第18話 子狐

「落ち着いたか?」

「ええそうですね。」


 精神安定のように無心で角端を撫でていたら混乱していた頭がだいぶ落ち着いてきた。

 人間、立て続けに理解できないことが起こると精神的に不安定になるらしい。

 あれ?そういえば私はもう人間じゃないんだっけ?

 大人しく撫でさせてくれた角端には感謝だ。こんなに効果があるなんて、角端が水神の半身と言われているのはあながち間違いではないのかもしれない。


 とにかくこれで私がここでしなければならないことは全部終わった。あとはもう皇宮に戻るだけだ。

 でもここはなんだか居心地がいいので少し名残惜しく感じる。


「じゃあ私帰りますね。色々教えて下さってありがとうございました。」


 ずっとここにいるわけにもいかないので、ペコリと頭を下げて帰ろうとすると「待て。」と声をかけられる。


「あれ?まだなにかありましたっけ?」

「いや。しかし渡すものがあってな。」


 引き留められた理由が思い付かなくて、まさかやらなければならないことを忘れてる!?と焦ったけど、どうやらそういうわけではなかったらしい。

 ほっと安堵しているとふいにひょいっと毛玉が飛んできた。


「わわっ!」


 反射的に手を広げて受け止めると、小さな白い毛玉は私の腕の中にすっぽりと収まった。

 一体なんだろうかと覗き込めばまん丸な小さな2つの目と目が合った。

 三角の耳にふわふわの尻尾。それはどこからどうみても小さな子狐にしか見えない。


「人形?……じゃない!」


 ピクピクと三角耳が動き、鼻もヒクヒクとしている。ふわふわの尻尾がゆらゆらと動く度に私の腕をくすぐった。

 そしてなにより腕の中に感じる温かさがその狐が生きた存在であることを裏付けている。


「なんでこんなところに子狐が…?」

「私が捕らえておったのだがそなたにやろう。式にでもするがよい。」

「しき…?」

「式神だ。名を与え契約を結び使役する。他国では使い魔などと言われておるらしいが。」


 なるほど式神か。男の説明にさすがファンタジーの世界だなーと感心しながらフムフムと頷く。

 前世では陰陽師が妖怪とかを従えて式神にしていたんだっけ。

 ゲームでいうとポ○モンやテイマーみたいなものかな。私動物好きだからペットを飼いたいって思ってたんだよね。


 私は子狐を抱き抱えて目線を合わせる。


「ねえ君。良ければ私の式神になってくれないかな?」


 じーっと私の顔を凝視していた子狐はぱちぱちと目を瞬かせた。まるで意外なことを言われて驚いているみたいだ。


「なぜわざわざそいつにそんなことを尋ねる?式にするかどうかはそなたが決めることだろう。」

「え?だって嫌々式神になったってお互い辛いだけじゃないですか。この子が可哀想です。」


 私がそういうと男はなんとも言えないような微妙な顔をした。


「…そやつが可哀想か。そなた変わっておるな。」

「えっとそうですか?」


 変わってるかなあ?こういうのってお互いの信頼関係って結構重要なことだと思うけれど。

 それに嫌がっているのに無理やり言うことを聞かせるのは虐待みたいでちょっと嫌だ。


「式神というのは調伏して力で従えるものだ。力を示せばこやつらは従順になるからな。」

「うーん。それでも私は無理やりはしたくないですね。それに力を示せと言われても私はなにもできないですし。」

「…そなた、本気でそれを言っておるのか?」


 困惑して額を押さえている男を放置して私は子狐と向き合った。


「ねえ。どうかな?私の式神になってくれない?」

「…コン。」


 少し間はあったけど、たしかに子狐は私の目を真っ直ぐ見ながらしっかりと頷いた。


「本当?ありがとう!」


 もふもふの可愛い狐を式神にできたことが嬉しくて子狐を高い高いしながらくるくると回った。これでいつでももふもふできるぞー!

 子狐は驚いたように目が丸くなっている。


「本当に変わっておるな。どちらにせよこやつにはそなたの式神になるしか選択肢はなかったと思うが。」


 そういって男が私に抱えられている子狐に手を伸ばそうとすると、子狐はブワッと毛が逆立ち触られるのを嫌がるように私にしがみついた。

 耳がペタンと垂れて尻尾も隠すように丸まっている。心なしか身体もプルプルと震えているような…?


