第24話 あなたはバブみを知っているか


 目を開けると、暗闇の中。

 ベッドに寝かされているらしい。


 体を起こそうとすると、なんだか頭がふらついたので断念。


 と、そこでようやく、金髪くんとの試合を思い出した。


 ああ、うん。疲れたな。思いのほか気持ちいい疲れだ。


 心地よい風に気がつき首を曲げて開け放たれた窓を見やると、すでに日が落ちている。どうりで暗いわけだ。


 大分寝てしまっていたようだ。試合の結果はどうなっただろうか。


 ここに寝かされていたということは、お眼鏡にかなったということか?


 手を支えにして、今度こそ体を起こす。


 あれ? 痛みがない。おかしなことだ。

 執拗に腹をやられたはずだ。


 そこまで思い至って、腹に柄頭や指やらをねじ込まれたときの記憶が鮮明によみがえって、嘔吐感が湧き上がってきた。

 

 よし、これについて考えるのはやめにしよう。

 痛みがない。やった。ラッキー。それでいいじゃないか。


 ふう。


 何となくぼうっとすること五秒。


 「喉乾いたな」


 唾を嚥下し、喉の張り付きを覚えた。


 ベッドを降り、戸に手をかける。引き戸だ。カラカラカラとスムーズな開閉。上手い料理をつくるのだろうおやじのことを思いだした。


 幅広の廊下は左右に伸び、牢にあった石と思しき灯りが等間隔に並んでいる。いくつか部屋が見受けられるが、何の部屋であるかは判別がつかない。


 右方からは微かに人々の喧騒が聞こえてくる。


 さて、どちらに進もうか。


 今回は拘束されていたわけでもないのだから、ちょっと徘徊したところで見咎められることもないだろう。そう信じたい。


 蛇口か、或いは井戸か。とにかくそういったものの場所を訊きたいのだけど……。


 と、そこまで決めたところで、スキルがあることを思い出した。


 〔聖水イェロウ〕を使えばいいじゃないか。


 よし、やっぱり部屋に戻ろう。自分の処遇がどうなっているか分からない現状、必要のない外出リスクを負う必要もない。


 そう部屋に戻りかけたとき、喧騒の聞こえる方から見知った人物がやって来た。


 見上げるほどの偉丈夫。ワイルドイケメン。ギャップ萌え策士。


 そう、ロニーである。


 「あっ、目を覚ましたんですね!」


 そう言って小走りに近づいて来るのは、ロニーではなく、その隣にいた楚々そそとした白衣を身にまとった金髪美少女。


 お胸の揺れはほとんど窺えないが、その代わり金糸のような髪がふわりふわりと揺れている。


 身長から察するに、既に成人していてもおかしくはない。ということは、童顔なのだろう。


 綺麗めさんも捨てがたいが、日本紳士からすればやはり童顔。

 たれ気味な大きな瞳はそれを成す一つの要因なのだろう。また、安心したように柔らかにほころばせられた表情からは、彼女の人柄の良さがありありと伝わってくるようだ。


 包容力がありそう。


 JKママ的な。バブみが高い。

 なんだか空気が一段と美味しい、そんな気がする。


 貧乳金髪ママ。


 心の中で唱えてみた。


 よし、もう一度。


 貧乳金髪ママ。


 うん、幸せな響きだ。


 テンプレから少し外れてはいるが、これはこれでおもむきがあって悪くない。心なしか、漠然とした不安感が薄れている気もする。


 リラクゼーション効果まであるとは、おそるべし。


 金髪ママが目の前までやって来た。近い。


 異世界基準ではこれが正常なのか? 

