第2話 こういうパティーン!?


 あれ?


 もう転移は完了しているはずだ。でも声はかからない。


 というか、これは外だな。なんだかにぎやかな感じだし、暑い。頭皮が焼ける。


 これじゃあ登場シーンが台無し、と思わないでもないが、まあ仕方ない。


 とりあえず顔を上げるか。


 よっと。


 目に映るは、賑やかに盛り上がるまちの風景。


 町、よりも街といった感じ。

 広々とした通りの両脇に並ぶ、絵と文字を用いた看板が掲げられた建物はなかなか立派なものばかりで、現代と中世をミックスさせたような異世界服を身に纏う人々は都会っぽさ満点。滑らかに舗装された道の上をからからと進む馬車の姿も見受けられる。


 転移先は予想と違ったが、紛れもない異世界。王都っぽい街のメインストリート。


 

 異世界。異世界。異世界。異世界。異世界。異世界異世界異世界異世界異世界異世かいいいぇぇぇえええええぇぇぇい!


 


 喉まで出かかった喜びの声を何とか心中で抑えることに成功した。さすがに街中で叫んじゃまずいだろ。これでもモラルはあるんだよ。なんたって大人だからね。


 人の往来もけっこうなもので、多くの人と視線が交じる。にしてもこれ、ちょっと見られ過ぎじゃないか? 


 やたら見られているような……。


 そもそも、自分の周りだけ人がいないような…………。


 もしや、既に勇者特有のオーラを発してしまっているのか? 


 あるいは、転移したことによってイケメン補正が入ってしまったのかもしれないな。


 

 ふふ。


 そうなると困ってしまうなあ。あまり目立ちたくないというのに、人気者になってしまうじゃないか。


 ふふ、ふふふふ。


 まあ、仕方ないか。


 ふふっ。


 とりあえず、今の自分の状態を確認してみようじゃないか。さあて、どれどれ?


 両の掌で顔をさわさわ。


 ……さわさわ…………さわさわ…………。



 平たい顔に領地開拓せわしい額。たゆんと揺れるキュートなお腹。


 昨日誕生日を迎えるとともに結婚を諦めた三十半ば、小太りのおっさんがいました。


 すっと通った鼻梁に切れ長の瞳、スラリと伸びた手足に鍛え上げられた肉体をもった自分はいなかった。これは予想外。


 うん、変化なし。なーんも変わってないね。転移しても自分の知る自分のままだ。こんな自分でも、愛してるぜ。


 

 おや、何やら喧騒がこちらに近づいているみたいだ。後ろの高貴さをかもし出している馬車からは、怒鳴り声が聞こえる。


 ん? なになに? 


 「フケイナヤツメ、サッサトミチヲアケロ」って? 


 うーん、分からな~ぁい。ワタシ、イセカイゴ、ワカリマセン。


 もっと現実を直視してみよう。


 平たい顔の小太りなおっさん、たゆんと揺れるお腹。パンツと靴下。



 …………パンツと靴下。


 いや、気づいてはいたさ。転移する瞬間に自身の腹が目に映ったもの。


 浮かれすぎて服着るの忘れてました。うっかりうっかり、うっかりね。


 でも仕方ないじゃん? ドキドキワクワクだったんだし。


 大通りのど真ん中にぽつんと佇む露出狂。

 はい、私が変態です。


 「おいっ! そこの不敬者!」


 「って! やべえぇえええー!」


 回せ回せ回せ! 脚を回せ! 完全に俺を捕らえに来てるぅー! 

 馬車に続いて、警備隊っぽいのまで追いかけてきてるうぅううぅうう! 


 知ってるよ俺! こういう世界の倫理観がけっこう殺伐としてるの! 

 貴族な方々が「あら?こんなとこに羽虫がいるわ」てな具合にバッサリとって、てへぺろってするの! 


 ヤバいヤバいヤバいヤバい! 

 ここで捕まったが最後、ハッピーな異世界生活が開始早々詰んでしまう!


 とりあえずこの街を出よう。街を出るのもリスクがあるが、何の伝手つてもない状況で留まってもバットなフューチャーが目に見えている。


 てことで、全力で大通りを駆け抜ける。

 個人的な感覚としては、オリンピックも夢じゃないくらい。


 賑わう人々は何を恐れたのか、道を空けてくれる。目の前の障害がさっと割れる。


 もしかしたら、自分はモーセ的英雄なのかもしれない。後ろに続くのが苦しみ喘ぐ民だったのであれば、そうと確信していたってのに、現実は非情だ。


 振り向けば、貴族様が乗っていると思しき豪華な馬車。華美であるがくどさはなく、どことなくセンスを感じるデザイン。


 くっ。おしゃれさんめ。


 平民の敵ポジションな貴族は、やたらめったらきんきらにする肥えた豚貴族って相場が決まってんだぞ。おしゃれさんじゃ愚痴りずらいじゃないかっ。


 そしてその後ろには警備隊っぽい男たち。 

 そろいの装備がかっこいい。コーディネートのアクセントとして槍を持っているようだ。ほんと皆、おしゃれさんだなあ。あれで突かれた日には、いくら勇者や英雄だからって死んじゃうと思うんだ……。


