第5話 澪の謎
澪と一緒に広い廊下を歩いて家の中を見てまわり始めてからしばらく経つけど、未だ誰にも遭遇していない。意気込んで出てきたというのになんだか拍子抜けだ。
これだけ広い屋敷なんだから、お手伝いさん的な人がたくさんいてもいいと思うんだけど。逆に広いから誰にも会わないのだろうか。
「みおー。だれもいないね。」
「ええ。こちらに来れる者は限られていますから。」
「そうなの?」
「はい。それに姫様がおいでになる予定でしたので下の者は人払いをさせております。」
えぇ……。そりゃ誰もいないはずだよ。ちょっとだけ期待していたのに。
私の為を思って準備してくれたのだろう澪に文句を言うのも気が引けたので、私はなんとも言えない気持ちのまま曖昧に笑っておいた。
でも下の者はって言ってたし、やっぱり身分の高い人には会う可能性もあるってことだよね。
完全に気を緩めるにはまだ早いようだ。むしろ誰かに遭遇したら目上の人の可能性が高いので警戒する必要がありそう。
開放感のある広い廊下を抜けるとそこは中庭だった。
和風の庭園には池があり、渡れるように橋がかけられている。梅の木が何本も植えられていて季節でもないのに見事な花を咲かせていた。
私はそのありえない光景に驚いて、目を見開きながら言葉なく固まった。
その広大な庭園は一体誰が整えているのか。そこにはよく見ると梅だけではなく、季節外れの花々が咲き乱れており、それなのにごちゃごちゃした感じはせず自然と調和しているのが不思議だった。
「すごい……。」
思わず感嘆の声が漏れると澪は嬉そうに微笑んだ。
「はい。元々庭園があった場所なのですが、姫様のためにお母上様の命令で改装されたのですよ。」
「え。」
なにしてんのお母様!?
想定していなかったカミングアウトにその金額を想定して眩暈がした。
家がお金持ちなのはわかっていたけど、それにしたって子供へのプレゼントのスケールが違いすぎる。
それともお金持ちってこれが普通なの?
前世で一般市民だった自分の中の常識ががらがらと音を立てて崩れていくのを感じながら思わず遠い目になった。
……あぁ。今日はいい天気だなー。
「姫様。向こうで休憩いたしましょう。」
「あい。」
放心状態のまま澪に案内されて行くと屋根のある東屋のようなところに到着した。ひらけているので庭が一望できる。
景色もいいし、たしかにここならゆっくり休憩できそうだ。
座る場所はさすがに3歳児に合わせられていないため、澪に抱っこしてもらい椅子に座らせてもらった。その時、いつの間に用意していたのかどこからともなく座布団が出てきて戦慄する。
これが、できる侍女のスキルというやつか……!
しかし澪はそれだけでは終わらなかった。
座布団に目を奪われて少し目を離した隙にいつの間にかテーブルの上にお茶のセットが用意してあったのだ。
いや待って。澪さんあなたさっきからずっと私と一緒にここにいたよね?
大きな荷物は特に持っていなかったし、ほんとにこんなものどこから出してきたんだろうか。
もはや技術の枠を越えている神業を目にしてお茶どころではなくなった私だったけど、澪に最高級の茶葉を御用意しましたと言われて恐る恐る受け取った。
「のんでもいいの?」
思えばこれが私が転生して初めて口にするものだ。今まで飲まず食わずの生活だったからね。
生まれて初めて口にするものが、どこから取り出したのか不明なお茶というのもなんだか腑に落ちないものがあるけど、この機会を逃すのは惜しい。
「もちろんです。そろそろ姫様もお食事を始められてもよろしい時期ですから。今日から姫様のお食事も御用意することになっております。」
「ほんと!?」
突然の食事解禁宣言に驚いて身を乗り出して聞き返すと澪はにっこりと笑顔で頷いて肯定した。
う、嬉しすぎる!母上が食べていた食事は、どれもとっても豪華で美味しそうだった。日本の料亭に出てくるような料理といえばわかるだろうか。
めちゃくちゃ美味しそうな料理が目の前にあるのに食べられないという、いつも歯がゆい思いをしてきたけどそれも今日で卒業だ!
