今を生きている
恋をしたけれど。
誰にも負けない、そんな恋を、あの楽園の中でしたけれど。
愛を語る程には想えなかった、と言ったあなたに、実は私もそうでしたなんて言えなかった。
「愛ってなんなんだろう…」
公園の木陰に隠れて、真希さんに諭された言葉を反芻してみる。
彼女は囚われることは無駄だと言ったけれど、忘れる必要は無いと言う。
…正直言えば、忘れることなんて、全然出来てない。だから忘れなきゃいけないと無意識に心を圧迫しているのは事実だった。
だけどそれは、囚われているのとは違うんだろうか?
では一体私は、何に囚われているというんだろう?
…あの楽園を生きた日々とひだまりみたいな彼を忘れられないことが囚われでないのなら、どうやってこの気持ちを整理すればよいのだろうか。
と、突然カバンに入れたスマホが振動を始めて思わず肩が揺れる。3度震えて静かになるそれは、「まだ?」の合図。
開くと”和樹”の文字が赤く光った。
「あ!カット終わったら電話するんだった!」
物思いに耽ったせいで、このあとのデートのことはすっぽり頭から抜け落ちていたらしい。
急いで和樹の電話番号に通話ボタンを押す。待っていたかのように繋がる彼の声は少し拗ねた様子だ。
そういえばあの夏の日も、こんな風に謝っていた気がする――
そんなデジャヴに心を揺らされて、逸らしそうな気持ちに気づいて頭を振る。
今を生きていかなければ。
私は大きく息を吸って木陰から立ち上がり、夏の空気へと飛び込んでいった。
「ね、ほんとにジョーズなんか見るの?」
和樹は、先程からずっと納得いかない様子だった。部屋に着いてもなお、私にその言葉を問いかけてくる。
「だって和樹、何でもいいって言ったじゃん」
「言ったけどさぁ…洋画なら他にも…ほら、タイタニックとか」
「和樹はそういうの好きだよね、なんていうか…王道ってやつ。これもそうだし」
「…でも普通女の子ってそういう王道が好きなんじゃないの?」
レンタルショップから借りてきたDVDでお家デート、これが私達の最近のブームだ。
「和樹、スピルバーグ好きだからいいじゃん」
「いや、スターウォーズとジョーズはちょっと違うだろ」
気安い会話をしながら、カフェオレを淹れてソファに腰を落ち着けた。プレーヤーの製造会社のロゴをぼーっと見つめ、起動音に耳を澄ませる。
あれから、いつものレンタルショップで待ち合わせをした私達は、おうちデートをすべくDVDを見繕った。私が1本、和樹が1本。それぞれ見たい映画を選んで、ジャンケンで負けた方が会計をするルールだ。最近は私が3連勝という快挙を成し遂げていたが、今日の勝負でその記録は4連勝に塗り替えられることとなった。
ショップにはSummerコーナーなるものが登場しており、私はそこから『ジョーズ』を手に取る。
和樹はと言えばラブストーリーのコーナーで真剣に洋画を物色していた。
「ね、和樹、私これにする」
視線を私の手元に向けた和樹の表情が、明らかに戸惑ったのを私は見逃さなかった。
「あれ、だめだった?」
「いや…えと、本気?」
「うん」
「……」
引きつる彼に、私はひらめくものがあってニヤリと唇を歪ませた。
「ははぁん、さては和樹怖いんだな?巨大サメが」
「ちが」
「だぁいじょぶ、私は怖くないから掴まってればいいよ!」
「だから、違うって!」
私がからかうと、真面目な和樹は少し頬と耳を赤くして怒る。そういう所が可愛くて、私はそんな魅力に惹かれたから彼の側に居るんだ。
忘れられない人の存在は確かだけれど、私にはこの人が居るから、この大切な人の為に、過去を忘れようとしている。
大丈夫、忘れられる。今はこの人が、誰より大事だと信じられる。
「あは、ごめんごめん」
「あのな為、あんまり人をからかうもんじゃないぞ」
そう冷静に諭した和樹が、大人ぶってることはバレバレだ。それを知ってる私は、1人でニヤニヤと頬を歪めているしかない。
そのあと和樹が『ローマの休日』を選び、2人はコンビニを経て私のアパートへと向かったのだった。
「ねぇ、なんでジョーズなの?」
一旦納得した癖に、和樹は未だにジョーズに固執していた。
「んー…だってアメリカの夏って、楽園って感じでなんか楽しそうじゃない?」
私がそう言うと、和樹は信じられないという顔で私を見る。
「いやいや、だからってこんなパニック映画!?」
「なんだ、やっぱ和樹怖いんじゃん」
「だから違うって」
私が笑えば彼は冷静ぶる。
そのやり取りに、私の心はそっと安らぎを得ていた。
…もしかしてこれが、愛ってやつなんじゃないの?
探していた答えを手探るように和樹に触れた。隣に座る彼が、そっと私を見つめる。
私から近付いて唇を寄せた。ゆっくりと、和樹も瞼を臥せる。
しかしそれは、突然の機械的な来客を知らせる音に阻まれてしまった。
「……チャイム」
「……うん」
名残惜しむようにちょっと待っててと和樹に声を掛けながら、誰が来たのかと玄関へ向かう。
ドアを開けるとそこに立っていたのは郵便配達員だった。
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