第7話 皇帝の娘
母上が皇帝だという衝撃の事実を知って倒れてしまいみんなに心配をかけてしまった。
目覚めた私は母上に連れられて部屋から出ると、母上が普段仕事をしているという執務室へと移動した。
今までいつもいた部屋は寝室だったらしい。
母上の後をついて執務室に向かっている途中、何人かの人とすれ違った。
澪と廊下を歩いているときには誰にも会わなかったけど、やっぱりここで働いている人は結構いるみたいだ。
しかし、すれ違う時、宰相さんと初めて会った時にされたみたいに、みんなが頭を下げて私たちが通り過ぎるのを待っていたのには驚いた。
母上はそれを当然のことのように堂々としているし、母上について歩く女官たちもなにも言わない。
居心地が悪くてびくびくしているのは私ぐらいだ。
もちろん、今では頭を下げられる理由も理解しているけど、私は中身は小市民だし慣れないものは仕方ない。
そんなこんなで、私は非常に居心地の悪いものを感じながら廊下を歩く羽目になったのだった。
執務室についた私は、上座に座る母上の目の前に座っていた。
部屋には宰相さんもいて、私が突然倒れたことを気にやんでいたのか、私の顔を見ると明らかにほっとしたような顔をした。
「さて。姫よ。其方に話しておかなければならぬことがあるのじゃ。」
私がわざわざ執務室に呼ばれたのは、なにか真面目な話をするためだろうと予想はついていた。
母上の真面目な表情を受けて私は背筋を伸ばす。
「姫は此方がこの国の帝であることを知ったそうじゃな。」
「あい。」
予め澪や宰相さんから私が倒れた経緯を聞いているとは思うけど、確認するかのように尋ねられたので私も神妙に頷いた。
……相変わらず舌足らずではあるけど、一応顔と声色は真剣です。
「で、あるならば、そなたが次の帝であることも理解しておるかえ?」
「……ア、アイ。」
緊張で震えて思わず声がひっくり返る。
私が皇帝?いやいや無理でしょ。だってこれまで普通の大学生だったんだよ?
私に政治なんて、ましてや皇帝として国を治めなきゃならないなんて、私には荷が重すぎる。
助けを求めるように周囲を見渡しみんなの顔を見るけど、それは既に全員の共通認識なのか、納得の表情で誰も異論を挟むことはない。
誰も私の味方をしてくれることはないと知り小さく肩を落とす。
母上が皇帝だと知った時、その可能性を考えなかったわけじゃない。でも、私は皇帝になりたいとはこれっぽっちも思わなかった。
これから先、私に弟妹が生まれるかもしれないんだし、私は早々に継承権を放棄して一般人……は、皇族だから無理かもしれないけど、普通にのんびり暮らしていくつもりだった。
皇位争いなんてまっぴらごめんだ。
私が微妙な返事をしたからか、それとも微妙な顔をしているからなのか、理由はわからないけど、母上は私の反応を見て訝しげに眉をひそめ扇子をばっと開いた。
「姫が此方の子として生まれた以上、そなたが次の帝になることは避けようのない決定事項じゃ。これは例え天地がひっくり返ろうとも変わることなど有り得ぬ。」
母上様にきっぱり断言されて思わずその迫力にたじろいでしまう。
今まで私に優しい母上だったけど、威厳のある皇帝としての姿は、その場の空気を支配したかのような覇気があり、私は知らず知らずのうちに唾をごくりと飲み込んだ。
しかし、ここで引き下がってしまったら私が帝になることが決定してしまいそうで、私は震える手をぐっと握りしめ声を絞り出す。
「で、でしゅがははうえ。わたしにいもうとかおとうとができるかもしれないではないでしゅか。わたしはみかどにはなりたくありません。」
「……は?」
━━━━ゴロゴロドッシャーーン!
「ひゃぅ。」
私が帝になりたくないと話したとたん、その場の空気がピシリと凍った。全員が驚愕に目を見開き、何人かは今にも卒倒しそうな勢いだ。
母上ですら手にしていた扇子をポトリと落とし、私を凝視したまま固まっている。
そして母上の心情を表すかのように、驚くほどぴったりなタイミングで空が光り雷が凄い音を立てて近くに落ちた。
わぉ。凄いタイミング……じゃなくて
そ、そんなに私、まずいこと言ったかな?
