第23話 親衛府

 親衛府の設立。その話題は勅命が下されてから瞬く間に国中へと広がっていった。

 予定より早すぎる親衛府の発足に驚かない者はいなかったが、帝国の宝ともいえる皇太女の護りが磐石なものになるともなれば、異例の事態であってもかねがね好意的に受け止められたのだった。




 その頃の私はというと、既に人選の済ませてある親衛府に所属する兵たちの任命書にひたすら無心に判子を押し続けていた。

 本来なら側近の立場にある人が私の見ている前に限り皇太女専用の御璽を代わりに押してもいいらしいけど、まだ皇太女になったばかりの私には側近らしい側近はまだ澪しかいない状態だ。

 これから側近の選定もしていかないといけないんだってさ。皇太女になってから慌ただしい日々が続いている。


 東宮殿の敷地内に併設された空っぽだった親衛府の宿舎には、既に任命された兵たちが駐在して引き継ぎを行っている。

 あと数日で本格的に皇太女直属の親衛府が活動を始めることになるのだ。自分が兵力を持つことに少し不安もあるけれど、楽しみにしている自分もいる。

 だって自分だけの護衛なんて憧れない?ラノベやファンタジー好きで片足ほどオタクに突っ込んでいた身としては、ちょっと心牽かれるものがある。


「殿下。新任された左親衛大将と右親衛大将がお見えになっております。」


 一通り仕事を終えて一息ついていると、今度は来客の知らせがあった。

 親衛府は左親衛府と右親衛府の二つの部隊があり、それぞれに長官となる大将がいる。第一部隊と第二部隊があると思ってくれたらいいと思う。

 今回は親衛府を率いることになる二人の大将との面談が組まれていたのだ。

 当然のことながら私は兵士の知り合いなんていないから母上やじいじたちの推薦で選ばれた人たちだけど、母上からは気に入らなければ変えていいとも言われている。だから今回は既に任命された後ではあるけれど、最終面接を兼ねているのだ。

 とはいえ、二人の推薦なら優秀な人物が選ばれているはずだから安心して任せられると思うけどね。


「臣、鷹松右京が帝国の天子にご挨拶申し上げまする。」

「臣、矢桐邦彦が帝国の天子へご挨拶申し上げます。」

「…許す。」


 中へ通されたのは、もう六十は越えているのではないかと思えるような白髪のご老人と、三十代くらいのがっちりした体格の壮年の男。

 ご老人の方は右目のところに大きな傷があり鋭い眼光でまさに老練の武将を思わせる出で立ちだった。

 一方で壮年の男の方はがっちりした体格だが表情はどちらかというと穏やかで周囲に安心感を与える優しそうな雰囲気の持ち主。なんだか熊みたいな人だなと思った。


「この度左親衛大将を仰せつか奉りました。この命に変えましても必ずや殿下を御守りいたしましょうぞ!」

「右京殿。そのように仰られては殿下が驚いてしまわれますよ。」


 左大将の命をかけるという重い言葉に私が顔をひきつらせたのに気づいたのか、右大将が苦笑いをして窘める。


「さ、左様か。申し訳ありませぬ殿下。儂としたことが大層なお役目に年甲斐もなくはしゃいでしまったようですな。」

「構わぬ。左大将の言葉、本当に心強く思う。だが、命は大切にしてほしい。」


 いくら護衛だといっても身近な人が死ぬとか私には耐えられる自信がないから、冗談ではなく本当に気をつけてほしいと思う。

 この世界の人って、特に護衛の人たちは本気で自分を犠牲にすることを当然のことのように考えていそうで怖いんだよね。

 私のために命をかけるのは護衛という仕事上仕方がないことなのかもしれないけれど、本音としては勘弁してほしいところだ。


 そう思って声をかけたんだけど、なんだか左大将の様子がおかしい。え、まさか泣いてるの?


