルイスと遭遇した。
試合以来、ルイスは自分に尊敬の念を抱いてくれているようで、こうしてよく話しかけてきてくれる。
そう、自分がコインを盗んだことが発端だというのに、試合をした挙句、尊敬までしてくれているのだ。
本当、良くできた人である。
聞くところによると、彼はまだ十六らしい。
こんなに器の大きな十六歳がいてよいものだろうか。やはり、おっさんの立つ瀬がない。
精神年齢だけなら、自分を優に超えているのではなかろうか。
自分が十六の時と言ったら、短い丈のスカートを履き無防備に歩く女子に興奮しそっちがその気ならこちらだってやってやるとチラどころでなくガッツリ拝んでやろうとクラスのビッチなあの子が階段を上るときを見計ってその下についたはいいもののいざ顔を上げるとなると周りの目が気になって結局心の目で見るだけに終わり息子をなだめすかしながら悶々とした気持ちを抱えて帰宅して賢者モードを発動し虚無感に打ちひしがれ彼女がいないことをただただ嘆く。
そんな毎日だった。
……こう振り返ってみると、マジで何もしてなかったな。てか、こんなバカだったっけ?
そんなはずは、…………もっとましな記憶がないものかと探してみたが、検索にかからなかったので断念した。
なぜだろう、とっても情けなくなってきたわ……。
でも、どうしたらこんな幻想のような好青年が育つというのか。
自分がルイスママだったら、
お小遣いなんて、すんごい奮発しちゃうだろう。そんで、ガールフレンドを連れてきた日にはギャン泣きするに違いない。
「あの、タキタさん? どうかしましたか?」
「ああいや、金髪美男子を子に持つ母親の自らの子に対する
「……なんだか難しいことを考えているんですね」
「ああ……はい。そうなんです」
困難という名の高く険しい壁にぶち当たってる感じを
「今日は休みですか?」
「ええ。ルイスさんも――」
休みですか? と言いかけ、ちんまりとした影が見えたため止めた。
ルイスがいるということは……やはり。
ルイスの影に隠れるようにして、ちみっこい少女が立っていた。
亜麻色の髪を長く伸ばした乙女。
ナイスガイの娘さん、つまり、侯爵家のお嬢様だ。
普段から寡黙なのか、いまだ美幼女の声を聞いたことはない。
ま、ここまでかっこいい大人な雰囲気を持った自分を前にしては、緊張で縮こまってしまうというのも分からなくない。
うん、違うね。
だって、相も変わらず変質者を見つけたような表情でこっちを見てるし…………。
この子は毎度毎度、会うたびにこう。
ハシバミ色の綺麗な瞳には警戒心が滲み、攻撃的な視線。
それはどこか冷めてもいて、この子は女王様として大成するぞ、と確信させるだけのものがある。
だって今、嫌いな野菜を出された時と同じ顔をされてるんだぜ。
嫌悪感たっぷりな美幼女の眼差しって、こう、心に突き刺さるものがあるよな。
ソフトMまでなら大歓迎! な自分としては、悪くないご褒美。これで日々の疲れも癒えるというもの。
ま、美幼女の従者であるルイスに休みなどないのかもしれない。
従者が男ってどうなのよ、と思わないでもないが。
にしても、美幼女を放って自分に声を掛けてもいいのだろうか?
権力を笠に着ないタイプの教育方針なのかな。
「……ルイス」
おっ。美幼女が発声なさった。
初めて声を聞いた。こちらに向けてくる表情と比べると、何段階も幼く、愛らしい声。
幼女幼女している。いや、実際そうなのだけど。
「はい、申し訳ありませんでした。では、行きましょうか」
こくり、と美幼女は満足げに頷いた。
ルイス、めっちゃ気に入られてんじゃん。
ちょっとジェラシー。
美幼女に気に入られるって、夢があるよね。憧れるよね。
「それでは、失礼します」
「ああ、はい。時間を取ってしまい申し訳ありませんでした」
ルイスと美幼女に軽く礼をして二人の背を見送り、改めて門へ向かう。
*****
こうして歩く度に思うが、テラフォード侯爵邸はすーんごい広い。
おバカな表現しか出てこないぐらいに広い。
東京ドームが幾つも入っちゃうはずだ。いくつ入っちゃうかは知らない。
東京ドームの大きさなんていまだにピンときたことないし。
もしかしたら意外と一個も入んないかも。
この世界にもそういう謎の指標はあるんだろうか?
