第14話 おうちに帰って休みたいですぅ……(ヒュゼン神国下級神官 ナミア視点)


 急なご用命に応じ、とある神殿へやって来た。


 神都にある神殿庁。

 

 神国に数多くある神殿の中でも、神殿庁には格式の高い神殿が集まっている。


 神官見習いの時も神殿庁で生活していたが、こんな中心地へ足を踏み入れるのは初めてのことだ。

 ここへ至るまでも、事前に渡されていた通行証を何度も提示し、その度に緊張で吐きそうになった。


 今、その緊張が最高潮に達している。


 何か粗相をしでかしたら、私の首などたちまち消し飛んでしまうに違いない。


 目の前、視界一杯に広がる白亜の神殿。

 格式最上位、三大神殿の一つ、ロレ神殿。


 「本当にここであってるの……?」


 神官であれば喜びいさんで行くところなのであろうが、胃がきゅるきゅると鳴るばかり。そんな気分には程遠い。


 なにせ、私は下級神官。


 下っ端も下っ端なのだ。つい最近スタートラインに立ったばかりで、積み上げてきたものがあるわけでもない。


 なのに、何故こんなとこに呼ばれたのか……。もう、悪いことが起こるとしか思えない。


 辺り一帯の粛然とした様子が緊張に拍車をかける。

 深閑としている中、音を立てているのは私の心臓だけ。


 そこでふと、私に通行証を渡した時、セス神官ががくがくブルブルしていた姿を思い出した。


 いつものおっかない顔が、死人のように蒼白くなっていたなあ…………。

 

 「……ああ、吐きそう」


 こんな神聖な場でほんとに吐こうものなら死が逃れようのないものになってしまうため、込み上げてくるものを辛うじて堪える。


 どうせ、約束を反故ほごにすることもできないんだ。


 無理やり自身に発破をかけ、一度大きく深呼吸。決意を固め、入口へ続く階段へ足をかけた。


 「おや、ナミア君というのは君のことかな?」


 心臓が跳ねた。足が止まる。

 右足だけ階段に乗せた、間抜けな状態で硬直した。


 耳に届いたのは、おおらかな声。

 見上げると、階段の一番上に一人の男性が立っていた。


 下っ端神官である私の名前を知っている? 


 ということは、この人が話にあった人だろうか。


 錫杖しゃくじょうを持つ藍色の髪をしたその男性は、成人したばかりの私と比べれば、さすがに大人っぽい。が、まだかなり若い。三十はいっていないように見える。


 しかし隙なく着こなされた白い神官衣を見れば、黒の刺繍。紛れもない、神官長の証だ。


 神官長。


 それは上から数えて三番目。下っ端神官からすれば殿上人のようなお方。


 「はっ、はい! ご用命をたまわり、参上いたしました! 下級神官のナミアと申します!」


 右足を下ろし、かかとを合わせ、全身全霊のお辞儀。


 完璧に清掃の行き届いたちり一つない地面を見ながら、しまった! と果てしない後悔にさいなまれた。


 勢い余り過ぎた。見習いの時にあれだけ鍛錬してきた礼儀作法がぶっ飛んだ。


 これはもう、決まりだろう。地獄行。


 礼儀もわきまえていないようなやからが神聖な地をけがした末路がこれです。


 さようなら、お父さん、お母さん。

 ちょっと早いですが、私、死にます。


 「うん、フレッシュでいいね!」


 そう思っていたのだが……。


 シャラシャラと錫杖しゃくじょう遊環ゆうかんが跳ねる音。とととんとん、と軽快なリズムを刻む足音。


 「小さくも大きくもない、思春期をそろそろ終えようかという年頃の、蜂蜜色の髪をもった女の子。やっぱり、君がナミア君で間違いないみたいだね!」


 ん? あれ? おとがめ無し?

 上げてから落とすパターンなの?


 「それ、癖かなにかなのかな? ほら、早く行こうか」


 いまだ頭を上げない私に向かって、神官長はおっしゃった。


 神官長がこんな軽快なステップで階段を下りることがあるなんて……。

 ていうか、こんな神聖な場で跳ね回るような人がいるなんて……。


 心中はそんな場違いな驚きに満ちていた。


 「ぅう~ん? そんなに面白いものでもあるのかな? どれどれぇえ?」


 いまだだ動かない私を見てか、神官長は私と同じように地面を覗き込み始めた。

 

 いや、別に地面を覗き込んでるわけじゃないんですけども。


 「うん、やっぱなんもないじゃん。ナミア君、君は変わってるんだね。そうか! 君がいわゆる、変人ってやつか!」


 なにやら良く分からないが、神官長はお喜びのようだ。


 しかし、私は思った。


 神官長、あなたの方がよほど変人だと思いますよ。


 「さっ、いこいこ!」


 「あの、……いいのでしょうか?」


 「ん、何が?」


 全く心当たりがないというように、間抜けな神官長の声が返ってくる。


 「あ、いえ。何もないならそれでいいんです」


 「ほぇー、一人で何言ってんの? ほんと変わってんだなあ、君」


 何だろう、変人は変人だけど、よりうざい感じのやつだ。自由人っていうかなんというか……、うん。

 友達の友達がこれをマイルドにした感じだ。


 きっと、神官長の感性を理解することはできないのだろうな。


 「んじゃ、ほんとのほんとに出発!」


 神官長が大声で張り切って言うと、私は誰か偉い人に咎められやしないかと戦々恐々と辺りを見回した。


 ほっ、誰もいないようだ。


 というか、神官長も神官長なわけで、とっても偉い人なんだった。


 まだ出会って五分と経っていないというのに、私の中の神官長像がどんどんと崩れ去っていくよ……。


 こちらのペースなんかお構いなしに大股でぐんぐん進んでいく神官長へ小走りでついていきながら、その背中に問いかけた。


 「あの、ミスチーフ神官長、どこへ行くのでしょうか?」


 「あー固い固い!」


 「はい?」


 「呼び方、もっとフランクにいこう! フレンドリーにさ。道行きは長いんだし」


 「は、はあ……」


 「それじゃ、もう一回」


 「……はい。そ、それじゃあ、ミスチーフ先輩、……とか」


 「ああうんっ、悪くない! 先輩って響き、憧れてたんだ! でも、まだ固い!」


 「ええっと、それじゃあ、ぱ、パジム先輩で……」


 「もうちょっと!」


 「……パジムさん」


 「……うん、まあ良しとしよう! で、なんだったっけ?」


 「…………はい。それで、どこに向かうのかなあ、と」


 つ、疲れる……。


 「あれ? そういや、まだなんにも説明してなかったかな。行先はランルイス王国。とりあえずは、王都レパティージェ」


 「えっ! そんな遠出するんですかっ。荷物はおろか、目的も何にも聞いてませんよ!」


 「ん、言ってなかったっけ? セスさんに伝えたような気がしないでもないんだけどなあ。……ま、セスさんが伝え忘れたってことはないだろうから、多分、僕が忘れてたんだろうね」


 神官長はあっけらかんとおっしゃった。


 うん、ちょっとこの人、早速ついてける気がしないのですが。誰か助けて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る