第6話 母上の正体

 国の偉い人がなぜか頭を下げている。


 私はなにが起こっているのか理解できず、次の行動に移せないでいた。

 相手も頭を下げたまま動く様子がないため、少しの時間沈黙が流れる。


「姫様。許す、とおっしゃってください。」

「え?」


 下げっていた澪が近寄り耳打ちをしてきて、益々私は混乱した。 


 許すって、一体なにを許すというのだろう。許すもなにも、挨拶されただけで、このご老人とは完全に初対面だし意味がわからない。

 たしかに現在進行形で困らせられてはいるけども。


「姫様の許しがなければ宰相は頭を上げることができません。」

「なんでぇ!?」


 小さく悲鳴にも似た声を上げて澪と視線を合わせるけど、どうやら冗談を言っているわけではなさそうだ。


 どうして私の許しがなければ頭を上げることができないのか。色々聞きたいことはあるけど、とりあえず今は、この礼をしたままのご老人をどうにかする必要がある。


 私は、私の何倍も長生きしているご老人に偉そうな態度をとらなければならないことに躊躇しながら「ゆ、ゆるしゅ。」と言葉を発した。

 舌ったらずなのは勘弁してください。


「ほほほ。姫様へご挨拶申し上げたのは儂が一番ですかな。なんとも光栄なことじゃ。」


 ご老人はゆっくりと立ち上がりながら朗らかな笑い声をあげ、そしてなぜか嬉しそうな様子をみせる。


 私の言葉を聞いてようやくご老人が立ち上がってくれたことにほっとしつつ、相手が本当に許すという言葉を待っていたことに驚いた。

 いや、澪が嘘を教えるわけはないとわかってはいても、やっぱり本当にいいのか心のどこかで心配していた。

 結果、この対応で正解だったみたいだけど。


 腑に落ちない思いを持ちながらも、もしかして私も同じように挨拶をすればいいのかと考えて、とりあえず椅子に座ったままだけど頭を下げようとした。


「いけません!」

「え?」


 しかし、下げようとした頭を慌てた様子の澪が下から押さえたことでそれも失敗する。

 切羽詰まった澪の声に驚いて顔をはねあげると、目の前のご老人もなぜか目を見開いて驚いている様子だった。


「これは、一体……?」

「姫様はお母上様以外の方に頭を下げてはなりません。」


 言葉を漏らし呆然とする老人と、珍しく厳しい表情の澪に、私はなにか悪いことをしてしまったのかと身を縮こませ二人を交互にみやる。


「まだ、姫様の教育は始まっておらぬのじゃろう?」


 ご老人は私にではなく澪に尋ねたようで、その視線は澪に向いている。

 その質問を受けて澪は頷いた。


「はい。姫様への教育は、通例通り5つになってからの予定ですから。」


 やっぱりこの世界にも勉強はあるらしい。

 あんまり勉強が得意ではなかった私は、もう一度勉強をし直さなければならないことに肩を落とす。

 世界が違えば学ぶことも違うだろうし。ようやくあの地獄のような受験勉強を終えて、あとは就職をするだけだったのにな。

 自分の不注意で事故して死んだとはいえ、社会人になれなかったのはやるせないものがある。稼いだお金で親孝行をすることもできなかった。


 私が一人で落ち込んでいる間にも、二人の会話は続いていた。


「儂が頭を下げて挨拶をしたからそれを真似しようとなさったのじゃろうが。いやしかし、それではまるで……」

「口を謹んでください。いくらあなた様とはいえども、姫様への不敬は許されません。」

「わかっておるよ。」


 宰相が考え込みながらなにかを呟こうとしたのを澪の鋭い声が遮る。その声がいつもの優しい澪の声とは違った冷たい響きを含んでいて、私はびくっと反応してしまう。


 宰相はしゃがんで私と目線の高さを合わせると、先ほどの険しい表情が嘘のように朗らかな表情に戻っていた。


「姫様は高貴な身の上でございます。この国で姫様のお母上様以外に、姫様より目上の者はおりませぬゆえ。ですから、儂に頭を下げる必要はございませぬ。」

「つ、つかぬことをうかがいましゅが、ははうえのみぶんはなんでしょうか?」


 これまでの会話からなんとなく予想はしつつも、どうか外れていて欲しいと思いながら恐る恐る尋ねた。

