大切にしたいの

 ふと気付くと、いつの間にか約束の公園までたどり着いていた。

 時計を見ると、13時50分。

 随分とゆっくり歩いたらしい。そして、随分と長く回想に耽っていたらしい。

 公園に入り、なるべく木陰の中にあるベンチを探した。夏休みだというのに、どこか旅行へでも出かけているのだろうか子供は1人もいなかった。

 ベンチに腰をおろし、夏の空気の中で静かに目を閉じた。



「久しぶり」

 斜め上方から聞こえた懐かしい声に、はっと意識を取り戻す。目線を上げれば、記憶の中よりも幾分成長した姿。

 3年ぶりの教斗は少し背が伸びて、顔つきも凛々しくなったように見える。

「ナリ、綺麗になったな」

 そう言ってくしゃりと笑う顔は変わっていない。

「ミチトは、…変わってないね」

「おい、そこはかっこよくなったって言えよ!」

 ふたりでまたこんな風に笑い合えるなんて、思ってもみなかったことだった。

 教斗は私の左側に腰をおろす。それから私達は、しばらく世間話やお互いの今のことを話した。

 教斗はなんと、四年制大学を中退し、今は芸術系の短大で写真を学び、カメラマンの助手として日本を飛び回っているらしい。

「すごい、そっか、頑張ってるんだ」

「まぁな、きついこともあるけど…好きなことだから続けられてるよ」

 そう言った教斗の笑顔は、あの日の海のようにキラキラ輝いていた。

「ナリは…今年4年だっけ?就活?」

「うん、一応ね」

「そっかぁ~…」

 ふと訪れる沈黙になんだか少し居心地の悪さを感じる。あの頃はこんな静けささえ楽しかったのに。

「…今日、来てくれてありがとな」

 目を臥せた教斗に、突然本旨を突かれて心臓が跳ねる。

「…ううん、連絡、くれて嬉しかったよ」

「そっかぁ、…」

 教斗は何か言いたげに、語尾を少し伸ばした。私は教斗がその先を言い出し易いように、目線でどうぞと促した。

「…俺…ずっと、ナリのこと引き摺ってた」

 どきり、としたけれど、小さく首を縦に動かしたまま、静かに続きを待つ。

「ずっと、もしかしてまだ好きなのかなーって考えててさ」

 教斗は教斗らしく、たどたどしくも一言一言丁寧に言葉を紡いでいく。かつてはそれをとても愛しく感じていたことを思い出した。

「でもさ、最近大切な人が出来て…あ、師匠の妹なんだけど」

「へぇ」

 思わず出た私の相槌に、教斗は困ったような恥ずかしいような変な苦笑を顔面に作った。

「で、俺はお前のことが好きだから引き摺ってたんじゃないって気付いたんだよ」

 教斗はベンチの上で私に向き合って、そう言った。彼が何を言いたいのか、私は判りかねないまま続く言葉を待った。

「…後悔なんだ」

「…後悔?」

「約束を、果たせなかった後悔」

 そして教斗は静かに目を閉じた。

「あの頃は愛が何か判りもしなかったのに、簡単にお前を幸せにするとか息巻いてた」

 あぁ覚えている、確かにあの日、沈みゆく夕暮れの中で交わした約束は、幸せにするという言葉だった。

「なのに結局、愛じゃなかったなんて傷付けて…」

 別れは徐々に寂しさを募らせながら、訪れた。

「愛を語る程には想えなかった」

 教斗の最後の言葉に傷つきながらも、実は私もそうでした、なんて考えていた。

 結局は私も教斗も、愛なんて良く判ってなかっただけだったのだ。

「幸せにするなんて、あの頃のあんなちっぽけで無知な俺なんかには、重さが判んなかったんだよ。……未来が見えなくて怖かったんだ」

 ゆっくり目を開けた教斗は、静かに言った。

「約束、守れなくてごめんな」

 私は教斗の言葉を噛みしめながら、ようやく理解していた。

 囚われていたのはあの日の約束。幸せにすると誓ってくれたあの優しさ。

 その約束が守られることなく終わってしまったからと、心の何処かで自分の気持ちが宙ぶらりんのままだったんだ。

「もしかしたら私…その約束が守られる時を、勝手に期待してたのかもしれない」

 私が口を開くと、教斗はゆっくり頷いた。

「なのにそんな自分にもずっと気付かないで、そのまま引き摺って…ばかだよね」

 そうだ、そうだったんだ。

 真希さんは、囚われてはいけないが忘れる必要はない、と言った。

「私…自分が幸せにしてもらうことしか、考えてなかったのかな…」


 愛ってなんなの?

 あの頃からずっとあった疑問に、ようやく答えが見つかった。確かに若かった私達には、愛なんてはっきりとは見えなかったんだ。

 軽々しく、「愛」とか「幸せ」を口にしたわけじゃない。私達はあの頃、あの時なりに精一杯、幸せを感じていた筈だった。

 それだけで充分だったのに、増えてゆく知識と未来への不安が積み重なって、きっとそれがぺしゃんと押し潰されてしまったのだ。

 今なら判る。

 今の私には、愛したい人が居る。

「私、行かなきゃ」

 愛を伝えなければいけない人が居る。

「うん、俺も、もう行くよ」

 教斗は私の知らない顔で笑った。

 変わらない、なんて嘘だ。やっぱり、成長している。

 そして、きっと私も。

 ふたりでベンチから腰をあげて、ゆっくり向き合った。そして、どちらからともなく握手を交わす。

「ミチト…あの頃、最後まで自信持って愛せなくて、ごめんね」

「俺も…臆病で、ごめん」

 一瞬、お互いに握る手に力を込めて、離した。

「今日、ナリに会えて良かった」

「私も」

「またな」

「うん、また」

 屈託なく笑顔で別れることが出来た私達には、もう囚われが無くなったんだと思う。

 今なら、未来に向かって歩いてゆける筈だ。

 背中合わせに2人は公園を去った。


 違えた道だけど、また交差点で出逢えた。そして2人で笑って話ができた。

 それだけで、あの時のふたりの選択は間違いではなかったのだと思えた。


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