間話 闇夜に生きる者たち

「首領。ご報告いたします。殿下を無事保護したとのこと。賊の制圧も順調に進んでいるようです。」

「……。」

「…首領?」


 黒装束を身に纏った女が声をかけても反応がないことに怪訝そうに眉を顰める。

「はぁ…。」と小さくため息をつくと、屋根に胡座をかいて座る老人の背中めがけて蹴りを入れた。


「ぬうおぉ!」


 ぐらりと傾いた老体はそのまま屋根を転がり落ちるかのように思えたが、くるりと老人とは思えない曲芸のような動きで間一髪転落を免れた。


「し、死ぬかと思うたわい。」


 ゼーゼーと荒い息で青い顔をして胸を抑える仕草をする老人を冷たい視線で見下ろす女は、何事もなかったかのように報告を続ける。


「–−報告は以上となります。」


 淡々と話し自分の仕事は終わったとばかりにすました顔の女に、老人は何とも言えない微妙な表情を浮かべた。


「…のう。お千ちゃんや。」

「なんでしょう、首領。」

「儂って、首領じゃよな?」

「はい。そうですが?」


 何言ってんだコイツ、ついにボケたのかと言わんばかりの顔。言葉に出さなくても思っていることが伝わるほどに、その表情は物語っていた。


「首領なのに儂の扱い雑じゃね?部下に蹴り落とされるっておかしくね?」

「申し訳ありません。起こそうと思ったのですが、力加減を間違えたようです。」

「いやいやいや。間違えたの力加減じゃなかったから。そもそも足で蹴ってたから。」


 そう言い募る老人に女は非常に面倒くさそうな表情を向けた。

 その視線に老人は何を言っても無駄だと言うことを悟った。


「おかしい。儂、上司なのに。みんな儂に冷たい。」

「人望がないんですね。」

「そもそも儂はなんで現場に引っ張り出されてるんじゃろか。現場指揮は長の仕事じゃろ?首領の儂は拠点でふんぞりかえって報告を待っているはずじゃろ?」

「暇しているからじゃないでしょうか。」


 次々と突き刺さる容赦ない言葉に老人は涙が出そうだった。


「暇じゃないわい!今日は町に出てかわゆい女の子たちとの新しい出逢いがあるはずだったんじゃ!」


 拳を握り悔し涙を流すジジイに女は軽蔑の視線を向けた。新しい出逢いと言っているが、つまりはナンパである。


「そんなことをしているからお婆婆様に絞られるんですよ。」

「儂の老い先短い人生の生きる糧なんじゃ!ババアに邪魔されてたまるか!」


 女はこのジジイが死ぬ姿を全く想像できなかった。早くその生きる糧を取り上げた方がいいかもしれない。世の女性たちの平穏の為に。


「衛兵の方から痴漢被害についての報告書が上がってきています。」

「ギクッ!」

「任務を終えて帰還したらお婆婆様から話があると。」


 老人はダラダラと冷や汗をかいて目を泳がせる。


「……さーて、仕事じゃ仕事。ああ忙しいのう。ああ、そうじゃお千ちゃん。お婆婆に遅くなると伝言を頼む。」

「ご安心ください。刻限になりましたら、縛ってでもお連れしますので。」

「何ひとつ安心できんのじゃが!?」


 血の匂い漂う暗い夜の世界に、老人の悲痛な叫び声が響き渡った。





 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「あーあ。終わっちゃった。つまんないのー。」


 喧騒に満ちた裏町から少し離れた場所。高い屋根の端に腰掛け、足をぶらぶらと乱暴に揺らす幼い子供の姿があった。

 誰かが見れば、危険な場所に座る子供が今にも転落するのではないかと肝を冷やす光景だろうが、生憎夜の暗がりに隠れてその姿を目にする者はいない。


「あれだけお膳立てしてあげたのに失敗するなんて。期待なんてしてなかったけど、やっぱり使えない連中だなあ。頭が悪いから扱いやすくはあるんだけど。」


 その表情は不満げで頬を膨らませたその姿は、まだあどけなさが残る幼い子供が拗ねているようにしか見えない。

 しかし、その瞳には隠しきれない残虐さと冷酷さが浮かび、その口から吐き出される言葉は侮蔑の響きに満ちていた。


「それも仕方のないことでしょう。この国には蛙の子は蛙という諺があるそうです。奴らは己の力を過信し、神にすら見捨てられた愚かな叛逆者の末裔。まさに奴らを現すのにこれ以上の言葉はないかと。」


 全身黒い紳士服を身に纏った人物が丁寧な言葉使いとは裏腹に、軽蔑を込めた言葉を口にした。

 片眼鏡をかけシルクハットを被り、ステッキを手にする西洋風の紳士のような装いだが、その頭部は人ではなく狼のもので、ただの人間ではないことは一目瞭然だった。


「ふふ。上手いことを言うね。ねぇ、ティスもそう思わない?」

「ニャー。」


 ––––––チリーン…


 幼子はクスクスと笑い、隣で伏せている黒猫の首元を撫で首輪の鈴が涼やかな音を鳴らす。

 黒猫は主人に撫でられその心地よさに目を細めた。


「まあ、彼らのことはついでだったしね。僕らの計画には何ら影響もない。彼女の様子も確認できたことだし、無事に馴染んでいるようで安心したよ。」


 幼子はそう言って立ち上がる。それに合わせて寛いでいた猫も起き上がった。


「もう行かれるので?」

「うん。鴉の親玉に見つかっちゃったみたいだから早く退散しないとね。追いかけられても面倒だから。」

「ご命令とあらば、ワタクシが蹴散らしてご覧にいれますが?」

「駄目だよ。余計なちょっかいを出しちゃ。まだその時じゃないからね。」


 狼の頭部を持った男のその格好とは相反するような紳士とは思えない好戦的な発言に、幼子は窘めつつも苦笑した。

 その場を立ち去ろうとして、そしてふと振り返る。


「ああ、そうだ。この国には鳶が鷹を産むって諺もあるらしいよ。さっきの諺とは正反対の意味もあるなんて面白いとは思わない?」


 視線の向かう先。それは誰に向けて言った言葉だったのか。


「だけど…」と、幼子は言葉を区切った。


「果たして本当に、鷹は鳶の子供だったのかな?」


 幼さの残る可愛らしい顔がニヤリと笑うと、まるで口が裂けたように耳元まで口角が引き上げられ、その口の中から全てを呑み込みそうな真っ暗の闇が覗く。

 元が整った可愛らしい顔だけに、その人とは思えぬ形相は見る者の恐怖を掻き立てるものだった。


 が、直ぐに可愛らしい顔に戻り、今度はニコッと微笑んだ。


「いい出逢いもあったし、今日は楽しかったな。」


 目論みは失敗したにも関わらず、いつになくご機嫌な主人の様子に、黒猫は「ニャー」と高い声で鳴いた。


「それじゃあ行こうか二人とも。


 –––––バイバイ。またね、お姉ちゃん。」


 そして異国風の顔立ちをした幼い子供の姿と無邪気な声は、最初から何もいなかったかのようにふっと闇に溶けるように消えてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

水神の姫君は転生者 北ノ双月 @korokoro-omuraisu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