第21話 太師
「お初にお目にかかります。臣、六条秋人が国の天子にご挨拶申し上げます。」
部屋に入ってきたのは少し長い淡い亜麻色の髪を緩くひとつに結んで前に足らし、知的な印象を与える眼鏡をかけたまだ年若い男性だった。涼やかな目元で中性的な整った顔立ち。少し冷たさを感じられるけど、それはそれで女性にモテそうだ。
やはりこの世界の人はみんな美形なのか…。
しかし今はその顔も伏せられ、いつものようにお決まりの挨拶をされていた。
「許す。」
その言葉に再び視線が交わる。うん。やっぱり男にしておくのがもったいないくらい綺麗な顔をしている。
しかしにこりともしない無愛想な顔。というより表情が乏しいのかな?この世界では初めて会うタイプだ。
「この度、皇太女殿下の教育の任を拝命致しました。よろしくお願い申し上げます。」
「こちらこそよろしく頼む。師とお呼びすればよろしいか?」
「殿下の御心のままに。」
私は最近渡されて使うようになった扇子でひきつる口元を隠しながら、使いなれない口調でなんとか話していた。
これまでみんな丁寧な敬語で話しかけてくれていたけど、それもフランクな方だったのだと思わせるくらい、この人の話し方は事務的でお堅い。
それに釣られてというわけでもないけど、私も必死に練習してきた話し方を披露する。
澪に皇族らしい言葉遣いをと言われて練習させられていたけど、実践で使うとこうも話し辛いとは。
常日頃邪魔だと思っていた扇子が役に立つ時がくるとは思わなかった。
「宰相から話は伺っております。文字は既にお書きになられると。」
文字の勉強はじいじから既に習っていたため肯定する。
幸いなことに何故か日本語に似ていたので、少し勉強すればすぐに覚えることができた。
言葉が日本語じゃないのに文字は日本語ぽいという違和感はありつつも、直ぐに文字を書けるようになった私を天才だと母上とじいじが騒ぎ立てたので、あの時は誤魔化すのが大変だったなあ…。
「では書物を用いた授業にしても問題なさそうですね。」
昔のことを思い出して少し遠い目をしていた私に何冊かの書籍が差し出された。
「いくつか講義に使う書物をお渡ししておきます。今日のところは顔合わせということで講義はいたしませんので、次の講義までに読めるところまでで構いませんから目を通しておいてください。」
この世界で本なんて初めて見たなーと、前世で読書好きだった私は少しわくわくして本を開き……
高校入試でお世話になった古文を想起させるその内容にそっと本を閉じた。
「…時間がある時に目を通しておこう。」
目を通しておくだけね。通しておくだけ。
再びひきつる口元を見せないように扇子を広げ私は優雅に笑ってみせた。…多分できているはず。
「それでは、今日は殿下の質問にお答えする時間にします。これまでの内容で分からなかったことや、疑問に思ったことなんでも構いません。」
太師はくいっと人差し指で眼鏡を押し上げた。そんな姿も絵になっている。
それにしても聞きたいことか。前世の学校でよくあった教師の自己紹介みたいに、何歳ですかーとか、彼女いますかーとかプライベートの内容は駄目なんだろうなあ。でも、せっかくだから私の先生になった人がどんな人なのか知りたいし。
…あ。そうだ。
「太師は六条と名乗ったな。」
「はい。私は六条家当主の三男にございますれば。」
おぉ。名字を聞いてからもしかしてとは思っていたけど、やっぱりこの人も名門出身の貴族なんだ。
三条家、六条家があるってことは、一条家とか二条家とかもありそう。
「私はまだ家門について詳しくは知らない。だが、皇太女として国を支える家門を知っておく必要があると思う。」
澪が学友やそのうち側近も選ぶ必要があると言っていたから、この国にある家門について知っておいて損はない。それに、太師についても知ることができるし一石二鳥だ。
我ながらなかなかいい話題を選んだと思う。
太師は少し考えるように「ふむ。」と唸ると顔を上げた。
「なるほど。確かにこれから殿下をお支えする家について学ぶのは必須ともいえましょう。そこに気付かれるとは、さすが次期国の指導者となられる御方。」
「え。いや…。」
