第10話 東宮殿
3歳の誕生日から次の日。
昨日のお祝いの宴ではたくさんの美味しい和食が食べられて幸せだった。
転生してから初めての食事だったけど、やっぱり美味しいものを食べると幸せな気持ちになれる。
これからは毎日食事が出るということで、今日は母上と一緒に朝食を食べた。
朝食をとる場所は昨日の宴会場ではなく、いつもの部屋だ。やっぱり昨日の広い部屋は、お祝いがあるときなどでしか使われないのかもしれない。
相変わらずここの料理は料亭に出てくるような料理で、見た目もこだわっているし味も凄く美味しかった。
朝食が終わると母上とは別行動になり、私は澪と二人になった。澪に着替えさせてもらいながら、今日の予定が伝えられる。
「昨日お伝えしましたように、今日からお勉強が始まります。十の刻から一時間の予定です。」
勉強か。昨日母上に言われて知ってはいたけど、本当に3歳児の時から始めるんだ。
私は前世の知識があるからできないことはないだろうけど、純粋な3歳児に勉強させるのは早すぎるような気がする。時代の皇帝にもなるとそんな時期から勉強を始めるのが普通なんだろうか。
…いや、本来なら5歳から始めるところを、私のことを賢い子供だと勘違いした母上が、勉強を始める時期を早めたんだったっけ。前世の知識があったせいでそんな勘違いをされただけで、別に賢いわけじゃないんだけど。
自分が近い将来、皇帝になるべく勉強漬けの毎日を送っている姿を想像してしまい、朝から憂鬱な気分になった。
「どうかされましたか姫様?」
「ううん。なんでもない。」
皇帝になりたくないと言った時の澪たちの反応を思い出して、本音を言うわけにもいかないと曖昧に笑って誤魔化しておく。
澪を困らせるのも本意じゃないし。
「じゅうのこくまでなにもないの?」
気持ちを切り替えた私は澪に他に予定がないか尋ねる。
十時から勉強が始まるということは、今は八時になった頃なので、勉強が始まるまであと二時間くらい暇がある。
「左様です。お暇でしたら、姫様の私室が整ったそうなので行ってみられますか?」
「ししつ?」
これまで私はこの部屋で母上と一緒に暮らしてきたけど、こことは別に私専用の部屋が与えられるらしい。
確かにここは本来母上の部屋なんだろうし、成長して母上とべったりではなくなった私にも、皇族の一員として個室が与えられても不思議じゃない。
「いってみたい!」
「かしこまりました。」
自分だけの個室が持てるとなると楽しみで少しわくわくする。
澪と連れだって私の新しい部屋へと向かいながら、そういえば私はいつから母上とは別の部屋で生活を始めるのだろうかとふと考えた。
今はまだ3歳児だから、常に母上と同じ部屋で寝泊まりをしているけど、このままずっと一緒というわけにもいかないはずだ。
私専用の部屋が用意されたってことはそういうことだろうし。
「みお。」
「はい。いかがされましたか?」
「わたしはこれからそこでせいかつするの?」
私が尋ねると澪は驚いたように少し目を見開いた。
「そうですね。いずれはそうなるでしょう。ですがお母上様と会えなくなるわけではございませんよ。」
私が寂しがるのかと心配したのか、澪がしゃがんで視線を合わせながら安心させるように優しく微笑みかける。
うーむ。気持ちはありがたいけど、さすがに今さら母上と別の部屋で生活することを嫌がることはないかな。
確かにここでは、寝泊まりも食事も自室で済ませてしまうため、1日中部屋から出ないということも多い。実際、これまでの3年間、母上と私は部屋から出ることなく暮らしてきた。
私が母上と別々の部屋で過ごすことになれば、会う機会もほとんどなくなってしまうかもしれない。
とはいえ、澪も言っていたけど、別に会えなくなるわけじゃないんだし。むしろ成長しても母親とずっと同じ部屋というのも逆に困るのだ。
というわけで私はあまり気にしていないんだけど、その後の澪の視線が妙に温かいのが気になる。
「そのときは、みおはわたしといっしょにきてくれる?」
澪はたぶん伽耶さんたちと同じ母上付きの女官だ。今は私の面倒を見てくれているけど、私が母上と離れてたら澪はどうするんだろうか。
心配になって上目遣いでそっと聞けば澪は少し困ったような顔をした。
「申し訳ありません。私にも分からないのです。私は主上付きの女房ですから。いずれ姫様もご自身の女房や女官をお持ちになると思いますが。」
女房ってお世話をする人の役職のことだろうか。
つまり、澪は母上の女房だから私と一緒に来てくれるかは分からないってことか。
これまでずっと一緒に過ごしてきて一番身近な存在だったから、澪がいなくなるのは正直困る。
その時がきたら母上に「澪を下さい!」ってお願いしようと心に決めると、どうやらいつの間にか目的地に到着していたらしい。
そして私は案内されたその光景に目を瞬かせた。
うーん。部屋というかこれ、私室というよりひとつの宮殿みたいだよね。
