第28話 水辺の手鞠花

 姫巫女が決定し、私の意図とは余所に着々と話は進んでいった。

 そしてあのまま忙しくなってしまったあの子と会うこともなくついに就任式の日。

 就任式といっても私の名納めの儀の時のように高位貴族を集めた大々的なものではなく、私が新たな姫巫女に名前を贈るだけの簡素なものだったのですぐに終わった。

 それでも儀式用の服を用意したりそれなりに準備は大変だったけれど。


 鱗族は七歳になって初めて名前を付ける風習があるらしい。

 これは姫巫女候補者が三歳以上七歳以下の皇太女と歳の近い少女の中から選ばれるためだ。

 皇太女の眷属となるためには主となる者から名前を貰う必要があるため、それまで候補者は名前を持たない。

 まあ実際は、鱗族は妖ではなく人に分類される亜人のため本来ならその制約に縛られないらしく名前を持っていたとしても契約できるみたいなのだが、彼ら一族は律儀にその風習を守り続けている。


 そして私が彼女に贈った名前は『水鞠みまり』。

 鱗族たち一族を象徴する花である紫陽花の別名手鞠花から考えたものだ。


 初代皇帝は花を好む人物だったという。

 そして自身の忠臣たちにその臣下の証としてそれぞれの花を贈ったという逸話がある。

 それが後の鱗族を含めた十大華族の祖先だった。

 彼らが十大華族と呼ばれるようになったのも、初代皇帝に下賜された花を大切に受け継ぎ家門の象徴として語り継いできたからだ。


 初めて水鞠と顔を合わせた日、候補者たちは皆一族を象徴する紫陽花の飾りをつけていて、それがとても印象に残っていた。

 そして姫巫女となった水鞠も可愛らしい紫陽花の髪飾りをつけており、可憐で清楚な彼女にとても似合っていて、名前をつけるなら紫陽花にちなんだ名前にしようと決めていたのだ。


 水鞠は大変可愛らしく私よりも一歳年下で可愛い妹ができたみたいだった。

 最初は緊張してあまり話してくれなかったけど、最近は慣れてきたのか私によく懐いてくれている。

 姫巫女になったことで宮仕えになった彼女は、鱗族の里から内裏にある大社に居を移したらしい。

 そうあの幽玄の社と呼ばれる場所だ。


 大巫女とその後継者である姫巫女は内裏内にある大社に努めており、お世話や仕事の補佐といった二人に仕える何人かの巫女も在籍している。

 その役割は大きく三つあり、一つは常世へ続く幽玄の扉を守ること。二つ目は冠婚葬祭を含む儀式を執り行うこと。そして最後に皇帝の神託、つまり詔を各社に通達する役目も担っている。

 各大領には大社があり、そこが幽玄の大社から通達を受け取り、そこからさらに小さな村々にある社にまで情報が届く仕組みだ。

 逆に地方の神社からも情報を受けとることが可能らしい。この世界の神社は冠婚葬祭の一切を担っているので、それを利用してこの時代でも戸籍制度がきちんと整備されていた。


 と、これらの情報は巫女ってどんな仕事をするの?という私の何気ない質問に水鞠が懇切丁寧に教えてくれたものだった。

 …軽く世間話程度に聞いたのにまさか一回の講義並みの説明が返ってくるとは私も思わなかったよ。

 まあ、水鞠が真面目で仕事熱心なのは伝わった。まだこんなに幼いのに感心するなあ。


「水鞠。今日はなにして遊ぼうか。」


 そんな水鞠は律儀に毎日私に会いに来てくれる。

 未来の大巫女として姫巫女教育に忙しいだろうに、眷属として挨拶に来なくてはと通ってくれているのだ。なんて健気でいい子なんだろうか。

 私?めちゃくちゃ暇ですけど?