 パーソナルスペース機能してないの? 僕は立ちション端っこでやる派なのですが。まあ、圧倒的美少女だから許す。


 てか、まつ毛の数まで数えられそうだ。


 「もう体は平気ですか? 痛みはありませんか?」


 誤って近づき過ぎたということもないらしく、そのままの距離で金髪ママは問いかけてくる。息遣いが顔にかかっている気がしないでもない。


 自分が覚えていないだけで、自分たちは付き合っているのやもしれぬ。

 日本で代わり映えのない独身生活を送る中、別の世界線では彼女にばぶばぶおぎゃおぎゃ甘えていたのかもしれない。うん、そんな気がしてきた。そうでなきゃ説明つかない距離感だし。物理的に。


 自分の身長は百七十と少し。ということは、彼女は百六十半ばくらいか。


 わずかに上目遣いで、こちらを心配そうにのぞき込んでくる。濁りのない澄み切った碧眼が痛いくらい見つめてくる。


 初心うぶさを忘れたおっさんは、たとえ非モテであってもキョどるような真似はしない。


 堂々の正視である。


 マジ可愛すぎる。

 火傷しちゃいそうだぜ。

 

 精神的距離はいかほどか、お尋ねしたい。けどまあ怖いので止めておこう。


 思考をクリアにするため、一度すんすんと新しい空気を取り込んだ。


 するとどうだろう、甘く優しい匂いが鼻腔をくすぐるではないか。


 これが噂に聞く美少女の香り……。


 もう一度吸いたくなって、泰然自若たいぜんじじゃくとしたまま、くんかくんかした。


 甘やかな香りが全身を駆け巡る。


 爽涼としていながらも温かく包み込んでくれるこの感じはまるで、羊水の中の胎児のよう……。


 そうか、そうだったのか! 

 

 金髪ママは彼女なんかじゃない。やはり正真正銘、ぼくのままだったんだ!


 そうと分かれば、このまま衝動に身を任せて、「……実は、まだ調子が悪いんです」と答えてしまえばいいのではないか! 

 それから、よしよししてもらうのだ! 膝枕をしてもらって、よちよちぽんぽんと頭を撫でてもらうのだ! 何という策士! 自身の聡明さがおそろしいっ!


 「タキタ、もう動いても大丈夫なのか?」


 はっ!

 

 金髪ママを挟んで聞こえてきたロニーの低い声に、我に返る。


 ……ふう。


 思考が別の世界線にさらわれてしまっていたようだ。


 そうだ、俺は先ほどまで壮絶な死闘を繰り広げてきた男なのだ。


 キリリと佇まいを引き締め、自然な動作で一歩後退。金髪ママと適切な距離を取る。自然、匂いも遠ざかる。


 寂寥せきりょう感が押し寄せてきた。


 心地よい匂いが自分の中から消えてしまわないように、今のうちに吸いきってしまうおう、そうして自分の中に閉じ込めてしまおう、と天才的なアイデアが浮かんだ。


 すぅぅうううぅぅぅ。


 辺り一帯の空気を全て吸い込む。


 ……ああ、凄い…………。


 幸せ一杯だ。もう幸せで体が破裂してしまうかもしれない。でもそれもいいかもしれない。それでいいかもしれない。


 「どうした? やっぱりまだ寝てた方がいいんじゃないか?」


 「すみません……。まだ腕が未熟で…………」


 心配するロニーに次いで、金髪ママが自身の不甲斐なさに傷心するようにうつむいた。


 「いえ、特に問題はないです。ほら、このとおり」


 理由はよくわからないが、ママを悲しませるなど言語道断。いつになく堂々とした声音が出ていた。

 加えて、腕をぐるぐる、屈伸などもして見せる。


 「そうですか! それは良かったです」


 金髪ママがほっと安堵する。自分もほっと安堵した。


 「彼女は治癒師なんだ。タキタが倒れた後、治癒魔法をかけてもらった」


 ロニーの言葉を受け金髪ママを見ると、にこっとしてくれた。そのまま抱きしめてもらいたい。


 「はい、治癒師のマリアです」


 ちゆし? 治癒師。

 ああ、そうだろうそうだろう。治癒師に違いない。天然セラピストである。


 ママはお医者さんだったみたいだ。


 ママが主治医なのであれば、もっと寝とくべきだったなあ。なんて愚かな自分……。いっそのこと、羊水の中からやり直したい。


 「その、ありがとうございました」


 「いえいえ、良くなったなら何よりです」


 花咲くような金髪ママの笑み。


 その笑顔を守るために生まれてきました、はい。




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