「次の帝になる天子がお使いになる東宮殿でございます。」
なるほど。そうきたか。
てっきり母上の部屋の近くに一室もらえるのかと気楽に考えていたのに、丸々建物ひとつもらえるとは想定していなかった。
「準備は整えてありますので、姫様さえよろしければいつでもご利用下さい。」
澪のいう通り見たところ今からでも住めそうな感じだ。
澪に案内されながら建物内の様子を観察していると、既にここで何人か働いているようだった。
「この者たちは主上と伽耶さまが選抜された姫様付きの女官たちでございます。」
今までは私は母上と一緒に生活していたから、母上の専属の女官が私のお世話も兼任していたけど、別々に暮らすようになれば私専属の女官も必要になるということだった。
母上と伽耶さんが私専属になる候補者を何人か選抜して事前にここで働かせていたため、東宮殿は早い段階から私がいつでも住めるように管理されているらしい。
それでも彼女たちがまだ候補なのは、私の専属の女官のため任命権は私にあるからだ。
でも正直私は相手のことを知らないし、母上と伽耶さんが選んだ人たちなら、今さら私が判断しなくても問題ないんじゃないかと思う。
主殿と呼ばれる主に過ごす部屋に行くと、思ったよりも広くて驚いた。
前の部屋にもあったような日本風の天涯ベッドである御帳台もあるし、日中過ごすための畳が敷かれた座る場所もある。屏風や几帳等の調度品も整えられており、必要なものは揃っているようだ。
改めて見ると、寝殿造の屋敷は現代のものと全く違っていて、まるで時代劇に入り込んでしまったようだ。ここが私の部屋になるなんて不思議な気分。
「今日の講義はこの部屋で行う予定になっております。」
「え?そうなの?」
早速この部屋を使うことになるとは思っていなくて目を丸くする。今日もいつもの部屋だろうと思っていたから。
「講義の時間にこちらに来る予定でしたが、せっかくですので予め東宮殿のことをお伝えした方がよいかと思いまして。」
確かにいきなりここに連れてこられるより、その方が驚かなくて済む。
澪の気遣いに感謝して講義の時間まで女官が持ってきてくれたお茶を飲みながら時間を潰していた。
「そういえば、べんきょうってけっきょくだれがおしえてくれることになったの?」
講義をしてくれる先生がまだ誰なのかを聞いていなかった私は気になって澪に尋ねる。
昨日の時点では、母上と宰相さんが自分がすると立候補していたけど、国のトップである二人が私の講義に時間を割けるとは思えない。二人とも自分の仕事があって忙しいはずだ。
「それでしたら宰相が講義をなさるそうですよ。」
「ええ!?」
と思っていたのに、宰相さん本当に私の教育係になっちゃったの!?
絶対ないだろうと思っていたまさかの人選であんぐりと口を開ける。一応お姫様に転生したのにはしたないのは分かっているけど、それだけ驚いてしまったのだ。
「…さいしょうさん、おしごといいの?」
心配になって尋ねると澪も思うところはあるのか苦笑する。
「なにぶん急なことでしたので。正式な担当者が決まるまでの繋ぎと聞いております。」
「そ、それにしたって…」
「なんでも、これまで取っていなかった休暇をお取りになり、姫様の教育係に立候補なさったのだとか。さすがにそれは却下されたようですが。」
なにしてんの宰相さん!?
澪の話によると、一国重鎮である宰相のまさかの行動に一時期宮廷内では結構な騒ぎになったのだとか。
とりあえず、仕事の多い宰相が長期休暇をとってしまうと業務が滞ってしまうため、教育係にすることはできないが担当者が決まるまではと代役を認められたらしい。
私がまだ3歳のため、講義が一日一時間という短い時間であったことも大きかった。
どうしてそこまで教育係をしたいのか謎だけど、宰相さんの熱意が凄くて母上も最終的に折れたらしい。
まさかあの母上が根負けするとは…。
「なんでそこまで……」
「宰相にはお子様がいらっしゃらないので、姫様のことを孫のように思っていらっしゃるのでしょう。」
「うーん、そうなんだ。それならまあ」
分からなくもないのかな?
前世でもそうだったけど、祖父母にとって孫は可愛くて仕方ないらしいから。
宰相さんも高齢だし、自分に孫ができないなら私に重ねてみても可笑しくはないのかもしれない。
「とはいえ、高位の官吏のほとんどが姫様の教育係に立候補しており激戦らしいですよ。代理とはいえ宰相への僻みが凄いのだとか。」
「いやみんなひまなの!?」
「今日は会議の議題が姫様の教育係はどうするかについて議論されるらしいです。」
「だからみんなひまなの!?」
国の高官たちが集まって一体なにをしているのだろう。
本気で言っているのか、はたまた澪の冗談か。
「人気者ですね。」と楽しそうに笑う澪に恨めしげな視線を送る。
嬉しくないモテ期に私は机に突っ伏した。
講義まで開始まであと少し。
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