 しかし、私の願いはどうやら届かなかったらしい。


「姫様のお母上様は、この玄天ノ国を統べる神、第3代目玄帝陛下であらせられます。」


 母上のことを尊敬しているのか、どこか誇らしげに語る宰相を見て私は気が遠くなるのを感じた。


「ふぅ……」

「姫様!?」


 慌てるような澪の声が聞こえる。

 そして私は今度こそ気を失って倒れてしまったのだった。








「あの反応はそれを知っているかのようでしたな。」

「記録が間違っておるのではないか?」

「いやしかし。そのようなことは」

「もうよい。これでこの話は終いじゃ。あの子との繋がりは此方が一番よくわかっておる。」


 ぼんやりとした意識の中、誰かが話している声が聞こえる。

 綺麗なのに威厳のあるその声を聞いていると不思議と安心してまた眠くなってしまう。

 が、これ以上眠っているわけにもいかないと自らを叱責して意識を覚醒させる。突然倒れちゃったからきっとみんなを心配させているだろうし。


 眠たい目をこすって目を開けると、いつの間にか私は部屋に戻ってきていたらしく、いつものふかふかの布団に寝かされていた。

 澪が運んでくれたのかなと思いながら体を起こすと、動く気配がしたのか近くにいたらしい澪が御簾を開けて顔を覗き込ませた。


「姫様。お目覚めになりましたか。お加減はいかがですか?」


 私が突然倒れたことで心配してくれていたのだろう。強張った表情が私の顔を見てほっと和らいだ。


「だいじょうぶだよ。」


 私が勝手にちょっと驚きすぎただけだからね。澪も話してくれた宰相さんも悪くない。

 むしろ3歳児にあなたの母親は皇帝なんですよってわざわざ教えても普通わからないと思われるだろうし、実際前世の記憶がなかったら聞いたところでふーんって感じだろう。

 皇帝がなんなのか、その意味をまだ理解できないから。


 あと言わないけど、私が気絶してしまいたいと思ったのも原因にあると思う。

 病は気からってやつ。ちょっと違うか。


 でもこれで凄く偉い立場のはずの宰相さんが、私にへりくだって頭を下げた理由がわかった。

 たしかに相手が皇帝の子供なら納得だ。

 神の一族というのも、皇族という意味だったのだろう。


 うんうんと納得して頷いていると誰かとはなしていたはずの母上が近くに寄って来た。その表情はどこかやつれてみえる。

 うーん。やっぱり私のせいかな?


「姫、具合はどうじゃ?辛くはないか?」


 心配そうに眉を下げた母上が割れ物に触れるかのようにそっと私の頭を撫でる。

 触れるか触れないかの力加減で慎重にさわるのでちょっとくすぐったい。


 心配してくれているのに申し訳ないけど、母上のしょんぼりした様子が珍しくてクスリと笑ってしまう。

 この綺麗な人が皇帝なのだと思うと、私の想像するような恐ろしい皇帝のイメージとは違っていて不思議な感じがした。


「なんじゃ。人が心配してるというに」


 心配しているのに笑われたのが納得いかなかったのか、口をへのじにして不満げな母上に私は耐えきれず笑ってしまう。

 母上は私が笑い声をあげたことに驚いたのか目を白黒させている。


 たしかにさっきまで気絶して心配していた相手が急に笑いだしたらびっくりするよね。私の頭がおかしくなったのかと思われるかも。

 でもちょっぴりお茶目で可愛らしい皇帝というのがツボで笑いが止まらなかったのだ。


「……ごめんなさいははうえ。もうだいしょうぶです。」


 ひとしきり笑って涙を拭うと、少し引き気味の母上が目に入る。

 やばい。笑いすぎた。


「お、おぉぅ。そ、そうか。それは良かったのじゃ。」


 や、やめてください母上!キョドる母上とかまた笑っちゃうから!


 これ以上変な子供だと思われるのもまずい。

 私は腹筋と表情筋を総動員して必死に笑いたくなるのを堪え優雅に微笑んだ。


 ………どこが優雅?っていう質問は受け付けません。

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