第26話 眷属事情

「…正式な契約を結べていないとはどういうことだ?名を付けるだけでは不十分だということか?」


 引き付けられるように紅葉の緋色の瞳に釘付けになっていた視線を無理やり引き戻し、私は大巫女に問いかける。

 予想外の言葉に戸惑いはしたけれど、そもそも私は眷属や神使についてよく知らないままに契約をしたのだから、不備があったとしてもなんら不思議ではない。名前をつければそれでいいと思っていたし。

 しかし大巫女は私の問いに首を横にふった。


「いいえ殿下。眷属になるための契約は、主が名付け、僕となる者がそれを受け入れることで成立いたします。」

「では何故…?」


 何故紅葉と正式な契約を結べていないのだろう?儀式のようなものも必要なく、名前をつけるだけでいいのならちゃんと契約できていないのはおかしい。

 もしかして…


「紅葉は眷属になることを受け入れていない…?」


 そう推測を口にして私の心は重く沈んでいく。自分で言っておいてかなりショックだけど、そう考えれば辻褄が合うんじゃないだろうか。

 紅葉は最初悩んでいた様子だったし、本当は私の神使になることを拒否していたのに私が無理矢理契約させている状態なのだとしたら。


 そう考えて気が重くなっていた私だったが、大巫女は再び否定するように首を横にふった。


「いえ。それでしたら不完全ながらも契約が結ばれることはなかったでしょう。あくまで正式なものではないというだけで、契約自体は成立しているようですから。」

「そう、なのか。しかし、ならば何故?」


 拒絶されたわけではないことにほっと安堵の息をつきつつも、今度は理由が分からず不安になっていく。

 もし紅葉の身になにか起こっていたのだとしたら。そんな悪い考えが頭に浮かんで私はそれを払うように首を小さく横にふった。


「おそらくなんらかの力が働いて契約を阻害しているのでしょうけれど、詳しいことはわたくしにも…」


 大巫女が申し訳なさそうにそう話した時、ふと脳裏に浮かんだのは、常世で出会った案内人を名乗る名前も知らない不思議なあの人。

 なんらかの力が働いているのだとしたら、紅葉はあの人から預けられた狐だし、あの人がなにか小細工をしていたとも考えられる。

 もちろんまだ断言はできないけれど。


「…そもそも不完全な契約とはどのような状態なのでしょう?」


 あれこれ理由を考えていたら、思わず口から漏れたというような小さな呟きが聞こえて隣を見ると、澪がしまったと言いたげな表情で口元を押さえていた。


「も、申し訳ありません。お二人の会話に口を挟むつもりはなかったのですが。」

「…いや。澪の言う通りだ。肝心なところを失念していたな。大巫女、契約が不完全なことでどんな不都合があるのだ?」

「そうですわね。そもそも妖というのは人の生み出す霊力を狙って人間を襲うこともある危険な生き物です。妖はより多くの霊力を集めることで存在の格を上げることができますから。そして賢い妖は時に強い霊力を持つ人間と契約を結ぶことで主に付き従い、その対価として半永続的に霊力を得るといった方法を取ります。それが妖が主従の契約を結ぶ理由なのですが…」


 そういって大巫女は再び紅葉に顔を向けた。


「拝見したところ、紅葉殿は殿下と契約を結んでいるにも関わらず、神の霊力…つまり殿下の神力を受け取れていないようなのです。」

「つまり、私は対価も払わずに紅葉を従えている状態だと?」

「…そういうことになりますわね。」


 な、なんということだ。給料の未払いなんて下手なブラック企業よりも酷いじゃないか。

 まさか自分が知らないうちにそんな最低なことを仕出かしていたなんて。いくら知らなかったとはいえ、紅葉からすれば冗談じゃないと愛想尽かして契約の破棄をされたって私は文句もいえない。


「…私はどうすればいい?どうすれば神力を紅葉に与えることができる?」

「ふ、普通は契約を結べばその繋がりを持って神力が供給されるはずなのですが…」

「それが不可能な場合は?!」

「で、殿下落ち着いて下さいませ!」


 興奮気味に身を乗り出して大巫女に詰め寄ろうとした私を澪は慌てて押さえて宥める。

 澪さん止めないで!これは私の名誉がかかった重大なことなんだから!

 しかし大巫女は私の期待を余所に申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「申し訳ありません。わたくしにとってもこのような事態は初めてですので…」

