第20話 儀式を終えて
皇太女となってから私は本格的に住まいを東宮殿へと移した。
5歳にして独り立ちだ!というには同じ敷地内にいるから大袈裟かもしれないけど、実際宴会などがなければ食事も部屋に運ばれ東宮殿だけで生活の場は完結している。
日課として母上に挨拶をしに行くので毎日顔を合わせてはいるけれど、隣の家に住んでいるくらいの感覚だった。
あと変わったことといえば、みんなが私のことを姫ではなく、殿下と呼ぶようになったことかな。私が正式に皇太女になった影響だった。
少し距離を感じる呼び方に寂しい気もする。姫のほうが親しみを感じやすかったし。
姫と呼ばれるのは、なんだか気恥ずかしい思いもあってずっとやめて欲しいと思っていたけれど、呼ばれなくなったらなったで寂しく感じるとは。
慣れとは恐ろしいものである。
澪に関しては正式に私つきの女房になった。
母上にお願いした甲斐があったというものだ。
まだ東宮殿に住まいを移す前、澪は私についてきてくれるよね?という問いに珍しく澪が言葉を濁していた。
そして私ははっと気づいた。澪は私のお世話をしてくれてはいたけど、母上の女房だということを。
澪の立場は私の専属女房が決まるまでの繋ぎだったのだ。
今さら澪と離れてしまうなんて考えられなかった私は母上を説得し、澪を私つきの女房にしてくれるように頼みこんだ。
幸いなことにあっさりとそれは認められ、晴れて澪も私と一緒に東宮殿で暮らすことになったのだった。
「ごめんね。澪の意思も聞かずに勝手に私の女房にしちゃって。」
女房にするなら絶対に澪がいいと思った私は勝手に母上にお願いしたけど、澪にとってそれは皇帝の女房から外されることであり、なにより母上に命令されればそれに従うしかない。澪の意思とは関係なしに。
今さらだけど母上に頼んでからそのことに気づいて気を揉んでいた。もし本当は澪は私の女房になるのが嫌だったらどうしようかと悩みつつも、やっぱりやめたなんて後から言えなかったし。
それに澪に断られたら、私立ち直れない自信しかない。
なんとなく澪と目を合わせられなくて、私の膝の上で寛ぐ紅葉の毛を弄っていると、澪が側に近づく気配がした。
「殿下がお気になさることはありませんよ。私には分不相応なほどのお役目でしたので戸惑っていただけです。殿下のお世話をすることが私の生き甲斐でしたから、このままお仕えできて嬉しく思っております。」
「本当!?」
「ええ。もちろんですとも。」
澪の優しい笑顔につられて私も笑顔になる。
澪の言葉が嬉しくてずっと悩んでいたのが嘘みたいに暗い気持ちがすぅーっと晴れていく。
やっぱり私は澪が大好きだ。私に姉妹はいないけど、澪は私にとって本当のお姉ちゃんみたいな存在だった。
本人に言ったら「畏れ多いです!」とか言って困らせてしまうだろうから言わないけど。
「今日から講義は再開だっけ?」
立太子の準備で皇宮全体が忙しくしていたため、しばらくの間勉強はお休みしていた。 私も覚えないといけないことが沢山あったしね。
皇太女になったとはいえ、私はまだ五歳。国政に関わるような仕事を任されるわけはなく、また暇な時間が増えることになる。
五歳になれば本格的な皇帝になるための勉強が始まることになっているため、これからは勉強の時間が増える予定だ。
まだ五歳なのに…と思わなくもないけど、日本でも六歳から小学校に通って勉強していたため、始める時期としてはそんなものなのかもしれない。
この国には学校みたいなものはなく、貴族の家ではみんな自分の家に講師を招いて勉強するらしい。
逆に平民は寺子屋に通ってみんな一緒に勉強するみたいだけど。
異世界の学校とかちょっと、いやかなり興味があったんだけどなぁ。魔法の授業とか、異世界ならではのイベントとか、想像するだけですっごく楽しそうなのに。
「澪。この国にはなんで学校、学舎とかないの?」
「学舎…でございますか?さあ?私も存じ上げません。勉学をするだけなら、講師を家に招いたほうが効率がようございますし。神龍帝国アゼルヴァンには国中の貴族たちが通う学園なるものがあると聞いたことはございますが。」
「おぉ…!」
それはまさしく、私が想像していた通りのファンタジーな学園なんじゃない?神龍帝国アゼルヴァンって聞いた話だと中世ヨーロッパみたいな文化だったし。ちょっとわくわくしてきた!
