第35話 未経験職に中途採用されたおっさんが生き残るにはそれなりに体を張る必要がある。


 

 「でか……」


 衣装熊ドレスベアの目前にまで来ると、その巨大さに驚愕させられる。

 ロニーが横に並んでいても、なおデカい。


 「だろう? 衣装熊ドレスベアは今の時期からどんどん肥えていくんだ。冬の間は穴倉を掘ってそこから動かなくなるから、そこへ向けた準備ってことだな」


 「なるほど……そうなんですね。……ということは、この中途半端な毛の色も?」


 目前で倒れる衣装熊ドレスベアの体毛は、都会の溶け残った雪を思わせ、こういっちゃなんだが、小汚い。


 「ああ、冬へ向け生え変わっている最中なんだ。次第に、雪と同化するために白く、寒さを防ぐために分厚くなっていく」


 「なるほど……」


 生物の神秘、というやつだろうか。感動だ。


 衣装熊ドレスベアの元にしゃがみ込み、それを持ち上げようとふんっと力んだフランクが、大きく息を吐いた。


 「はぁ~。隊長、さすがに一人じゃ運べそうにないです」


 まあそりゃそうだろうな、とちょっと悔しそうにするフランクを見て思う。


 「まあそうだろうな」


 力自慢をするわんぱく坊主かのようなフランクの姿に、ロニーは苦笑い。ロニーも同じことを思っていたらしい。


 「ここは無理せず、別グループを呼ぼう」


 言って、ロニーは懐から貝のようなものを取り出し、それを口にあてがった。


 ――ヒュウー、ヒュウー、ヒュウー。


 甲高く、それでいて重厚な、風を鋭く切り裂いたかのような音が森に反響する。


 「……あの、それは?」


 「嫌獣笛けんじゅうてき。離れた仲間に合図するときに使う笛だ。魔獣なんかは、どうしてかこの音を嫌うんだ」


 「なるほど」

 

 こんな便利道具もあったのかと感心してしまう。


 少しすると、さすがにここまで馬車で来ることはできなかったのか、別グループの内の二人が簡易的な荷台をもってやって来た。


 「ありがとう。さあ、持ち上げるぞ」


 辺りの警戒をしつつ荷台を固定する別グループの二人と、衣装熊ドレスベアの巨体を取り囲んでしゃがむロニー、オリバー、フランク。


 慌てて自分も、大きく陣取るフランクの隣に小さく座り、衣装熊ドレスベアの左足へ申し訳程度に腕を潜り込ませた。

 

 おお、なんか肉球ついてるよ。


 「いくぞ……せーの」


 声量を抑えたロニーの掛け声に合わせて立ち上がる。


 「おおっと!」


 「おっさん、もっとちゃんと持ってくれ」


 「ああ…………んっしょ」


 気合を入れて、腰も入れて、なんとか立ち上がることができた。が、めちゃくちゃ重い。


 自分の担当分と思われる領域の半分くらいはフランクが持っているにもかかわらず、腰、やられそうだ……。


 ゆっくりと衣装熊ドレスベアの巨体を荷台に下ろす。

 キシ、と不安げに荷台が鳴ったが、耐久性はまだ問題ないみたい。ミシ、と泣く腰の方が問題を抱えているらしい。




*****




 荷台を押す別グループの二人を守るように展開しながら、一度馬車の元へ戻ってきた。


 「よし、もう一往復しよう」


 どでんと帆馬車に載せられた衣装熊ドレスベアを尻目に、再びロニーたちの後に続く。


 もっと効率のいい方法があるような気がしてならないが、これが安全な方法であることには間違いないのだろう。


 笛の音の影響で、先ほどの地点にいた獣や魔獣は警戒心を強めているはずだ、ということで、別の場所へ。


 テラフォード領軍の長年に渡る経験の蓄積により、大まかにではあるが、獣や魔獣の基本的な分布が分かるという。

 そんな頼もしいロニーの背を追いながらも、自身に与えられた左方の警戒をする。


 しばらく進むと、地形が複雑さを増してきた。

 ふと、電動アシストが無いとキツそうな傾斜面の上、その中腹辺りに、衣装熊ドレスベアの存在を確認。


 目に映る数は三。距離は五十メートルほどか。

 木々がこちらの視線を遮っているのか、幸い、向こうはこちらに気がついていないようだ。


 一番近くにあったフランクの肩を静かに叩く。右方担当のフランクが振り返ったので、視線で衣装熊ドレスベアのいる場所を示す。フランクはすぐに了知し、頷きを返した。


 それがロニーとオリバーにも伝わり、互いに目を合わせて慎重にとのジェスチャーを交わす。


 斜面の下、衣装熊ドレスベアの逃げ場を塞ぐようにゆっくりと半円状に広がり、音を立てぬようじりじりと距離を詰めていく。


 オリバーが弓を構え、ひょうと放つ。

 狙いは違わず、吸い込まれるように一頭へ突き刺さった。どさり、と倒れた衣装熊ドレスベアは未だ藻掻もがくようにうごめいているが、致命傷。もうまともに逃げることはかなわないだろう。


