第8話 宴

 今日は本当に色々あった。

 楽しいことだけではなかった今日の出来事を振り返って小さくため息をつく。


 3歳の誕生日でただ部屋の外に出ただけなのにどうしてこうなったのか。


 結局あれから二人の教育係の取り合いは一時間にも及び、私がうとうとし始めたところで伽耶さんが仲裁してお開きになった。


 あの時の伽耶さんの笑顔、怖かったなあ。

 あの母上と宰相さんがビビってたくらいだもん。

 いつもおしとやかな伽耶さんを怒らせると凄く怖いと私は覚えた。


 でも、今日はただ部屋から出られるだけじゃない。本当のお楽しみはこれからなのだ。


 澪といつもの部屋に戻った私は、母上が帰ってくるのをそわそわして待っていた。

 なぜなら澪は言っていた。今日から私は食事を始めてもいいのだと。そして今日は3歳のお祝いのためにささやかな宴が開かれるのだと!


 つまり私もご馳走が食べられるということだよね!

 転生して早3年。ようやく食べ物を口にできる日がやってきた。

 前世で美味しいものを食べることの幸せを知っている身としては、たとえお腹が空かなくても、3年も一切食事ができないというのは辛いものがあった。


 お昼は色々あって気絶してしまったせいで、機会を逃してしまったけど、お祝いの宴は絶対に参加したい。

 それに皇族の食事だなんて期待も高まるというもの。おそらくだけど、使用される食材も、シェフの腕も一流のものであるはずだ。

 なんてたって皇族の宴だからね!皇帝にならないといけないと考えると憂鬱だけど、美味しい食事を食べられるとなればやる気も少しは出るというもの。


 楽しみすぎて夜まで待ち遠しい!早く母上帰ってこないかな。


「みおー。いまなんじ?」


「十七の刻でございます。姫様。」


「きょうのごはんはなにかな?たのしみー!」


「左様でございますね姫様。」


 澪は優しいから、私が待ちきれずに何度も同じことを質問しても、毎回面倒くさがらず笑顔で答えてくれる。

 鬱陶しいだろうに本当にごめんね。でも私はそんな優しい澪が大好きだ。


 私はひっそりと心の中で謝っておく。

 でも時間が気になって仕方ないので、申し訳なく思っても直せる気はしない。



 そろそろ午後6時になろうという頃。

 まだ母上は帰ってこない。

 待ちくたびれて畳の上をゴロゴロ転がっていると


「姫様。そろそろ刻限ですので、宴の間へ向かいましょう。」


 澪にそう声をかけられて私は目を瞬かせる。

 てっきりいつも母上はここに食事を持ってきてもらって食べていたから、今日もここで食事をするのかと思っていた。

 もしかして食事ってここでするわけじゃない?


「みおー。ごはんここじゃない?」


「ええ。左様でございます。宴の準備も整って皆様お待ちでございますよ。」


 ええー。だったらもう少し早く宴会場に行ってても良かったのに。こんなに暇だったんだから。

 澪に不満を漏らすと、苦笑して主役は遅れてくるものだと言われた。

 まあ、お祝いする相手に準備をしている様子を見せるわけにもいかないだろうし、わからないでもないけど。


 そういうことならと気持ちを切り替えて、澪に案内されて宴会会場へと向かう。

 会場までは部屋から少し距離があった。近くには女官たちが忙しそうに動きまわり仕事をしているようだ。


 到着すると、目の前には山と海の風景の描かれた立派な襖があり、その大きさから部屋が凄く広いことが窺える。

 ここが宴の会場らしい。


「こちらでございます。」


 私が襖の前に立ちその絵に圧倒され見上げていると、両脇にいる女性がしずしずとその襖をゆっくりと開けた。

 その二人の動きがぴったりとシンクロしていて、練習でもしたのかなとどうでもいいことを考えてしまう。


「わあ……」


 襖を開けると、その明るさと華やかさに目が奪われた。

 転生して初めてこんなに多くの人を見たかも。


 中は予想通り広い和室になっていて、奥行きが結構ある。

 既に料理が配膳されているためか、開けた途端に美味しそうな匂いが漂ってきて、思わずごくりと唾を呑み込んだ。


「さあ姫様。お席へどうぞ。」


 澪に促されて私はこくりと頷くと部屋へと踏み出した。


 一番奥の上座は一段高くなっており、そこには母上が座ってこちらを手招きしている。

 母上が座っている背後の奥の壁には、蛇と亀が合体した迫力のある獣の姿が水墨画で大きく描かれていて目を引いた。そして、生け花みたいな文化があるのか、壺に生けられた大きな梅の花が飾られている。