「私もその学園に通えないかな…?」
「え。えっと、それは…少し無理があるのではないかと…。」
私が期待に瞳を輝かせ澪に尋ねるも、澪はとても困ったような顔をして言葉をつまらせた。こんなに困った顔の澪も珍しい。
まあ、それはそうだよね…。これでも一応、皇太女だから。そんな身分の私がおいそれと他国へ行けるわけもなく。
「やっぱり駄目かぁ…。」
ガックリと肩を落とし項垂れる。
そんな私を可哀想に思ったのか、澪が遠慮がちに口を開く。
「学園は難しいかもしれませんが、ご学友を宮に招いて一緒に学ぶことは可能でございますよ。」
「え?そうなの?」
「ええ。もちろんです。早いうちから未来の側近をお選びになり、ご学友として共に学ぶことは貴族の間でもよくあることでございますので。」
「な、なるほど。」
側近候補を早いうちから選んでおくってことね。貴族ならではって感じがする。確かに幼なじみなら信頼関係も得やすいのだろう。
私が求めているのはそんなんじゃないけど、同年代の子とほとんど関わる機会のない私にとって、それはとても魅力的な提案に思えた。
今私には友達といえるような人はいないからなあ。身分的に仕方のない部分もあるのかもしれないけれど、それでも一人も友達がいないなんて寂しすぎる。
そういえば…。
ふと、少し前に偶然後宮で出会った一人の女の子の姿が思い浮かんだ。後にも先にも、同年代で会ったことのある子供といえば、あの藤色の髪をしたツンデレ幼女しかいない。
あの子もきっと、服装や言動から考えて貴族の家の子だろう。たしか三条家とか言ってたような。
「澪。三条家って知ってる?」
「もちろんでございます。貴族の中でも最上位。十大華族のひとつ。名門中の名門の家柄ですから。」
「へ、へー。」
あの子、想像以上になんか凄い家の子だったらしい。
十大華族とかいうなんだか凄そうな響きにごくりと唾を飲み込む。
今でこそ皇族という身分になってしまった私だけど、中身は前世の影響を多分に受けた小心者の一般市民。生まれながらにして上流階級の子供とはわけが違うのだ。
「もしや、あの時お会いした三条家の姫君のことを思い出されていたのですか?」
澪の尋ねにこくりと頷く。
やっぱりあの時、澪は私のことを見ていたのか。出てくるタイミングからしてそんな気はしていたけど。私があの子に身分を明かさないのを見て声をかけるのを遠慮してくれていたのだろう。
「私が知ってるのはあの子くらいなものだから。」
「左様ですか。それでは、主上に相談しておきましょう。」
「うん。」
そう考えると講義が楽しみになってきた。面白そうな女の子だったし、今度こそ友達になれるといいけど。まだ名前も知らないしなあ。
ついでに私が皇太女と知った時のあの子の反応も見てみたい。
そんなことを考えて意地の悪い笑みを浮かべていると、部屋の外で待機している侍女が部屋に入ってきた。
「失礼いたします。殿下。太師様がお目通りを願っておりますが、いかが致しましょう?」
「太師…?」
「新しく殿下の講師に任命された方です。皇太女殿下の教育を務める者を太師とお呼びします。」
私が首を傾げると澪が教えてくれた。
「講師ってじいじ…宰相じゃないの?」
「宰相は臨時のお役目でしたから。正式に殿下の教育係となる太師が任命されたのです。宰相のご推薦だそうで。とても優秀な方だと伺っております。」
「へぇー。」
次の帝である皇太女の教育を任されるくらいだから、優秀だというのは間違いないだろう。
母上とじいじのことだ。そこで手を抜くとは思えない。
「新しい先生か。どんな人だろう?」
怖い人じゃなければいいなぁ…と思いながら、入室の許可を出すのだった。
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