 残った二頭は、わずか躊躇ためらうような仕草をした後、斜面の上へ駆け出した。


 「よし、追うぞ」


 ずいぶん苦し気な顔をしてくれるもんだなあ、と衣装熊ドレスベアの表情に胸が痛みを覚えるが、これも仕事、と割り切り自らも皆に続いて追いかける。


 しかし、やはり四足獣。鈍重そうでありながら、人間よりも遥かに早い。その差が開いていく。


 自分がようやくオリバーが仕留め地に伏している衣装熊ドレスベアを通過した時、前方を走るフランクは何やら呟くと、その強靭な足で土を大きくえぐりながら、爆発的に加速した。きっと、ルイスが使ってたのと同じ魔法だ。


 自分はというと、衣装熊ドレスベアやフランクはおろか、ロニーやオリバーにも追いつけそうになかったため、最後尾であることをいいことに、諦めぎみに足を緩めた。


 これは仕事の放棄ではない。戦略的休息である。うん。


 すでに上がりきっている息を整えると、自身の息づかいや足音だけでなく、周囲の音がよく聞こえてくる。


 そこで、パキっと小枝を踏み鳴らしたかのようなかすかな音を拾った。

 反射的に顔を振り向けると、斜面を斜めに駆け上がるようにして、オリバーが仕留めた衣装熊へ接近する集団があった。強奪者だ。


 「ろ、ロニーさん!」


 判断をあおごうと、一も二もなくロニーへ顔を向ける。ロニーはどうしたんだ、と言うように素早く振り向き、視線の先にいる奴らを捉えたのだろう、彼の小さな舌打ちが聞こえた。


 不気味なほどに鮮やかな青色をした、人型の生物。成人よりは小柄だ。線も細く、ひょろりとしている。が、数が多い。十か、それ以上か。


 「キュノプだ! タキタ! 獲物を守れ!」


 ロニーは指示を出しながら、足止めをするつもりなのか、キュノプの元に突っ込んでいく。


 ロニーにつられ、自分も駆け下りる。上りダッシュからの下りダッシュ。

 

 キュノプたちは存在を認知されると、威嚇のためか、がなり立て始めた。キンキンと鼓膜をつつくような不快な声だ。

 

 ロニーの攻勢をくぐった五体ほどがこちらに向かってくる。

 奇妙な走り方をするキュノプたちの足の回転は異様に速く、恐るべきスピードでオリバーの仕留めた衣装熊ドレスベアに迫る。

 

 そこから一番近い自分が気張らないわけにもいかない。

 全力Bダッシュ。膝、大丈夫か? 自身への労わりは最小限に、とにかく駆ける。


 そしてキュノプとの距離が詰まり、身震いした。

 そいつらは、単眼であった。人間と似た形をしているがゆえに、怖気が全身を駆け巡る。


 が、怯むわけにはいかない。生唾を呑み込み、偽装の詠唱。


 「經路けいろ断ち、退しりぞけん。残敵の脅嚇きょうかく目睫もくしょうかんへだての膜――」


 タッチの差。キュノプより先に、衣装熊の元へたどり着く。衣装熊を守るようにして、キュノプらの前に右の手のひらを突き出す。きゃいきゃいうるさいんだよ!


 「――〔到らずの空壁くうへき〕」


 ぐったりと伏す衣装熊の前に張られた不可視の空気の壁に触れ、キュノプたちは後戻りするように押し流された。


 皆一様に尻餅をつき、口をつぐんで、困惑したように大きな単眼をうろきょろさせている。


 なんだ、けっこう愛嬌ある表情もするんじゃないか。


 形勢不利と察したのか、キュノプたちは息を合わせたかのように、散り散りに遁走とんそう。ロニーと交戦する数体も散っていく。


 あいつらには膝が無いのだろうか? そう思わずにはいられない俊敏さで坂を下る奴らの背は見る間に小さくなっていく。


 こちらまで戻ってきたオリバーが、横で、一矢放った。それは鋭く、一体のキュノプ、その背を追う。が、刺さる寸前、キュノプはまるで背後に目があるかのように横へ避け、ストン、と木に突き立った。

 

 地形は向こうに味方したみたいだ。

 同じくその矢の行方を見守っていたオリバーは、ため息ともとれる息を吐き出し、静かに弓を下ろした。


 「すまん、大丈夫だったか?」


 振り返ると、こちらまで駆け戻ってきたフランクが胸を上下させていた。


 「はい。タキタさんのおかけで、何とか。とりあえず、衣装熊は守れました」


 オリバーにそんなことを言われるもんだから、驚いてしまった。

 

 「おお! やっぱおっさんはすげえんだな!」


 「……いや、そんなことないですよ」


 なんだか気恥ずかしい。


 「タキタ、ありがとう。オリバーとフランクも、よくやってくれた」


 返す言葉なく内心戸惑っていると、ロニーが斜面を上がってきた。

 どうやら一体仕留めたらしく、脇にキュノプを抱えている。


 ん? てか、キュノプってどっかで聞き覚えがあるな……。


 「いやあ、俺は結局なんもしてないんですけどね」


 フランクは面目なさげに笑みを零した。


 「はははは、それでもだよ」


 ロニーは朗らかに応え、嫌獣笛を鳴らす。


 ヒュウー、ヒュウー、ヒュウー。


 「さ、運ぼう」




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