第25話 巫女と眷属

 ーー殿下。どうかご武運を。隣に居れずともわたくしの心は常にあなた様と共に。


 ーーわたくしには闘う力がありません。それがもどかしくて堪りませぬ。待つことしかできないとは。どうしてわたくしはこんなにも非力なのでしょう。


 …………

 ………

 ……


「はっ…。」


 朝目が覚めるとずきずきと頭が痛む。扉から差し込む眩しい朝日が今はひどく煩わしい。

 ここのところ変わった夢を頻繁に見るようになったせいで、寝起きの気分があまりよくないのだ。

 妙にリアルだけどもどこか不明瞭で、相手の顔もぼんやりとしていてよく思い出せなくてもどかしい。


「まあ、夢なんてそんなものだよね。」


 ただの夢にいつまでも気を取られているわけにもいかないと、私は寝室の外で私の目覚めを待つ澪に声をかけた。




 今日は朝から少し慌ただしく、侍女たちがいつもより気合いを入れて私の身支度を整えている。

 なぜなら今日は、あの名納めの儀式の日に出会った巫女さんが訪問することになっているからだ。

 じいじたち、あの三人と並んで座っていることからも予想できていたが、あの巫女さんも例に漏れず相当位の高い人らしい。


 建国当時から国を支えてきた十大華族の中でも、神を奉る神職を担ってきた一族であり、初代玄帝の眷属にして共にこの地にやって来たとの伝説のある鱗族と呼ばれる種族。そしてその一族の頭領が大巫女と言われるあの巫女さんなのだとか。

 みんなが緊張したように不備も見落とさないぐらいの勢いで出迎える準備をしているのも、それだけ相手が偉い立場であるがゆえなのだろう。


「なんか私も少し緊張してきたな…。」


 私が周囲の雰囲気に当てられて少しドキドキしていると、隣にいた澪がふんわりと笑って手を握った。


「心配する必要はごさいません。確かに大巫女様は尊重すべき方ではございますが、大巫女様とて主上と殿下に仕える臣下のお一人。殿下の方が高貴な身の上であられるのですから。」


 小心者の私には偉い人を前に堂々としていられるほどの度胸はないけど、確かに澪の言う通り身分だけでいえば皇太女の私の方が上ではある。しかし、それはそれ。これはこれ。

 前世の記憶があるせいか、どうも自分が偉い人であるという認識がいまいちない。だから偉い人に会うとなるといちいち緊張してしまうのだ。

 生まれながらの高貴な人は自分の立場をよく分かっているのかその自信や揺るぎない信念のようなものが態度から滲み出ており、私はその雰囲気にのまれてしまいそうになる。そして彼らは、私にも同じような立ち振舞いを要求してくるのだ。


 大巫女に会ったのはあの儀式の日の一度きりなので、彼女がどんな人なのかはまだ分からない。

 澪の話では今後儀式の度に会うことになると聞いているので、できれば優しい人がいいなとは思っているけど。


 そんなことを考えている間にも時間はあっという間に過ぎて、準備も滞りなく整ったとの知らせがあった。

 そしてとうとう約束の時間になったのだった。


「お久しゅうございます。臣、大巫女が国の天子にご挨拶申し上げます。」

「許す。」


 平伏していた大巫女が顔を上げると、その目にはあの日見た時と変わらず白い布が覆ってある。そしてあの時は気づかなかったけど、その布には見たこともない不思議な文字のようなものが描かれていた。

 これはなんだろうかと視線を奪われていると、隣から「こほん。」と澪の咳払いが聞こえて我に変える。


「ふふふ。本当にお可愛らしゅうございますね。赤ん坊の時も愛らしいお姿でしたが、成長なされてますます可愛らしく…」

「…私の赤ん坊の時を知っているのか?」


 頬に手を当てて愛おしいものを見るように語りだした大巫女に私は口を挟んだ。

 大巫女は話を遮られても機嫌を損ねることなくにっこりと微笑んだ。


「ええ。もちろんですとも。殿下は覚えていらっしゃらないでしょうが、抱き上げたこともございますのよ。」

「そうだったのか。」

「はい。最近は忙しく殿下になかなかお会いできておりませんでしたので、儀式の日立派に成長なされた殿下を見た時はそれはもう言葉に尽くしがたく……」


 大巫女が私に向ける態度は、まるで祖父母のように慈愛に溢れていた。もし目元が隠されていなければ、とても優しい目を私に向けてくれたに違いない。

 まあ、彼女を祖父母というにはその姿はかなり若々しいものだけど。


「あら。わたくしったらすっかりお喋りに夢中になってしまいましたね。」

「私も大巫女と話せて楽しかった。またなにか話をしておくれ。」

「ふふふ。殿下にそう言っていただけて光栄でございます。」


 予想外に会話が弾み少しばかり長話をしてしまった。

 しかし今日の本題は大巫女とのお喋りを楽しむことではないので本題に移る。


「今日は巫女を選ぶための場だと聞いている。私はなにをすればよいのだ?」

「はい。殿下には巫女たちの中から次の大巫女となる姫巫女を、すなわち御自らの眷属となる者を選んでいただきたいのです。」

「眷属…?」


 首を傾げる私に微笑んで大巫女は自分のひれ耳をそっと触れてみせた。


「殿下もお気づきでしょうが、私は人間ではありません。鱗族と呼ばれる亜人の種族でございます。鱗族は玄帝の加護を受ける代わりに忠誠を誓い、代々巫女として玄帝にお仕えして参りました。一族の中から代表者を選出し、玄帝陛下の眷属となることで主従の関係を築いてきたのです。」

