第32話 最善じゃなくちゃ意味がない
「どうしてこうなった…?」
薄暗い箱の中、ガラガラと聞こえる車輪の音と痛いほどの振動が今は移動中であることを教えてくれる。
小さく聞こえてくる啜り泣く声がこれまた心臓に悪い。
隣で呑気に気絶しているこの馬鹿に段々とむかついてきて拳骨を落としてやりたくなるけど、目が覚めて騒がしくなるのも困るのでぐっと堪える。
私は子供がぎゅうぎゅうに詰め込まれた荷車の中で、反省の意味も含めてこれまでの経緯を振り返っていた。
絶賛迷子中の私は初めて街に来たので当然のごとく地理感がなく、みんなと合流するどころかどこへ向かえば大通りに出るのかさえ不明な状況だった。
右に行くべきか、左に行くべきか。はたまた裏路地を行くべきか…。
さすがに裏路地を選択するほど愚かではなかった私は、とりあえず無意識のうちに歩いてきたであろう道を戻ることにしたんだけど…
その途中で変なものを見つけてしまった。
どこか見覚えのある小さな後ろ姿。それは私の見間違いでなければ先ほどの騒動の中心にいたあの少年だったように思う。
とある建物の中が気になるのか、物陰に隠れながらもしきりに中の様子を伺おうとしている。
まあ、こちらからは丸見えなので、お尻がひょこひょこと動いてかなり間抜けな姿に映って見えるけど。
「なにしてるの?」
「うぉ!?」
声をかけるとその少年は大袈裟なまでに飛び上がって驚いた。思わず声をあげてしまったためか、「しまった!」というような顔で慌てて口を抑えている。
なんとなく軽い気持ちで声をかけてしまったけど、その慌てた様子を見ているとなんだか悪いことをしてしまったような気がする。
しばらく警戒したようにキョロキョロと辺りを見渡していた少年だったが、他に人の気配がないことを確認してほっと安堵の息をつき、キッ!と私を睨みつけてきた。
「なんだよお前!俺は忙しいんだ。邪魔すんな!」
声を抑えながら精一杯威嚇してくるけど、幼い少年の姿でいくら威嚇されようと残念ながらちっとも怖くない。むしろ微笑ましささえ感じる。
ここは中身が大人である私が大人な対応で…
「どっか行ってろよ、このバーカ!チービ!」
「あ゛ぁあ?」
「ひぃぅ…」
少年は私をバカにしたように舌を出しあっかんべーをかましてきた。その上、ちょっと返事を返したぐらいで鬼か悪魔を見たかのような表情で私を見てくる始末だ。
これじゃあ私が悪い奴みたいじゃないか。こんなに愛らしい顔をしている無害な5歳児なのに失礼しちゃう。てか、チビじゃないし!
「こほん。それで、なにをしているのかなぁ〜?」
「う…。そ、それは、ここを見張ってたんだよ。」
「それはまたどうして?」
「な、なんでお前にそんな、ひゃぅ…、わ、分かったよ。」
少年は勿体ぶったように口ごもり苦い顔をしたまま答えた。
「ここが俺の仲間を攫っているやつらの拠点だからだよ。」
「ええっ!?」
「しっ!バカ、声でかい!」
私は慌てて口を抑え、今度は二人でキョロキョロと辺りを見渡し誰の姿もないことを確認して二人揃って安堵の息を吐く。
「勘弁しろよなぁ…。」
「ご、ごめんって。まさかそんなこと言われるなんて思ってもいなくてびっくりしちゃった。」
驚きのカミングアウトに思わず大きな声が出てしまった。驚きすぎたとはいえ、さすがにこれは完全に私が悪かった。
咎める少年の視線を受けて、私は素直に謝罪した。
「それにしても拠点なんてよく見つけたね。」
「俺らみたいなやつらにとってここは庭みたいなもんなんだ。まあ、拠点といってもここは数ある拠点のひとつでしかないだろうけど。」
「そうなんだ。でも凄いよ。」
私とそんなに歳の変わらないだろうこんな小さな子供が、子供を攫うような危険なやつらを相手に拠点を見つけてみせるなんて大した度胸と行動力だ。
私はこの子の姿を見つけた時、てっきり生活に困って盗みに入ろうとでもしているのかと思ってしまっていた。
私はこの子をよく知りもせず誤解してしまっていたみたいだ。
「じゃあさ。早く衛兵に知らせて悪いやつらを捕まえてもらおうよ。あ、もしかしたら報酬とか貰えるかも。」
「は?」
私が弾んだ声でそう勧めると、それを聞いた少年から怒りすら感じる低い声が出たことで私は思わず動きを止め笑顔のまま固まってしまった。
なに?私間違ったこと言ったかな?