 そして中央を開けるように両脇には左右それぞれ2つずつ、計4つの席が用意してあり、そのうち3つの席が埋まっている。3人の内1人は宰相さんで、あとの男性と女性は知らない人だった。

 なんとなく予想はしていたけど、母上以外にも宴に参加する人はいたみたいだ。身内だけって言っていたから、もしかしたら親戚なのかもしれない。


 私は、ひとつ空いている手前の席が私の席なのかなと考えていたけど、私が澪に案内された席は、一段高くなっている奥の席、つまり母上の隣の席だった。

 たしかにこの席には、子供用に小さなサイズのお膳が用意されているから、私のために準備された席で合っているみたいだ。


 自分の席につくため中央を通ると、左右の3人の視線が痛いほど突き刺さる。

 敵意があるわけじゃないけど、なんというか興味津々といった感じだ。


「驚いたかえ?」


 席につくと、どこか楽しげな母上がしてやったりといった表情を浮かべていた。

 もしかして、私を驚かそうとして、この宴会場で食事をすることをあえて言わなかったのだろうか?

 だとしたら確かに驚いた。ささやかな宴って聞いていたけど、こんなに盛大に祝ってもらえるとは思っていなかったから。


 私がこくこくと頷くと母上は満足そうだった。


「あら。まさか姫君に今日のことをお話になっておらへんかったんどすか?主上もお人が悪いわあ。」


 席に座っている女性が上品に口元を隠しつつ微笑む。

 母上の仕草も上品だけど、この人も動きの一つ一つが凄く綺麗。母上の動作は上品な上に威厳があるけど、この人はなんというか流れるような所作だった。ただ自然に動いているだけのはずなのに、何故か目が引きつけられる。

 きっと育ちがいいんだろうなあ。


「ガッハハ!そりゃいい!サプライズってやつだな。主上も粋なことをする。」


 もう1人の男性は対照的に豪快な笑い声をあげる。

 上品ではないけど立ち振舞いに迫力があって気持ちのいい笑い方だ。


「これこれお二方。気持ちはわからんでもないが、話しかける前にやるべきことがあるじゃろうに。」


「そうどすな。つい誘惑に負けてしまいましたわ。」


「俺もだ。御子に会えると思ったら楽しみでしょうがなくてよ。」


 宰相さんに窘められて二人は中央の開けた場所まで出てくると、宰相さんに初めての会ったときにされたみたいに平伏した。


「臣、紫乃が帝国の天子へご挨拶申し上げます。」


「臣、伊三郎が帝国の天子へご挨拶申し上げます。」


 …これは、前にも見たことがある光景だ。


 私がたじろいで澪を見上げると笑顔で頷かれてしまった。

 うん。言えってことだよね。


「……ゆるしゅ。」


 その言葉を合図に二人は顔を上げて立ち上がり、一礼すると機嫌良さそうに席へと戻った。


 もう2回目だから、相手から平伏されたとき、私もどう対処すればいいのか分かってはいてもまだ慣れない。

 なんか、むず痒いというか、申し訳ないというか。


「お可愛らしい『許す』でしたなあ。」


「全くだ。これなら何回でも言ってもらいたいもんだな。」


 いや勘弁してください!

 微笑ましいといった感じで話す二人に、恥ずかしくなって私は思わず顔を覆った。


「儂は姫様に一番にご挨拶申し上げたぞ。戸惑う姿がそれはそれはお可愛らしゅうてな。」


 宰相さんまでなにいってんの!?

 ぎょっとして顔をあげれば、自慢気に話す宰相さんに、「それは羨ましいおすなあ。」とはんなりと話す紫乃さん、歯ぎしりして本当に悔しそうな伊三郎さんたちの様子が見えた。


 たしかに、まだ話すこともおぼつかない小さな子供が偉そうにしていたら、私だって微笑ましいなあと思うだろう。それが他人事ならね。

 それを自分がやっていると思うと、無性に恥ずかしい。本当はこんなことやりたくないし、仕方なくやっているんだって訴えたいよ。










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