今日のメニューを想像してにまにまと自然に頬が緩む。
あ、でも初めての食事なんだから子供用に柔らかいペースト状のものが出てきたらどうしよう?ペーストまではいかなかったとしても、離乳食である可能性は高い。今までなにも食べてこなかったから考えられないことじゃない。
一応、既に歯も生え揃っているので普通の食事も食べられないこともないと思うし、今さら味の薄い柔らかいものが出てこられても困る。
気分が上がったり下がったりで我ながら忙しい。
落ち着くためにも澪が入れてくれたいい香りのするお茶を一口飲んだ。
「あ、おいちい。」
思わず口から言葉がポロリと出るほど、前世を含めて久しぶりに飲むお茶は渋みの中に仄かな甘味があってほっとするような美味しさだった。
お茶ってこんなに美味しかったっけ?高級の茶葉だというだけはある。
私の顔が綻んだことでお茶が美味しかったことが伝わったのか、澪も心なしか嬉しそうだ。
やっぱりお茶って入れる人の技術によっても結構味が変わったりするからね。お茶を入れるのもお付きの人の必須スキルなのだろう。
お茶を飲んだことで完全にリラックスした私は、庭に植えられている植物の説明をする澪の心地よい声をBGMに、景色を眺めながらゆったりとした時間を過ごした。
しかしその平和な時間も唐突な終わりを迎える。
柔らかい表情で私に話しかけていた澪が、ふいに廊下の先に視線を向けた。その横顔がいつもの澪とは違って見えて少しだけ不安になる。
私も澪がなにに反応したのか気になって同じ方向を見てみたけど、特に変わった様子はない。
首を傾げて澪に視線を戻すといつもと変わらない優しい瞳と目が合った。
なにがあったのかと私が聞く前に澪の方から口を開いた。
「お客様がいらっしゃったようですね。」
「え?」
告げられた予想外の言葉に驚いて目を丸くする。私も同じ方向を見ていたけど誰もいなかったはずだけど。
だから、さっき見た時に誰もいなかったはずだと否定しようとした時、建物の角から人影が現れたのが見えて出かけた言葉を呑み込んだ。
え?は?どういうこと?
澪の言う通り本当に誰かがこっちにやってきている。私は今、口をポカンと開けて相当間抜けな顔になっているだろう。
それとは反対に澪は冷静な態度で軽く頭を下げつつ一歩下がった。
ちょっと待って澪さん。あなた、今どうやって人が来ることがわかったの?
だんだんと近づいてくる人物よりも澪の異常な探知能力の方が気になりすぎる。
聞きたいけど聞けない。なにも言いだせないまま澪を凝視していたけど、その人物はもう目の前にまで迫ってきていてそんなことも言ってられない状況になってしまった。
その人物は、立派な白く長い顎髭を蓄えた仙人みたいな老人だった。初めて遭遇した人物が、現実ではあまり見かけないような、いかにも物語に出てきそうな見た目の人物だったことで思わずまじまじと見てしまう。
なんとなく偉い人オーラがある気がするけど一体誰なんだろう。
そんな私の耳元に口を寄せて澪はこそっとこのご老人の正体を教えてくれた。
「この国の行政を司る宰相です。」
「さい、ちょう……?」
日本史はとってなかったからあまり詳しくは知らないけど、宰相なんて役職日本にあったっけ?それともこの人の名前?
ぴんとこなくて呆けていると、澪が私が理解していないことに気づいてさらに説明してくれる。
「国の政治を行う官を取りまとめるお仕事をしている方ですよ。姫様にはまだ難しいと思うので、今はそこそこ偉い人だということだけわかっていれば大丈夫です。」
ひぇっ。
その言葉の意味を理解してひゅうっと息をのむ。
ちょっと待とうか澪さん。それって総理大臣みたいな役職ってことだよね。そこそこどころかめっちゃ偉い人じゃんか!全然大丈夫じゃないですけど!
私、時々うちの澪さんのことが分からなくなる。そんな偉い人をそこそことか言っちゃう澪さんって何者なんだろう。
ご老人がどんな立場の人なのか理解したのはいいけど、この後私どうすればいいんだろう?
澪みたいに頭を下げればいいのかな?でも椅子に座ったままだから降りたほうがいいかもしれない。
そう考えて慌てて椅子から降りようとするけど、3歳児なので足の長さが足りなくて降りれない。結局なにもできずわたわたするだけになってしまった。
澪も相手が偉い人だってわかっているなら、先に私を降ろしてくれてもいいのに!
珍しく気のきかない澪に不満をもらしつつ焦っていると、遂に話せる距離までやってきたご老人は朗らかな顔を見せてから、膝をついて頭を下げた。
「……え?」
この人、なにしてんの?
政治のトップである偉い人がいきなり目の前で平伏したことに軽く恐怖を覚えつつ、わけが分からず混乱して今にも倒れそうな気分。
この世界にきてから驚くようなことはたくさんあったけど、たぶん今までで一番驚いていると思う。
「臣、義兼が帝国の天子にご挨拶申し上げます。」
「……へ?」
しん、てんし、ごあいさつ……?
聞こえてきた老人の言葉を頭の中で反芻して、必死にその意味を理解しようと頑張るけど、混乱しているせいか全く頭が働かない。
どうしよう。私、本当にこのまま気絶した方がいいような気がしてきた。
思わず現実逃避をしたくなる私は悪くないと思います。
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