楽園は今もなお

 何時間そうしていただろうか、気付けば辺りは薄暗くなっていて、半袖の肌寒さに夕方なのだとなんとなく思う。

 ふと思い出して、ぐしゃぐしゃに丸められた封筒を手にした。さっきはあんなに暴走していた心臓も、今はうんともすんとも言わない。どうしてあんなに動揺したのかも、今ではよく判らない。

 封筒を伸ばして封をきると、中には便箋が1枚、その便箋には3行だけ、日付と時間と場所、そして会いたいという言葉だけが書かれていた。

 明日の14時、あの頃よく寄り道した、下校途中の公園だった。



 思い返せば、私にとって教斗との日々は、まるで楽園のようだった。

 季節はいくつも体験したのに、思い出すのはいつも夏。

 アスファルトの照り返しに滲む汗。

 塩素の香りと水泳部の声。

 蝉に負けないように大きな声でした会話。

 木陰で昼寝をした青く繁る草むら。

 まるで楽園だと笑った笑顔、そして約束。

 何もかもが全てこの季節に集約されていた気がして、どこを切り取っても半袖の君が思い出の中で笑っている。

 夏がくれば君を思い出す、だなんて、そんな風に縛られる為の思い出なんかじゃない筈なのに。

 重い腰を上げて、玄関から部屋の中へと移動した。

 パッケージの空いたまま机に放置されたDVD。そして消えたデッキの電源。

 私はそのままベッドへ潜り込む。

 その夜は久しぶりに、夢を見ない程の深い眠りだった。


 昼過ぎ、うるさいくらいの蝉時雨に目が覚めた。

 しっとり汗をかいた身体に、これでもかと夏を感じる。

 時計を見ると、11時を5分過ぎたところ。我ながら寝過ぎだと苦笑する。

 14時、あの公園に行くことはもう決定事項になっていた。

 私にとって、過去はいつも楽園だった。どうしてだろう。彼はどうなんだろう。

 私には知らなきゃいけないこと、気づかなきゃいけないことがたくさんあるんだと思う。

 だから、会いにいくのだ。

 シャワーを浴びて支度を済ませると、時刻はちょうど13時だった。

 元々、一人暮らしといっても実家は駅ひとつぶん。ここからあの公園までは、歩いても30分とかからない。

 少し早いけれど、私は家を出発することにした。


「あつ…」

 真夏日で、しかも真っ昼間だ。太陽はここぞとばかりに容赦無く降り注ぎ、肌を否応なしに焦がしていく。

 蝉たちも休む暇なく鳴き続けていて、まるで残り少ない日々に、自分の生きた証を必死に刻みつけようとしているみたいだ。

 そうして歩きながら、私はまたあの頃を思い出していた。

 デートの時間に遅れて電話越しに謝罪しながら歩いたのも、確かこんな真夏日だった――――




「一言いう、遅い!」

「ごめん!」

 公園の日陰になったベンチでふんぞりかえった教斗と、平謝りしながら顔色を伺う私。

「じゃあジュースなっ」

 くしゃっといつもの顔で教斗が笑うから、私も笑顔で頷くことが出来た。

 缶ジュースを片手に近くの海まで散歩する。

 車の多い国道は避けて、田んぼのある小道を歩く。夏休みを迎えた日本は何処へ行っても子供ばかりらしく、普段学校に押し込まれている子供たちは、今しかないとばかりに遊び呆けている。

 もちろん私達もその仲間だ。

「あっついねー」

「夏だからな」

「海、人多そー」

「だなぁ…でも実は俺、人いない穴場知ってるもんね!」

「えっ!そうなの!?」

「ああ、去年行ったとき見つけたんだぜ」

「さすがミチトー!!今日はそこで避暑だねーっ」

「仕方ない、ナリには特別にその穴場を教えてしんぜよう」

「何よえらそうに!」

 他愛ない会話も、教斗だから花が咲く。他の人とはこうはならない。

 握った手がしっとり汗ばんで、熱が身体じゅうに巡るのが判る。

 全身で恋をしている、そう感じていた。


 小道を抜けると、そこはたくさんの人で溢れた海水浴場だ。すごい人の群れ。

「こっち」

 腕をひかれて、来た道から右へと折れる。

 ちょっとした岩山を登り草をかき分け、太陽の光が盛れた木の葉の隙間に潮風を感じた。

 軽く探検をしているような気持ちになって、不安の中で繋いだままの教斗の手を強く握る。大丈夫だよ、と返される熱に嬉しさが込み上げていく。

 しばらくそうして歩いていると、少し細くなった、いわゆる獣道のような道に出た。

「この先だ」

 その声にドキドキと胸が高鳴る。

 その獣道を少し進むと、急に拓けた空の下に、乱反射してキラキラ輝く青い海が広がっていた。

「…う、わぁ…」

 岩場といくつかの樹木で仕切られたその場所は、遠くの人々の喧騒からそこだけ切り取られたみたいに存在していた。

 椰子の木に似た植物がいくつか生えていて、まるで…

「なんか、楽園ってカンジしない?」

 くしゃっと笑顔で教斗が言った。

「うん!する!」

 そう、まるで楽園だ。

「Paladise!ってか?」

「Paradise、でしたー、残念!」

「なんだよ細かいな!」

「来年は受験生ですからね、教斗くん?」

 教斗はうるさいなぁ、とふてくされて、私の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

「もうミチト!」

「あははっ」

 ふてくされてた時間なんて、ほんのわずか。

 教斗はあっという間に海辺まで駆け出して裸足になった。

「ナリ!早く!」

 海へ入りながら笑顔で呼ぶ彼に、つられてこっちも笑顔になる。

「ずるいよミチト!」

 そう言って私も海へと駆け出していった。


 夕陽が傾き始めた頃、遊び疲れた私達は岩場の陰でひっそりと佇んでいた。

「疲れた…」

「俺ら、高2にもなって海で全力とか…どんだけだよ」

 ははっと教斗が笑って、私もつられて笑い出す。笑顔の連鎖はいつも教斗から起こっていた。

「ここ、なんでか誰も来ないからさ、俺らの秘密基地にしようぜ」

「おお!いいね!」

「来年もどーせ、一緒にいんだろ、俺ら」

「…うん、そうだね、きっと」

「じゃ、来年もこの楽園みたいな秘密基地で…」

「じゅけんべんきょーかな!!」

「うえ~~~っまじかよ~~」

 来年も再来年も、当たり前みたいに一緒にいると思っていた。世界はずっと教斗と同じスピードで廻っていくものなんだと思っていた。

「…夕陽、キレーだねぇ」

「Paradise、だかんな」

「ふふ、よくできました」

 2人並んで沈んでゆく夕陽をずっと見つめた。

 どちらからともなく、手を重ね合わせた。

「…なんかね、心臓がぎゅってする」

「……俺も」

 夕陽が沈む瞬間、小さな声で名前を呼ばれた。

 振り向くとそこには珍しく真面目な顔をした教斗がいた。

 そしてゆっくりと、夕陽が地平線に吸い込まれるくらいのスピードでゆっくりと、唇を重ね合わせた。

「…幸せって、こういうのをいうのかなぁ…」

「ばか、こんなの幸せのうちに入んねーよ」

 真面目な顔が、切ないくらい笑顔になった。

「俺が、為をもっともっと幸せにしてやるから」

 心臓がぎゅっとわしづかみにされたみたいになって、私は何度も頷くしか出来なかった。


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