第19話 名納めの儀

 見送りをしてくれた角端に別れを告げた私はみんなの元に帰るために再び門をくぐる。

 来た時と同じ膜を通り抜けたような感覚の後、肌を撫でる風と日の光を感じて、やはりあそこは水の中で空気がなかったのではないかと考えてしまう。

 もしかしたら私は水神の子供だから水中でも呼吸ができるのかもしれない。自分が気づいていないだけで。


「お帰りなさいませ姫様。」


 門の外でずっと待っていてくれたらしい澪と侍女たちが出迎えてれて、見慣れた顔ぶれに思わず頬が弛む。やっぱり慣れない場所で知らず知らずのうちに気が張っていたのかもしれない。

 お帰りと言ってくれる人がいて、帰ってきたと思える場所がある。

 転生してまだ5年ほどだけれど、ここはもう私にとって帰る場所になったのだ。


「無事お戻りになられてなによりです。皆様お待ちになっていますよ。」

「わかった。」


 そう。儀式はまだ終わりではない。むしろこれからが本番だ。


 ──名納めの儀。


 先ほど命名紙に記録した私の名前を皇族の家系図に記入し、正式な後継者として表明する。

 その場には今回初顔合わせとなるこの国の重鎮たちも参席するらしいので、まだ始まってもいないのに帰りたくなるほどに緊張していた。

 彼らに皇太女として認めてもらうためにも失敗はできない。


 私が憂鬱な気持ちでいると、ふと澪が私の腕の中を見てぎょっとした顔をした。


「ひ、姫様。その腕に抱えておられる狐は一体どうなされたのです…?」

「あ。」


 しまった。紅葉を抱っこしたままでいたことすっかり忘れてた!

 ずっと抱えていたから違和感なくて、危うくそのまま儀式に向かうところだった。でもさすがに式神とはいえ動物を一緒に連れていくのはまずいよね?


 訝しげな表情をする澪になんて説明したらいいのか分からなくて


「えっと。私の式神なの。」

「式神でございますか?いつの間に神使をお選びになられたのです?」


 神使…?

 聞きなれない言葉に首を傾げると澪は困った顔をして「今は時間がありませんが後でなにがあったかお聞かせくださいね。」と言った。

 うーん。あの男の人のことを隠してどうやって説明したものか。話しちゃいけないって言われたし、うまい言い訳を考えておかなくちゃ。

 とりあえず紅葉を侍女の一人に預けておくことにした。特に嫌がる素振りもなく大人しくしている様子を見てほっと一安心。


「姫様。命名紙と黒命真珠をこちらに。」


 侍女の一人が四角いお盆のようなものを差し出し、澪がその上に置くように手で指し示す。黒命真珠ってこの黒真珠のことだよね?

 私は言われた通りその上に懐にあった命名紙と黒真珠を乗せた。


「では参りましょう。」


 再び侍女たちを引き連れて私はしずしずと廊下を歩く。練習のために何度か通った場所だけど、ゆっくりと進むのでもどかしくなって走り出したい気分になる。

 急いでいるんだからせめて早足で行きたいところだがそれも駄目らしい。歩き方ひとつとってもできるだけ優雅で厳かに行動しなければならない。

 歩き方ひとつ自由にできないなんて皇族って本当に大変だ。


 そしてついに私たちの行列は立太子の行われる会場へとたどり着いた。


 ──玄武の間


 それは所謂、皇帝がおわす謁見の間のことを指す。

 重要な儀式が行われたり、臣下が皇帝に拝謁する場所でもあるため、皇宮の中で最も重要な場所であるといってもいいかもしれない。


 そこはたくさんの人がいるのに耳が痛いほどの静寂が場を支配していた。

 その厳かな雰囲気に私は知らず知らずのうちにごくりと唾を飲み込む。練習の時とは違う、私に向けられる多くの視線と張りつめるような緊張感。

 両脇には束帯や天衣を着た明らかに身分の高い人だと分かる人たちが並び、床の上に敷かれた畳の上に座ってこちらを見ていた。

 この人たちが所謂貴族だとか重鎮だとか言われる人たちだろうか?


 私は小さく息を吐くとその間をゆっくりと歩いていく。

 私は真っ直ぐ前を見ながらも、先頭に立って歩く私をじろじろと見られているのが分かってとても居心地が悪い。

 まあ幸いなことに敵意のある視線はないようだけれど。どちらかというと興味深げというか…。まるで珍獣にでもなった気分である。


 知らない顔ぶれの間を抜けると、一段上の段に今度は知っている顔が並ぶ。この間宴に参加していた人たちだ。もちろんそこには宰相さんの姿もあった。

 最近はなぜかじいじと呼べとしつこいので要望に答えてじいじと呼んでいる。

 じいじは機嫌良さげにニコニコと微笑んでいて、まるで孫の晴れ姿を見守る祖父のようだ。いや、実際私のことを孫のように思ってくれているのだと思う。


 視線をずらすと一人だけ知らない人物の姿があった。

 綺麗な波打つ藍色の髪。優しげで穏やかな笑みを浮かべた母上に負けず劣らずのたおやか美人。目元の泣き黒子が色っぽい。散々綺麗な顔を見慣れているはずの私が思わず一瞬見惚れてしまったほどだ。