「お前正気か?衛兵に知らせる?報酬を貰えるだって?俺をバカにしてるのか?」
彼から向けられる怒り、憎しみ、嫌悪の視線が、未だかつてそんな負の感情を著してぶつけられる経験のなかった私は酷く混乱した。
何故そんな感情を向けられるのか理解できず立ちすくむ私に少年は言葉を続ける。
「お前、今日あの場にいたやつだよな?だったら見てただろ。誰も俺らのようなやつらを助けちゃくれないって!教えたって適当に流されるだけだ。大人なんか信じられるかよ!」
「で、でも君だけの力じゃみんなを助けられないでしょう?私も一緒に掛け合ってあげるから、だから」
だから一緒に行こう。
そう言おうとして、彼の瞳に光の灯らない深い悲しみと諦めを見た私は二の句を告げなくなった。
「お前になにが分かる。安全な寝床で大人たちに大切に守られてきたようなお前に。腹が空いても、病に苦しんでも、俺たちから奪うばかりで誰も助けちゃくれない。ここでは自分で自分を守れないやつから死んでいくんだ。だから俺は、俺の力で俺の仲間たちを助ける。」
それは幼い子供のものとは思えない強い拒絶と覚悟のこもった言葉。
向けられた拒絶は、なに不自由ない人生を送っているお前とは決して分かり合えないのだと私を突き放してくる。
……それが私にはどうしようもなく悲しかった。
「誰も助けてくれるやつなんていないんだよ。だって俺らはこの世界にとって要らない存在なんだからな。」
ーーだからもう、俺たちに構うな。
少年の暗く沈んだ瞳が私にそう告げているようだった。
「……嫌だよ。」
「は?」
「嫌だって言ったの。」
「な、なんでだよ。お前には関係ねえじゃん…。」
予想外の言葉が返ってきたからか、少年はひどく狼狽えた様子を見せた。
そんな姿にさえ、私は胸が締め付けられるようだった。
だって悔しいじゃないか。
私の大好きなお母様の治める国が、いずれ私が背負うだろう国が、助けを求める価値すらないと子供に言われてしまうなんて。
だって許せないじゃないか。
こんなにも幼い子供にあんな暗い目をさせて、あんな希望のない言葉まで言わせて。
そしてそれを当然のことだと、仕方のないことなんだと見て見ぬふりをするしかないなんて。
なにが最善ではなく最良だ。言い訳をして自分や周りを納得させて、結局は諦めてしまっているだけじゃないか。
ーー最善じゃなくちゃ意味がないのに。
「自分のこと要らない存在だって言ったよね。」
「い、言った、けど…。だ、だったらなんだよ!俺は間違ったこと言ってねーぞ!」
否定されるとでも思ったのか凄む彼に私はにっこりと笑って手を出した。
「じゃあ私にちょうだい?」
「…は?」
「だから、誰も要らないんだったら私にちょうだいって言ってるの。」
にこにこと笑顔を向ける私に、彼はヤバいものを見たような顔をして少し距離をとった。
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