「この子物凄く怖がっているみたいですけど、なにをしたんですか?」

「気のせいだ。」

「え?いやでも」

「気のせいだ。」


 私が尋ねるも、男は無表情のまま気のせいの一点張り。

 でもこれだけ顕著に反応しているんだからなにもないということはあり得ないと思う。男がこの調子じゃあ理由を知ることは難しいだろうけど。


「仕方あるまい。これをそやつの首につけろ。」


 ため息をついた男が差し出したのは鈴のついた赤と白の首輪?しめ縄みたいに捻れていてちょっとおしゃれだ。

 この子に似合うかも!と受け取ろうとしたけど、子狐はそれを見たとたん嫌がるように身をよじらせて逃げようとする。


「…なんか嫌がってるみたいなんですけど。」

「これが付けられねばここから出ることはできん。式になると決めたのなら諦めろ。」


 ずいっと押し付けられて受けとる。まじまじと観察してみるけれど特に変わったところは見られない。デザイン以外は普通のアクセサリーに見える。

 なんだろう?ここから出るためのアイテムみたいなものなのかな?

 でもそれだけなら子狐がそこまで嫌がる理由にはならないと思うけどなにかあるんだろうか?


「えっと。ここから出るためにはあれを着けなくちゃいけないみたいなんだけどどうしても嫌かな?」


 嫌がることはあまりしたくないけど、ここから出られないと言われたら我慢してもらうしかないような気がする。

 どうしても嫌なら残念だけど式神になってもらうのは諦めよう。私だってずっと常世にいるわけにはいかないし。


 子狐はなにかを言いたげにうるうるした目で私を見つめてくるけれど、残念ながら私には心を読むような能力はないのだ。なにを伝えたいのかさっぱり分からん。


「嫌なら式になるのをやめるか?ならば私とここに残ることになるが。」


 困った様子の私を見かねた男がそう言うと子狐がピクン!と反応する。

 子狐は私でも分かるくらいに顰めっ面をして、やがて観念したのか渋々、本当に渋々とだけど大人しく頭を差し出した。

 これは着けてもいいってことなのかな?なんだか項垂れているようにも見えるけど。


「えっと。ごめんね。」

「コン。」


 不貞腐れている様子だが、コクンと頷いたので着けても大丈夫なはず。なんだか罪悪感が半端ないけどこれも必要なことらしいから頑張って欲しい。


 着けることになったのはいいものの、さてこれは一体どうやって着けるのだろうかと首を傾げていると、子狐の首元に近づけたしめ縄がするするっとひとりでに装着された。

 驚いて確認すると結び目のようなものはなく、まるで元々着けていたかのように境目が分からない。


「これで良かろう。あとは名だけだな。」


 仕組みが分からなくてしきりに繋ぎ目を探そうとする私に呆れたような視線を向けた男がそう言った。

 どうやらこのしめ縄について説明する気はないらしい。


「うーん。名前かぁ…。」


 結局見つけることができなかった繋ぎ目探しを諦めて、今度は子狐の名前を考え始める。

 狐の名前といえば有名なものだと玉藻御前が思い浮かぶけど、あまりいいイメージがないから別のものがいいだろう。

 そう考えていた時、子狐の少しオレンジがかった赤い瞳が目に入った。


「じゃあ…、あなたはもみじにしよう!」


 私がそう口にした途端、私と子狐の身体から緑色の糸がするするっと伸びて結びつき、なにかが繋がったような不思議な感覚と共に結ばれた糸がふっと消えた。繋がっている感覚は今でも残っていて、消えたというより見えなくなったという方が正しいかもしれない。

 不思議な感覚だけど全然嫌じゃない。なんだかもみじと身近な存在になれたような気がする。


「これでこやつはそなたの式になった。連れていくがいい。」

「はい!えっと、ありがとうございました。」


 私は紅葉を抱き抱え、今度こそお別れだと頭を下げて挨拶をする。

 結局この人の正体は分からなかったけど、色々お世話になったし紅葉も仲間にできた。感謝してもしきれないくらいだ。

 いつか名前くらいは教えて欲しいけど。聞いてくるなオーラが凄まじいからなあ。


 帰り道は角端が天門まで案内してくれるらしい。角端とは一旦ここでお別れだけど、これからは私が必要な時に召還できるようになった。

 私が遠くへ外出するときには、私が呼べば騎獣として私を乗せてくれるらしい。ということは、母上様も外出するときは成獣の角端に騎乗して出かけているんだろう。

 今まで宮殿の外に出たことがなかったから、その機会が近づいてきているようで少しわくわくする。早くこの世界がどんなところか見てみたい。


 私は角端の後ろをついて門を目指しながら、まだ見ぬ世界に期待を膨らませていたのだった。

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