第4話 部屋の外の世界

 もうすぐ3歳になる。

 つまり、転生してから3年が経とうとしている。


 これまでの期間は、ずっとこの部屋の中で生活していたので、まだ部屋の外に出たことはない。赤ちゃんといってもちょっとくらい外に出たほうが健康的だと思うんだけど。

 母上や澪に部屋の外に行ってみたいと言ったことはあるんだけど、残念ながら許可が出なかった。

 しかし、3歳になったら部屋から出ても良いと言われているのでちょっと楽しみだ。


 私はお利口な子供だからね。勝手に外に出たりしないのだ。

 決して、外に出てはいけないと言い聞かせる母上が怖かったからではない。


 その間なにをしていたのかというと、子供らしく玩具や絵本で遊んで過ごしていた。

 精神的には大人なつもりなのでちょっと辛いものがあったけど、与えられた玩具で遊ばないと澪たちがとても悲しそうな表情になるので、私は一生懸命に楽しそうに遊ばなければならなかった。

 いやー、美人のしゅんとした顔には敵いませんって。


 まあ玩具はともかく、絵本は多少は文字が書いてあるので文字の勉強にはなったかな。

 まだ幼いおかげかするすると新しい文字が頭に入ってくるので、自分が天才になったのかと錯覚するほどだった。こうして意識がはっきりしているからわかったことだけど、赤ちゃんの学習能力って凄いんだね。


 あとは時々母上の演奏を聴くことがあった。その時間が私にとって一番楽しい時間だったかもしれない。


 そんな感じで過去を振り返っていると、澪たちがなにかを抱えてやってきた。

 結構大荷物みたいだけどなんだろう?


「姫様。お出かけ用の衣裳を新調致しましょう。」

「おでかけ?」


 首を傾げて尋ねると澪はにっこりと笑って頷いた。


「はい。もうすぐ姫様も3つになられますから。それすればお部屋から出られるようになりますので、外出用の衣裳も用意しておかなくてはなりません。」

「ふおおぉぉ!」


 やった!ついに、ついに!私も部屋から出られるんだ!せっかく異世界に来たのにずっと部屋の中で正直退屈だったんだよ。


 楽しみすぎてぴょんぴょん跳び跳ねて嬉しさを表現していると、みんなが微笑ましそうに私を見ていることに気づきちょっぴり恥ずかしくなった。

 みんなそんなに私を見なくてもいいんだよ?


「あらあら。姫様はお外に出るのが楽しみのようですね。」


 服を準備していた伽耶さんにまでそんなことを言われてさすがに私は顔を赤くした。

 うわー。体は子供とはいえ、中身は大人を自負している私としては、跳び跳ねながらはしゃぐのはかなりの醜態だ。

 みんなは微笑ましいくらいにしか思っていなくても、私の精神年齢が大人だと知ったら……


「どうかされましたか姫様?」

「う、ううん。ナンデモナイヨ?」


 急に大人しくなった私を不思議に思ったのか、顔を覗き込んでくる澪に返事をして誤魔化すように笑顔を向ける。


 ……どうかそっとしておいてあげてください。


「みお。ふくがいっぱいあるね。」


 次々と運ばれてくる華やかな子供用の和服に目を丸くする。

 一体何着あるんだろう?これ、まさか全部私のとか言わないよね?

 多すぎる服の数に頬をひきつらせる私とは対照的に、澪は満足気な表情だった。


「姫様が御召しになる衣裳ですもの。このくらい当然です。」


 身分の高い家の娘はこれくらい普通らしい。

 とはいっても、部屋を埋め尽くす勢いで運ばれてくるけど、まさか毎日違う服を着せるつもりだろうか。

 このくらいの年頃の子供なんてすぐに成長するんだから、こんなにあっても直ぐに着れなくなってしまって勿体ないのに。


「さあ姫様。試着致しましょうね。」


 色とりどりの鮮やかな服を手に瞳をキラキラさせながら初音と小春がにじりよってくる。とても素晴らしい笑顔のはずなのに、なぜか私は背筋に寒気を感じて後ずさった。

 なんだろう。なんだか不思議と肉食獣に狙われた獲物になった気分だ。


「姫様の為にあつらえた衣裳です。時間もたっぷりありますから一通り試着してみましょう。うふふ、楽しみです!」

「姫様は大変お可愛らしいですからどれもお似合いになりますわ!」


 え。まさかこれ全部試着するの?