真っ直ぐな視線が私を貫く。そこには、皮肉や嘲りといったものは少しも感じられない。純粋に本気でそう思っているような目だった。
こんなに真面目で気難しそうな人にいきなり褒められるとは思っていなかった私は面食らう。別にそこまでの立派な志は持ち合わせていないので、どこか後ろめたい気持ちになる。
おかげで口調が崩れてしまい、澪から妙に圧力のある笑顔が飛んできてしまった。
「こほん。皇太女として当然のことを言ったまで。」
「さすが殿下。ご立派です。まさに皇帝の器と言えましょう。」
ちょっとしたことで、本当に嫌みじゃないのかと疑いたくなるほど持ち上げられて随分と居心地が悪かった。太師の表情は全く変わらないから、冗談で言っているのかも分からないし。少なくとも五歳児に言うことじゃないと思う。
とにもかくにも、私の望み通り家門について教えてもらえることになった。
「それでは今日は殿下のご希望通り、家門について少しご説明いたしましょう。この国には特権階級の貴族と豪族という身分が存在します。ここまではよろしいですか?」
「う、うむ。」
「大雑把にいえば、貴族は都に住まい皇帝に仕え国の政を行い、豪族は地方の有力者といったところです。」
私の微妙な反応を見てか、太師は付け加えてそう説明した。
貴族はなんとなく分かるけど、豪族はいまいちよく分かっていなかったので、その解説は有り難かった。
「身分的には皇族の下に貴族、豪族という順ですね。そのさらに下には士族や平民といった身分もありますが、それはまた次の機会にお話しましょう。」
貴族と平民だけではなく、思った以上に身分の種類というのは存在しているらしい。
私が生きていた当時の日本はみんな平等を謳い、身分差は存在しなかったから身分と言われても少し違和感がある。
転生してから五年経った今でも、周りの人から頭を下げられ皇族として扱われるのだって私はまだ慣れないでいた。いつか私も自然と振る舞える日がくるのだろうか。
「貴族の家柄に明確な序列は存在しませんが、名門と呼ばれる家門の格というのは存在します。そして、貴族の中でも建国当時から続く最上位の名門。それが十大華族と呼ばれる十の公家です。六条家もそのうちのひとつです。」
「十大華族…。」
さっき澪が口にしていた言葉だ。たしか三条家もそのひとつだった。
「この国は大きく十の地域に分けられ、帝の直轄地である天領と、十大華族が統治する大領があります。所領を認められているのは、貴族の中でも十大華族のみです。それぞれ一族の中から統治者を派遣し、その役職を国司と呼びます。」
太師は持ってきていた資料の中から地図を取り出し広げた。前回じいじが見せてくれた地図は世界地図だったが、これは玄天ノ国の地図のようだ。
玄天ノ国は帝国のひとつというだけあって、広大な土地を有している。それをたった十に分けて所領しているのだから、十大華族が治める土地もそれだけ広いものだった。
ほぼひとつの国といっても差し支えないくらいの土地を持っている十大華族の権力が、いかに大きいものであるかがこれだけでも分かる。
「十大華族は皇宮で要職についている者も多く、その多くが皇都に居を置いております。そのため、地方の直接的な政治は大領をさらに分けた郡を国司から統治を任された郡司が担っており、代々郡司を任されている一族が豪族なのです。」
華族と豪族は領主と代官みたいな関係なのか。そう考えればその関係性も分かりやすいかも。
その後も私は太師に色々質問して、太師は嫌な顔もせずひとつひとつ丁寧に答えてくれた。皇太女の教育係として任命されただけあって、その説明はとても分かりやすいものだった。
なんとなく先生になる人は高齢のお爺さんを勝手に想像していたから、最初は若い太師を見て驚いたけど、それだけ優秀な人だということだろう。少しの時間だったけど、話していてもそれが分かったくらいだから。さすが、じいじの推薦というだけはある。
今日の話も歴史の授業みたいで面白かったし、少しだけこれからの講義が楽しみになった。
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