全員固まったまま、シン…と静まり、私はこの空気に耐えきれず苦し紛れに「アハハ」と笑ってみせるけど、みんなの表情は優れない。
「ど、どうしたんでしゅか。みんなこのよのおわりみたいなかおをして」
私がそう言うとようやく母上が動き、額を押さえてそれはそれは深いため息をついた。
「この世の終わりとは言い得て妙じゃな。」
「冗談になっておりませぬぞ。」
宰相さんも深呼吸をして気持ちを落ち着かせているようだった。そんなに私が皇帝になりたくないと言ったのが衝撃だったんだろうか。
大袈裟だなあと思わなくもないけど。それとも、何らかの理由で新しい子供が望めない状況とかなら分からなくもない。
「姫よ。先ほども申したが、そなたが此方の子である以上、帝になりたくないという我が儘は聞けぬ。」
もう一度ため息をつき母上はそう言った。
やる気のない人を皇帝にしても良いことはないと言いたかったけど、母上の真剣な表情と威圧感に圧倒されて言葉を発することもできない。
それにこれ以上否定しちゃうと、母上はともかく他の人たちが本当に倒れてしまいそうだ。ちらりと後ろを見たけど、みんなさっきから顔色が悪い。
母上はさらに付け加える。
「そなたに妹弟などできぬ。もちろん、兄や姉もおらぬ。そなたが帝になるしかない。」
うぅ。やっぱりそうなのか。
母上にきっぱりと断言されてがっくりと肩を落とす。どんな理由かはわからないけど、私に兄弟はできないらしい。
私以外に候補がいないのなら、私が帝になることは最初から決まっていたようなものだ。
「…姫がなぜ帝になるのを嫌ごうておるのかは分からぬが、其方が即位するまでにはまだ猶予があろう。それまでに皇帝がどのようなものなのか学ぶとよかろうて。姫が決心がつくまで此方はいくらでも待とうぞ。」
母上が呆れながらも優しい目でそう言ってくれる。これが、母上ができる最大限の譲歩なのだろう。
「……あい。わかりまちた。」
……決心か。今の私にはそんな日がくるとは到底思えなかった。
これからのことを想像してそっと息をつくと、宰相さんが励まそうとしてくれたのか私に声をかける。
「姫様はまだ皇帝について詳しくはご存知ではないでしょう。これから知っていくうちにお考えもお変わりになるやもしれませぬ。」
「そうじゃな。其方は学ばねばならぬ。」
学ぶ、か。べつに勉強をしたくないわけじゃないけど、勉強したところで私に皇帝なんて務まるだろうか?こればっかりは本人の資質、向き不向きがあると思う。
自分に自信がないせいか、私のせいで国が滅亡してしまう未来を想像してしまいぶるりと震えた。
「姫。宰相と話したのじゃが、そなたはその年に似合わぬ賢さを持っておる。」
突然そんなことを母上に言われてドキッと心臓が跳ね上がった。
それはきっと私が前世の記憶を持っているからだ。まさか気づかれたのだろうか。
たしかに私はまだ教えられていないことをペラペラと話しすぎた気がする。
よく考えれば、さっきまで私は皇帝になるのは嫌だと主張していたけど、それだってまだ皇帝の「こ」の字も知らないはずの3歳児が嫌がるなんておかしな話だ。
今さらそのことに気づいて自分の迂闊さにめまいがする。
「そこでじゃが…」
次になにを言われるのか。お前は誰だと聞かれたら、私はなんて答えたらいいんだろう?
そんな嫌な考えが頭の中をぐるぐると駆け巡り、身構えて母上の言葉を待っていると
「明日から勉学の時間を設けようと考ごうておる。」
「……え?」
母上から言われた言葉は予想とは違いほっとしたが、全く想定していなかったことを言われたので戸惑ってしまう。
「べん、がく?」
「左様。本来なら五つになってから始める予定じゃったが、少々早めても構わぬじゃろうて。」
いや、本来なら5歳から始める勉強を3歳から始めるって少々早いどころじゃない気がするけど。
危うくそう言いかけたけど、言葉を呑み込む。
勉強を予定より早く始められるのなら私にとっても都合がいい。
地球とは色々違うところがあるこの世界のことを知りたかったし、反論する理由もない。
普通の3歳児なら無理かもしれないけど、私には前世の記憶があるから、前世と学習内容が違っていたとしても、5歳児レベルの内容くらい理解できるはずだ。というか、逆にできないと恥ずかしい。
そう考えて私はこくりと頷いてみせた。
「ほほ。姫もやる気のようじゃな。とはいえ、そなたはまだ幼い。遊ぶ時間も必要じゃ。
そうじゃな……学習時間は1日1時間程度、内容は国について基本的な知識。そんなところでよいじゃろう。」
「よろしいかと思われます。」
母上がちらりと宰相さんに視線を向けると、宰相さんは了承して頷いた。
今のはどうやら確認の合図だったらしい。
長い付き合いなのか、二人の息ぴったりな様子に感心する。
こうやって二人で協力して国の運営をしてきたのだろうな。
「では僭越ながら、宰相であるこの儂が姫様の教育係をお引き受け致しますぞ。」
…え?
突然なにを言い出すのかと、宰相さんの立候補に私だけではなく他の人も驚いた表情をしている。
執政官を取りまとめる政治のトップである宰相自ら?いくら皇帝の子供の教育といっても、宰相って重要な役職だからかなり忙しいと思うんだけど。
あり得ない申し出に私が目を白黒させていると
「なにを言うておるのじゃ。我が子への教育は此方が行う。親の役目じゃからの。」
さらにあり得ない言葉が母上から聞こえて思わず頭を抱えた。香耶さんですら呆れた表情をしているのが見える。
母上様。どこの世界に皇帝が自ら教育係をする国がありますか。お仕事してください。
そう言いたいのを我慢して代わりに小さくため息をつく。
私の教育係を巡って言い争いを始めた二人を見て、私はさっき感心したばかりなのに、既にその時の気持ちが消えていくのを感じたのだった。
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