「なんと慈悲深きお言葉か!この歳になってしかも殿下からそのような温かいお言葉を頂戴するとは。この老いた身体では過ぎたお役目かと思い辞退するべきかと悩みましたが、そのお言葉だけで引き受けて良かったと心から思います。」

「そ、そうか。」


 厳つい顔のご老人がほろほろと涙を流し始め、予想外の反応に私はぎょっと驚いた。戸惑う私に右大将は苦笑しつつも柔らかな声で話す。


「殿下。右京殿は長い間右近衛大将として、主上の護衛を勤められてきました。右大将の右京殿といえば剣豪としてその名を知らぬ者はいないほどです。年齢を理由に引退されましたが、その腕は未だ衰えておらず後進の指導にご尽力されております。今回も親衛府の話が出た際、是非にもと主上から直接お声がかかったと聞き及んでおります。」

「なんと。母上が。」


 母上が直接声をかけるなんてよっぽど凄い人なんだろうな。しかも母上の護衛だったなんて物凄く心強い。


「主上からのお誘いをお受けしないわけにはいきますまい。しかしやはり歳には勝てぬものですな。お恥ずかしながら、引退したのも若い者に打ち負かされてしまい己の限界を悟ったからでして。」


 そう哀愁を漂わせ語る左大将に、「いや、その若い者って初代当主の再来と謳われたあの武の名門二条家の当主でしょう…。」と右大将は顔をひきつらせていた。

 うん。その一言で左大将の腕が衰えたわけではないというのが分かった。本人が負けたことに対して過剰に反応してしまっていたんじゃないかな。もしかしたら強すぎてこれまで負けた経験があまりないのかもしれない。

 年のせいで現役時代より実力が落ちてしまったというのも間違いではないだろうけど、母上が抜擢したところから察するにまだまだ現役でもやっていけると判断されて引っ張りだされたのだろう。

 可哀想に。結構なご高齢に見えるのに引退もさせてもらえないなんて。優秀すぎるのも問題だな。


「しかしご安心なさいませ。もう打ち止めの儂はともかく、この邦彦は儂の教え子の中でも一二位を争うほど優秀な者です。彼ならばいつか儂の仇をとってあの澄まし顔の二条の当主も打ち負かしてくれることでしょう!」

「え!?」

「ほう。右大将は左大将の教え子なのか。」

「左様でございます。実力は儂が保証致しましょう!」


 へえ。二人は師弟の関係だったのか。

 左大将の自信ありげな声とは反対に、右大将の顔色が可哀想なくらいみるみるうちに青くなった。視線が合うと一生懸命に首をぶるぶると左右にふっている。

 そこまで必死に否定しなくても。そんなに強いのかな。その二条家の当主というのは。

 でも左大将がここまで自信満々に言うのだから、右大将の実力も疑うべくもない。


 ともあれ第一印象も悪くないし左右の大将をこの二人に任せても問題なさそうだと私は判断した。


「これから私の護衛はそなたらに任せる。発足したばかりの親衛府を纏めるように。」

「「かしこまりまして。」」


 二人の力強い意志のこもった返事に私は満足して頷いた。

 これで正式に親衛府は始動することになり、もう明日から私の護衛につくそうだ。

 元々私の護衛を担当してくれていた兵衛府の衛士が何人か親衛府の人員に抜擢されているようなので知っている顔も多い。

 まあ、皇太女の護衛を任せるんだから昔から皇宮に仕えていて信頼できる人材を選ぶのは当然といえば当然といえるだろうけど。


 親衛府の発足により私個人の判断で動かせる兵力を得たとはいえそんな機会は早々ないだろうし、多少護衛の顔ぶれが変わるくらいでこれまでとそこまで変化があるわけではない。

 でもこれで私が外出する時に護衛として連れ出せるようになったのは素直に嬉しい。

 兵衛府が護衛を兼任してくれていたとはいえ、私には自由に動かす権利はなかったわけだし、親衛府なら私直属の兵士だから遠慮する必要もない。


「ふふふ…。」と小さく笑う私に澪が不安げな顔を向けていたことに、この時の私は気づいていなかった。


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