「つまりその眷属となった代表者というのが大巫女というわけか?」

「その通りでございます。わたくしは殿下の母君であらせられる現玄帝陛下の眷属なのです。そして殿下も母君と同じく我々一族の中から眷属を選ばねばなりません。」


 鱗族、亜人…。ヒレ耳を見た時から人間とは違う種族なのだろうとは思っていたけど、実際に話を聞くと本当にこの世界には元いた世界とは異なる種族が存在していることを実感する。

 そして眷属のこと。まだ眷属がどんな存在なのかよく分かってはいないけれど、私が選んだ人が鱗族の代表者となり次の大巫女になるのだと思うと責任重大だ。


「眷属、か。慎重に選ばねばならないな。」


 一体どういった人物が大巫女としてふさわしい人材なのか。私が難しい顔をしてあれこれ考えていると、大巫女は微笑ましそうに「ふふっ。」と小さく笑った。


「殿下。難しく考える必要はごさいません。気に入った者を選べばよいのです。殿下の眷属となる者なのですから、なにより殿下との相性が重要ですので。そう言えば…」


 大巫女はついと視線を横にずらし、私の隣で座布団の上で丸くなっている紅葉を見据えた。 


「殿下は巫女を選ぶ前にもう既に眷属をお迎えになられているとか。そこにおる女ぎつ…、狐殿がそうなのでしょうか?」

「…ん?」


 …えっと、今私の気のせいでなければ女狐って言わなかった?

 ちらりと聞こえた言葉に私は自分の耳を疑う。

 まさかあの上品で優しげな大巫女の口からそんな言葉が出るとは思わなくて、私は一瞬聞き間違えたのかと聞き返そうとして言葉を飲み込んだ。


 …大巫女が紅葉に向ける不穏な空気に私はそれ以上深く突っ込んではいけないと本能で察した。


「えーっと、紅葉も私の眷属ということになるのか?この子は式神で、たしか澪が言うには神使と呼んでいたが。」

「ええ。人ならざる者に名をお与えになられ、主従の契約を結ばれたのでございましょう?それは殿下の眷属となったということに相違ありません。神使というのは、神の眷属のこと。神の眷属をただの眷属と呼ぶには畏れ多いため、人々は神使と呼ぶのですわ。」


 「只人が使役したものは式神とも呼ばれますわね。」と言葉を続けた大巫女からは不穏な気配がすっかり消え、その顔には変わらず優しげな笑みが浮かんでいる。それこそ先ほど私が感じたものが気のせいだったのかと錯覚するほど。

 とりあえずそれ以上不穏な空気になることもなく、バレないようにほっと息をつく。


 ……紅葉との契約を破棄しろとか言われたらどうしようかと思った。


 それにしても人ならざる者か。私は大巫女が口にしたその意味を少し考えてみる。

 眷属になれる亜人は人ではないということなのかな。さっきから紅葉に対する大巫女の態度が刺々しいのは、一族が眷属になるのを先を越されたからかもしれない。

 紅葉を眷属にしたのは、常世で出会ったあの謎の人物から勧められての予定外のことだったし、本来ならば巫女を選ぶこの場で私は初めて自分の眷属を得るはずだったんじゃないだろうか。

 そう考えれば、大巫女が不機嫌なのも理解できる。

 まあ納得したとはいえ、大巫女の女狐発言の衝撃はちっとも薄れることはないけれど。


「…大巫女。紅葉を眷属にしたのは、なにか支障があるのだろうか?その、私はよく眷属について理解もせずに契約をしてしまったのだ。」


 今さら紅葉との契約を破棄するつもりはないけど、皇太女として決まりやら仕来たりやらなにも理解せずにやってしまったのも事実だ。

 だからこそ少し不安になって聞いてみたのだが、大巫女は意外な質問でもされたかのようにきょとんとして目を瞬かせた。


「あら。少々誤解させてしまったようですわね。殿下が眷属についてお知りになる前に神使を得たことに驚きは致しましたが、まさかわたくしが殿下の選択に異と唱えるはずがありませんわ。ただ…」

「ただ…?」


 少し言い淀んだ大巫女に続きを促すと、言おうかどうか迷った様子を見せた末に彼女は私に真剣な表情を向けた。


「その狐、紅葉殿でしたか。その者は殿下と正式な契約を結べておりません。」

「え…?」


 そう思いもしなかったことを言われて、私は弾かれたように紅葉に視線を向け


「…っ!」


 先ほどまで眠っていたはずの紅葉は、その名前と同じ色をした鮮やかな瞳でじっと私のことを見据えていた。




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