東京ドーム指標はともかく、自分スケールではかなりデカいわけだ。
となると当然、出かけるまでにも一苦労。
でも、鳥の声だとか葉擦れの音だとか、散歩も案外悪くないと気づかせてもくれる。
自分もとうとう、散歩が好きになる年になってしまったか……。
「おーい!」
前方で、フランクが大きく手を振っている。その隣には、すでにオリバーもいる。
待たせるのも悪いので、少々小走り。
「おっさん、おはよう」とはフランク。
相変わらずフランクしている。
「おはようございます」
「おはようございます」
オリバーとは畏まった挨拶を交わす。
フランクの年は二十二だとか。見るだけでエネルギーが溢れているのが良く分かる。
やっぱ若いってすごいな。
十七だというオリバーはいつも通り
二人はよく一緒にいるみたいだけど、こう見ると、凸凹コンビって感じだ。
「予定通り服屋には向かうんだけどよ。おっさんは何か他にしたいことはあんのか? まだこの街のこともあまり知らないだろ?」
「あーっと、前に贈り物をもらったから、それのお返しも探そうかな、と」
そうなのである。今日は週に一度の休日。
オリバーとフランクと自分。なぜかこの三人で出かけることになった。
前に食堂でちらっと言っていた通り、寒くなる時期に向け、おすすめの服屋に連れてってくれるらしい。
「ふうん。お返しって、何をもらったんだ?」
「チョコレートです。何かこう、紙に包まれた棒状のやつで、上等な感じの」
「チョコレート? 知らないなぁ。オリバーは知ってるか?」
「いや、知らないです。でも最近、有名な菓子店ができたって聞きましたよ」
「へえ、じゃあそこのかもな。オリバー、意外と詳しいのな」
「姉がいると情報も早くなるんですよ。王都でも有名な高級店らしいですよ」
オリバーもその店を知っているらしい。そしてやはり、上等な店のようだ。
「おっさん、その菓子は誰から貰ったんだ?」
「セリーナさんです。僕についてくれてるメイドの方なんですけど」
「ほほう、おっさんもなかなかやるなあ」
フランクは
「お返しには何をプレゼントする予定なんだ? 髪飾りとかか?」
「いやいや、それは恋人なんかにあげるやつでしょう」
「だからぴったりだろ。何が問題なんだ?」
……おや? フランクはなにか絶望的な勘違いを犯していないか?
「別にセリーナさんと付き合ってるわけじゃないんですよ?」
一瞬の沈黙。
これって沈黙するほどのことだろうか。
「あれ、じゃあ告白か?」
フランクが肩透かしを食らったように言う。
なんだろう……、若さって怖い。
そんなガッついてる感じに見えるのだろうか。それともこれが異世界スタンダード?
でも普通、いくら若いといったってこんな勘違いしないよね?
フランクのフランク的な思考回路がそうさせているだけだと思いたい。
「……違いますよ」
思わずため息が混じた。
いい年したおっさんが一回りほども年下の子に告白しようと思われていたことが恥ずかしい。
いや、こういうスタンスだから今の自分があるのかもしれないな……。まあ、関係ないか。
「さすがに年が離れすぎてますし」
「そうか? 別にいいと思うけどなあ。じゃあ、ほんとに単なるお返しってわけだ。おっさんは律儀だなあ。で、何を買うんだ?」
「まあ、残らないものが良いかなあと。やっぱり、食べ物ですかね」
「食べ物……食べ物かあ。上手いもんは結構知ってるんだけどな。贈り物ってなると浮かばないなあ。オリバーは何か思いつくか?」
「いや……贈り物とはあまり縁がないので」
「ま、とりあえず服屋に行くか。おっさんはそれでいいか?」
「今日の本題はそこですしね。問題ありません」
「んじゃあ行くか」
ということで、フランクの先導に従い服屋へ向かう。
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