「あ、あの殿下。貝合わせを持参したのですが一緒になさいませんか?」


 頬を染めながら少し恥ずかしそうにもじもじとおねだりする水鞠が思わず抱き締めたくなるほど可愛い。


「ああいいとも。では今日は一緒に貝合わせをしよう。」


 貝合わせというのは現代でいう神経衰弱みたいなものだ。貝の内側に絵が描かれており、同じものを揃えるというこの世界で広く普及している一般的な貴族の遊び。

 今さらだけど神経衰弱って遊びの名前にしては凄い名前だよね…と、そんなどうでもいいことを考えつつ、頭の体操にもなる貝合わせを二人でしていく。


 楽しそうにしている水鞠には悪いけど、こう何度も貝合わせをしていれば簡単なルールだしさすがに飽きてくる。貝合わせよりも楽しそうにしている水鞠に癒される私。

 …ヤバイな。実の妹ではないとはいえ、これじゃあシスコンみたいだ。

 トランプとかオセロとか地球でも人気だったボードゲームを作ったら水鞠も喜んでくれるんじゃないかな。娯楽が少ない時代だし流行るかもしれない。


「さすがは水鞠。強いな。」

「そ、そんな。たまたまでございます。」


 最後の貝を合わせゲームを終えると水鞠の手元にある貝の多さに私は感嘆の声をあげる。

 恥ずかしそうに謙遜する水鞠だけど、私もお世辞で言っているわけじゃない。彼女は記憶力がいいのか一度見た貝の絵柄のものはピタリと当ててくる。

 反対に私は全然覚えられなくて外しまくりだ。このなんでも見通すと言われている千里眼は本当に機能しているのか疑問だ。


「そ、そういえば都はとても賑わっておりますね。わたくしがいた里は山の中で静かな所だったので、都に出てきて人の多さに驚きました。」


 褒められるのに馴れていないのか話題を変えようとした水鞠が都の様子を話した。

 私は未だに皇宮の外に出たことがないのでその話題には正直答えようがないのだけど。


「そうなのか。すまぬな。私も宮の外のことはあまり知らぬのだ。」

「あ…。も、申し訳ございません!」


 私が籠の中の鳥状態であることに気づいた水鞠はみるみるうちに顔を青ざめ頭をがばりと下げて謝罪し始めた。涙目で今にも卒倒しそうだ。

 いや、別に外に出る機会がなかっただけで禁止されているわけでもないしそんなに謝るようなことじゃ…。


「そ、そうだ。水鞠。今度二人で都の町を見物しに行かぬか?私直属の親衛府も体制が整ってきたところで、そろそろお忍びで出掛けようと思っていたのだ。」

「殿下!?」

「…そうなのでございますか?」


 私の思いつきの発言にそれまで黒子張りに気配を消していた澪が堪らずに驚愕の声をあげる。

 た、たしかになんの相談もしていなかったけど、護衛がいれば外出してもいいという話だったはず。


「殿下。町がどこを指すのか分かっておいでなのですか?」

「えっと、平民たちが暮らす場所なのだろう?」

「ええ。つまり下界に降りるということなのですよ。」

「…へ?下界?」

「そこから説明する必要がございますね。」


 首を傾げハテナマークを浮かべる私を見てなにも分かっていないことを察した澪の特別講義が急遽始まった。


「殿下の暮らすここ東宮殿は内裏という皇族のための皇宮が立ち並ぶ場所にあります。主上の生活の場である後宮殿、謁見の間や主上の政務の場である正殿もここに含まれます。」

「わたくしたち巫女が勤める大社も内裏にあるのですよ。」

「ふむふむ。」


 澪の説明に水鞠が補足する。

 水鞠さん。心なしか楽しそうに見えるのは気のせい?


「内裏の外側には、官吏たちの勤める各政務機関や皇宮を警護する兵たちの詰所である衛府等があり、内裏を含めたこの区域を大内裏と呼びます。ここまではよろしいですか?」

「うむ。」


 私もここまでは太師の講義で聞いたことがあるので知っている。皇帝や皇太子の活動の範囲はここまでなのだと言われ、滅多にそこから出ることはないのだと。母上の口振りからして禁止されているわけではないらしいけど。

 でも多分本題はここからだ。


「大内裏は真武連山のひとつ蓬莱ノ山に位置します。」

「連山?蓬莱ノ山?え?ここ山の上なの?」


 思わず口調が普段のものに戻ってしまうくらい驚いて聞き返すと、澪は目を細めながらも頷き、水鞠はなんで知らないの?とばかりに目を丸くしていた。

 もしかして私が知らないだけで皇宮が山の上にあるのってこの世界では常識なんだろうか?


「初代玄帝である水神様はこの地に天より降り立ち、ここに霊峰を創られたといいます。霊峰からは霊力を含んだ豊富な水が流れ出し、乾いた大地を潤していったとの伝承が残っています。」

「霊峰を、創った!?」

「はい。そして最も高い山の頂に居を構え国を治めたのです。」


 建国神話については講義で学んだけど、皇宮や霊峰のことは初耳だ。

 山を創ったなんてあまりのスケールの大きさに私は頭がついていけない。いやまあ神話なんてそんなものかもしれないけど。

 だけどここは本当に神様のいるファンタジーな世界だからなあ。嘘みたいな話だけど作り話だとも限らない。

 少なくともこの世界の人々がそれを信じている以上、私がその神話を嘘だなんだと言ったら問題になるのは私にも理解できる。


「真武連山には皇宮のある蓬莱ノ山の他に一ノ山、二ノ山…と全部で十の峰がございますが、玄帝陛下は十大華族の始祖にそれぞれ霊峰をお与えになり、始祖たちは皇帝のお側でお仕えするため自身の所領ではなく与えられた霊峰に居を構えたといいます。」

「華族の居住のある霊峰はそれぞれの家門を象徴する花が咲き乱れとても美しいと聞きます。霊峰から湧出す霊力を含んだ水で育てられた花々は一年を通して満開の花を咲かせるそうですわ。わたくしも一度見てみたいものです。」

「へー…。」


 うっとりと目を輝かせる水鞠に私もちょっと興味を示す。そんなに有名なくらい綺麗な景色なら私も一度見てみたいかも。

 皇宮の至るところに植えられている梅の花も何度見ても見惚れるほど綺麗だし。

 もしかして皇宮の梅の花が枯れず一年を通して満開なのもその特別な水のおかげなのかもしれない。

 やっぱり水神が霊峰を創ったというのもあながち間違いではないんじゃないかと二人の説明を聞きながら私は考えていた。


「話がずれましたが、平民の暮らす都の町というのはその山の麓にあるのです。つまり町に行くには霊峰を降りなくてはなりません。」


 なるほど。神の創った霊峰の下にあるから地上のことを下界と呼んでいるのか。

 なんか見下したような呼び方で嫌だなと思っていたけど、実際にここより低い場所という意味もあるのだろう。ここが神聖な山というのもそれに拍車をかけているように思う。


 でも確かに町に行くにはわざわざ山下りをしなくちゃいけないのは大変だ。澪が難色を示すのも分からなくはない。

 なんでご先祖様はこんな不便なところに皇宮を建てたのだろう?やっぱり神様だから自分は空を飛んで山の上だろうとヒョイヒョイ簡単に移動できていたのかな?

 皇帝のためと山の上に住むことにした十大華族のご先祖さまたちは大変だったろうなあと、その健気さに私は呆れつつも感心したのだった。

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