 …それにしてもこの世界って美男美女が多いな。皇宮だから働く人の顔も重要視されているんだろうか?まあその中でも母上は頭ひとつ飛び抜けているんだけど。


 しかし私が目をひかれたのは顔立ちだけではない。

 なんとその女性は人魚を思わせるヒレ耳をしていたのだ。足は普通に人間と同じ二本足なので、違うところといえば耳だけのようだけど。

 まさかのここで異種族との初遭遇である。異世界だから人間とは違う別の種族がいても不思議じゃないとは思っていたけど、まさかこんなところで出会うとは。心の準備ができていなかったから思わず凝視してしまった。

 しかもその女性は盲目なのかさっきからずっと目を閉じている。それなのに私の視線に気づいたのか私に向かって小さく微笑んで、不意打ちの笑顔に私の心臓がドキッと跳ね上がった。

 もしかしてあの女性は目を閉じている状態でも周囲が見えている?少なくとも私が見ていたことには気づいていると思う。

 ファンタジーな世界だからそういう能力があるのかもしれない。心眼とか気配察知とか。うむむ、ちょっと背中がそわそわする。


 一番奥には御簾が下がっており、さらにその奥に母上様がいるのがシルエットで分かる。

 皇帝が座する玉座。ここでは御座というらしい。玉座といっても椅子ではなく高い位置に御簾で仕切られた空間があり敷物をしいてそこに座っている。

 母上様から見て右斜め前には御簾が上がって誰も座っていないもうひとつの御座が用意されており、そこは今度から私が座る場所になるらしい。


 私は規定の位置までくるとあらかじめそこに用意されていた敷物の上で膝をつく。


「始めよ。」


 母上様から発せられた一言で式は始まった。

 私が持ってきた命名紙と黒真珠を乗せたお盆が女官引き渡された。どこに持っていかれるのかと思って見ていると、なんと盲目のヒレ耳美女の前に置かれた。

 ヒレ耳の女性の前にある机の上に巻物のようなものがあり、おそらくあれが皇族の家系図なのだろう。

 女性は命名紙を受け取り名前を確認すると、筆を取って巻物にすらすらと文字を書き込んでいる。

 まさかとは思っていたけどやはり目を閉じた状態でも問題なく見えているようだ。じゃないと文字を書けるわけがない。一体どうやって視覚を得ているんだろう?


 私が疑問に頭を悩ませている間にも書き終わった巻物はお盆に乗せられ今度は母上様のところへ向かう。

 家系図を確認するためかな?私は自分の儀式中の動作しか教えてもらってないのでなにをしているのか気になる。


「…我が娘、花織津姫を名納めの儀をもって皇太女として任命する。詔書を述べよ。」


 今度は別の巻物を持った男の人が進み出て巻物を広げ朗々と読み上げる。


 ………。


 どうしよう。全くわからん。

 例えるならあれだ。日本語は日本語なんだけど古文を聞かされているようなそんな心境に近い。

 難しい言葉、堅苦しい言葉、古い言葉などで仰々しく作られた文を5歳児の私が理解するにはまだ早かったようだ。

 内容としては簡単にまとめると、皇族の家系図に私の名前を追加したので皇太女として認めるから全ての臣下と民はそれを祝福し忠誠を誓いなさいということだった。

 はてなを頭に浮かべる私に澪がこっそり教えてくれたので間違いない。後でじいじに教えてもらおう。


 読み上げられた詔書は再びくるくる巻きにして私に渡される。私はそれを恭しく受け取った。

 さらに追加で綺麗な装飾をされた明らかに大事な物が入っていそうな箱と、これまた高価そうな懐刀を渡される。こちらはお盆に乗せられていて私の代わりに澪が受け取った。


 詔書を読み上げた男性は澪が受け取ったのを確認すると両手を前に組んで膝をつき礼をする。


「新たなる小さき天意に祝福と忠誠を!玄天ノ国に栄光あれ!」

『新たなる小さき天意に祝福と忠誠を!玄天ノ国に栄光あれ!』


 母上様以外のここにいる全員が同時に復唱し私は驚いてびくっと小さく体を震わせる。不意打ちだからめっちゃ…じゃなくて凄くびっくりした。


 しかしこれで立太子を含めて全ての儀式の行程は終了した。短い時間だったけど結構疲れたな。

 何事も問題なく終わったことにほっと安堵しながら、私は澪に付き添われて玄武の間を後にしたのだった。

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