「く、こうなったら…!」


 紅葉のためにも、このまま一方的な契約を結ぶなんて不義理なことはしたくない。

 ふかふかの座布団の上でのんびりと寛ぎながらこちらの様子を伺っていた紅葉の体をぶらーんと持ち上げ、悲しい気持ちで正面からその可愛い姿を見つめる。


「やはり契約を破棄するしか…」


 そう呟いた途端、ポカンとした顔で私を見ていた紅葉が慌てたようにわたわたとし始める。

 その反応に驚いて紅葉を抱き上げていた手が弛むと、紅葉は私の手をするりとすり抜け、服の裾に潜り込む。


「あ、あれ?紅葉さん?」

「ふふ。どうやら紅葉様は殿下と離れたくないようですね。」

「あらまあ。まさか妖がこんなに他人に懐くなんて。さすがあの御方の後継者ですわね。」


 微笑ましげに笑みを浮かべる澪と、感心したように驚きの表情を浮かべる大巫女。

 そして私は紅葉のそのあまりにも愛らしい行動に顔が緩むのを抑えられない。

 今は皇太女としての威厳を取り繕うことなんてペイっと捨てて、そのもふもふの毛に顔を埋めすりすりと頬擦りをした。


「なんて可愛いの!大丈夫。紅葉が嫌じゃないなら私たちはずーっと一緒だからね!!」


 ぐへへとだらしなく緩みきった顔でそのもふもふを堪能していると


「……殿下。」


 ーーぎくっぅう!


 底冷えするようないつもより一段低い声が私の耳を震わせる。心なしか部屋の温度が下がったような…?

 ギ、ギ、ギ…とゆっくり振り返ると、にっこりといつもより口角を上に引き上げ恐ろしい雰囲気を纏った澪がそこにいた。

 め、目が笑っていないんだけど!


「礼法と皇太女としての心構えの講義が圧倒的に足りていなかったようですね…?」

「ひいぃぃっ!」

「あらあら。本来の皇太女殿下はとてもお転婆な方でしたのね。」


 やめて!そこ煽らないで!


 私が最大のピンチを迎えているというのに、クスクスと楽しそうに笑っている大巫女はどう見てもこの状況を楽しんでいるようにしか見えない。

 澪が怒るとどれほど恐ろしいかあなた知らないんでしょおぉぉ!


「だ、大巫女。そろそろ本題に移った方が良いのではないか?長々と話し込んでしまったが、今日は次代の大巫女を選ぶ大事な日なのだろう?」

「あらあら。お説教はもうよろしいので?」


 私がなんとか話題を変えようとしているのに、大巫女はいい笑顔を浮かべながら可愛らしくコテリと首を傾げて見せた。

 おっとりとした雰囲気をしているくせに中身は悪魔か!


「私が殿下に説教だなんてとんでもございません。ただ少々講義の内容を調整する必要があると思っただけですので。」

「あらそうなのね。では想定以上に時間も落ちていることですし、姫巫女の選定を始めましょうか。」


 なんとか話題を変えることができたものの、澪が溢した講義内容の調整という言葉。嫌な予感がするのはきっと気のせいではないのだろう。

 私が一番苦手としているのがその堅苦しい礼儀作法や皇族としての立ち振舞いを学ぶ講義だ。実はその講師を努めているのが女御である紫乃さんなのだが、聞いているだけで夢の世界に飛び立ちそうになるので、私が紫乃さんや澪の求めるレベルまで到達するにはまだまだ時間がかかりそうだった。


「それでは姫巫女候補たちを呼んで参ります。」


 候補者たちは東宮殿の別室で待機させられているようで、長々と話して彼女たちを待たせてしまっていたことを知って申し訳なくなった。

 この世界の偉い人は立場の低い相手を待たせて当然と思っているところがあるからな。そして待たされる側の方もそれが普通のことだと思っている。

 だけど私は前世での価値観があるのでどうも落ち着かない。おかげで候補者たちが来るまでそわそわしながら待つことになってしまった。


 しばらくして女官から候補者たちの来訪が告げられ、わざわざ降ろされた御簾の向こう側に大巫女と同じ特徴を持った七人の鱗族の少女たちが並ぶ。

 御簾が降ろしたままなのは、通常は許しなく皇族と顔を合わせることが禁じられているからだ。


 最近知ったことだけど、じいじたちがやっていた恒例のあの挨拶は、準皇族や十大華族、皇族の側近といったかなり立場の高い人しかやらないらしい。

 通常は顔を合わせることも声をかけることすらもできず、ひたすら平伏したままで、皇族の許しがあった場合のみ発言ができるのだとか。なので、あのへりくだりまくった挨拶ができるのは貴族の中で一種のステータスとされている。


 …あんなのがそんな凄い扱いを受けていたなんて、あの挨拶で散々な目に合わされてきた私としては複雑な気持ちだった。


 とにかく、大巫女が直接私に挨拶できたのは、彼女の立場がそれが許されるだけの地位にあるということ。

 そしてまだ候補者である少女たちは当然のように大巫女のように身分が高くないため、礼法をきちんと守りここにやってきてからというもの一言も口を開かず頭を下げたままだった。


 …これも礼法の講義で学んだことなんだよね。

 ただ挨拶をすることさえ体裁を気にしてこんなに回りくどくて面倒なことをする。どう考えてもマナーの域を越えているように思う。

 礼法の講義が嫌いなのは私だけじゃないと思うな。

 こんな幼い少女、いや私と同年代に見えるから幼女と言ってもいい。そんな年齢の子供が泣きわめきもせず、ここまで健気に規律を守っている姿を見ると身分社会の厳しさを垣間見た気分だ。

 その身分社会のトップにいるような人間が知ったような口を利くなと言われてしまいそうだけどね。










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