 服を手に楽しそうに盛り上がる二人の様子に冷や汗がタラリと流れる。

 助けを求めて縋るように澪を見上げると、澪はにっこり笑って


「もちろん、衣裳だけではなく、素敵な装飾品も御用意しておりますよ。」


 違う。そうじゃない。

 残念ながら私の救難信号は澪には届かなかったらしい。


 結局その日は延々と日が暮れるまで新しい衣裳の試着を行った。

 最初のうちは綺麗な衣裳で着飾ることを楽しむことができていたけど、次々に目まぐるしく着替えさせられるうちに、疲れを通り越して無心になっていった。

 気分はもはや着せ替え人形………


 そのうち悟りを開けるようになるかもしれない。


「姫様、お次はこれです。」

「………。」

「姫様、よくお似合いです!」

「…………。」

「姫様……」

「……………。」



 私はその日、お金持ちにはお金持ちなりの苦労があることを身をもって知った。








 そして遂に迎えた3歳の誕生日。

 私もいよいよこの部屋から出る時がきた。楽しみすぎて昨日はあまり眠れなかったくらいだ。


 この世界では誕生日とはいっても、毎年お祝いするような習慣はない。

 しかし今回の3歳という区切りは少し特別らしく、今日は身内でささやかな宴が開かれるのだと澪が言っていた。

 5歳には儀式があり、7歳になると公の場で御披露目が行われて盛大にお祝いをすることになるらしい。

 お祝いのある区切りの年齢が日本の七五三と一緒なのはただの偶然だろうか?


「姫もついに3つになったか。子の成長は早いものよの。」


 新調した衣裳に身を包み身支度をされている私を、母上は優しく目を細めながら感慨深げに見ていた。

 そんなにしみじみと言うとお年寄りに見え……いえ、なんでもありません。


 なぜか突然寒気を感じて腕を擦っていると、髪を整えていた澪が髪飾りを付けたのか、少しだけ頭が重くなった気がした。


「さあ。終わりましたよ。」


 されるがままに身支度を終えると、小春が姿見を目の前に持ってきてくれた。

 鏡の中には、母上と同じ濡れ羽色の黒と毛先が蒼くグラデーションになった髪色のおかっぱ頭に、瑠璃色の瞳を丸くした美幼女がいた。

 頭には澪が付けてくれた梅の花の髪飾りが揺れている。


 服装と髪型を整えると、お化粧もしていないのに顔も明るく見えて、かなり華やかな印象になった。

 澪たちの努力のおかげでいつもより上品に見える気がする。


「お母上様に似て姫様は大変な美人さんですね。」


 私が美人かはともかく、澪の言うとおり私の顔立ちは母上とよく似ていた。母上を小さくして、威厳や色気を抜いて、アホっぽさを足したら私になる気がする。

 それって似ていると言えるのかと聞かれると私もちょっと自信がないけど、顔のパーツはほぼ同じだと思う。


 ただ、なんとなく母上ほど美人だなーという印象がないんだよね。

 年齢的に仕方ないことかもしれないけど、幼さが目立って美人というより可愛い分類に入る気がする。

 母上にそっくりなのにここまで印象が違うのは不思議。

 まあ、幼女に大人っぽさを求めるのもどうかと思うけど。



 準備が終わればいよいよ部屋の外へと出発だ。

 思えば3歳になって初めて部屋の外に出られるというのもなんだか変な話だ。いくら赤ちゃんといえども、3年間同じ部屋に籠りっぱなしなんて普通は考えられない。

 思い返せば、襖が開けられるのは御付きの人が出入りするときぐらいで、それ以外は閉ざされているため私は満足に外の景色も見たことがない。


 私の中の普通は日本の知識からきているので、この世界に適用されるかは謎だから断定することはできないけれど。この世界ではまだ体が弱く死亡率の高い子供を部屋から出さないという風習があるのかもしれないし。