 顔を前へ戻す。


 私はこんなところで捕まるわけにはいかないのだっ。約束の地へ行くまではっ。


 こちらが身軽な分、警備隊の方は何とかなりそうだが、このままではさすがに馬車はけない。

 

 ということで、さっと脇道に入る。馬車が入るには難儀する道幅。これでまだ見ぬ貴族様とは距離がとれるはず。警備隊はすんなり追いかけてくるが、これが火事場の馬鹿力ってやつだろうか。人生一身体が動いている。


 蝶よ花よと深窓しんそうの令嬢ばりに育ててきた脚はガタガタ悲鳴を上げているが、ここで止まるわけにはいかない。止まってなどやるものか。


 走りながら脱出の算段を考える。


 先の光景の記憶を手繰たぐるに、あの通りは確かにメインストリートっぽい感じらしかった。群衆が割れ視界が開けたその先に、巨大な門が見えたのだ。そして、幸いその門は開いているようでもあった。


 よしっ、もう一度大通りに出て、風をも置き去りにするダッシュだ! 

 この街さえ抜け出せば、素晴らしい冒険譚が幕を開けるに違いない! 



 「ごふっ」


 と思った矢先、角で誰かとぶつかった。そのままうつ伏せで転倒。


 「ぐえっ」


 腹からの着地を決め、おっさんのうめき声。自身の口かられていることに驚いた。まさに潰れた蛙のよう。


 なんというか、……うん、惨めな気分だ。


 それより、相手の方は大丈夫だろうか。よく見えなかったが、背丈的に相手は男性だろう。


 変態スタイルの小太りなおっさん、それも死に物狂いの突進だ。


 美少女との「きゃっ」「大丈夫かい?」「はい……」な感じの出会いでなくて申し訳なく思う。


 美少女に変身する能力でもあればなんとかなりそうだが、あいにくTS能力は持っていないんだ。

 

 おっさんはおっさん。

 悲しいかな、おじいさんに進化(?)を遂げるまでずっとおっさんなのである。相手はさぞかしご立腹に違いない。


 と、そこである物が目についた。


 目と鼻の先、手を少し伸ばせば届く距離。暑い日差しを受けてキラリと輝くのは一枚のコイン。大きさは、五百円玉を二回り大きくしたくらい。


 もしかして硬貨か?


 だとしたら、これは願ってもないチャンスだ。逃げおおせたとしても、一文無しとあっては二進にっち三進さっちもいかない。

 お決まりの冒険者になるにも、登録料やら何やらが必要になるはずだ。


 ……が、これを盗ってもいいものか。この緊急時、ただ盗るだけならそれほど良心も痛まないような気がする。

 しかし、持ち主は十中八九ぶつかった相手だろう。そこが躊躇ためらいを加速させる。


 「すみません。怪我はありませんか?」


 心中で繰り広げられる天使と悪魔の言い合いに決断を下せないでいると、頭上から声をかけられた。

 影が差し顔を少し上げると、動きやすそうな皮鎧が目に入る。


 ぶつかった相手だ。


 硬貨を落としたことにはまだ気がついていないらしい。位置的に硬貨を盗ってもバレなさそうだ。


 にしても、おっさんの突進を食らったにもかかわらず剣を突き付けるでも声を荒げるでもなくこちらを気遣ってみせるとは。なんていい人だ。


 肉体的疲労とともに精神的疲労を覚えていた時に現れた良心的な人物。


 その瞬間、悪魔は地に倒れ、天使がブイサインを掲げた。


 「いえいえ、大丈夫です。――」


 そうだ。自分は何を考えていたんだ。お金を盗もうだなんて。 


 「――本当に申し訳ありませんでした。そちらこそ、お怪我はないでしょうか?」


 自身にいましめを与えながら上半身を起こし、目が合った。


 こちらを助け起こそうと手を差し伸べる青年。こちらを心配していることがありありと伝わる、透き通った碧眼へきがん


 「はい、僕も大丈夫です」


 そして数秒。

 

 こちらがぽかんとして動かないことに疑問を覚えたのだろう。

 「本当に大丈夫ですか?」と、気遣わし気に問うてくる。


 「あっ、はい。ほんとにだいじょぶです」


 一拍遅れ、金髪美青年に答えた。


 うん、最初からどうにもイケメンボイスだと思っていたんだ。


 青年に見咎められないよう、こそっと硬貨を握る。

 天使は悪魔の尾に突き刺され、困惑の表情。悪魔は悪い笑みを浮かべた。


 これは、そう。君の罪だ。君が爽やかイケメンなのがいけないのだよ。


 ぶつかったことに対する小さな謝意を示し、即座に駆け出す。手にはしっかりと硬貨を握って。


 「あ、あのっ!」


 なおも心配そうに声を掛けてくる金髪美青年のテノールには見向きもせず、ひた走った。


 「異世界イケメンの畜生めぇえええーっ!」


 無傷ではなかった。なにせこちらはほぼ全裸なのだ。

 がっつり打ち身をくらい、擦れた皮膚からは血が出ていた。血を出すなんていつ以来か。本当のところ、全くもって大丈夫ではなかった。少し涙したいくらいだった。



 しかし、先ほどよりも力が湧いている。不思議だ。


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