 少しくらいは日光に当たった方が健康にいいとは思うんだけどね。



 初音が襖を開けると眩しいほどの日の光が部屋の中を照らした。

 眩しさに思わず目を閉じて、明るさに慣れてからゆっくりと目を開けると、部屋の外は開放的な広い廊下が続いている。


 まさか部屋から出るくらいでここまで緊張するとは予想していなかった私は、母上と繋いだ手に力を込めてからゆっくりと一歩を踏み出した。


「ふぅ。」


 とはいえ、部屋から出たくらいでなにか起こるわけでもなく、あっさりと廊下デビュー(?)を果たした私はきょろきょろと辺りを見渡す。

 見たところ予想していた通り和風の建物のようで、特に突出したところは見受けられないが、それでも時代劇の中に入ったみたいでちょっとワクワクする。


「此方は正殿の方へ向かう。澪は姫を連れて後宮殿を案内するのじゃ。」

「かしこまりました。」


 母上たちの会話に私は母上の服の裾を引っ張って見上げた。


「ははうえー。どこかいっちゃうの?」


 まさかすぐに部屋から出て母上と別行動になるとは予想していなかった。

 今まで片時も離れることなく常に一緒にいた母上と離れると思うと、急に心細くなってきた。


 部屋の中ならともかく、家の中とはいえ初めて訪れる場所に行くのに、母上が同行するのとしないのとでは安心感が大きく違う。

 部屋の外には知らない人も大勢いるだろうし、貴族の家っぽいから母上以外にも父親の奥さんがいる可能性だってある。

 今まで父親が会いに来なかったってことは、母上と父親の関係性もあまり良くないのかもしれない。


 そんなお世辞にもいいとは言えない複雑な家族関係を想い描いて不安でいっぱいになっていると、ふいにポンと私の頭に母上の手が置かれた。


「すまぬ。此方も姫と一緒におりたいが、此方にも仕事があるのじゃ。今までずっと休んでおったゆえ、そろそろあちらにも顔を出さねばならぬ。」


 優しく微笑みながら頭を撫でる母上に少し気分が落ち着いてくる。


 でもそっか。この世界では上流階級の女性もちゃんと働いているんだ。母上は私の育児のために育休をとっていたのかな。

 家族を養うために働いてくれているんだろうし、私がここで引き留めるのも申し訳ない。私は精神年齢は大人なんだから、他の夫人のイビりにも耐えてみせる!いるかはわからないけど。


「わかりまちたははうえ。おちごとがんばってかけいのためにかせいできてくだしゃい。」

「え。」


 ぐっと拳を握って応援の言葉をかけると、母上は目を点にして固まった。こんなちょっと間抜けな母上の顔は珍しい。

 私、なんか変なこと言ったかな?


「ふ、ふふ。そうでございますね。姫様の為にもお母上様にはお仕事を頑張ってもらわなければなりませんね。」


 珍しく肩を震わせて笑いを堪えている伽耶さん。他の3人も顔を伏せて必死に笑いを堪えていた。

 なんなのさもう!


 笑われている理由が理解できなくて首を傾げていると再起動した母上が咳払いをした。


「そ、そうじゃな。此方ができる母であることを姫に見せねばならぬ。姫は疲れる前に部屋に戻うておくのじゃぞ。ではな。」


 母上は早口に話すとそそくさと伽耶さんたちを連れて行ってしまった。

 その場に残ったのは私と澪のみ。いつもみんなと一緒にいたからか、二人だけになると急に静かになったみたいだ。


「では参りましょうか。」

「うん。」


 私は心細さを隠すように澪としっかりと手を繋ぐと、見慣れない廊下をゆっくりと歩き始めた。

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