10.今こそ〇〇ドーム
捕獲したウリ坊を穂花に押さえてもらい、毛糸で彼女のスマホをウリ坊の背中に固定する。手順はこんな感じだった。
まず液晶画面を下にしてスマホをウリ坊の背中に押し付ける。そして解いた毛糸を使って、ウリ坊の胴体や首をスマホと一緒にぐるぐる巻きにしたのだ。この時、背面に貼り付けられていたスマホリングが役に立った。リングに何回も毛糸を通しておいたからしっかりと固定されてるし、糸が切れない限りスマホが落ちることはないだろう。
「じゃあ、穴に向かって投げるぞ」
俺は立ち上がり、ウリ坊を胸の前でしっかりと抱いた。
すでに俺たちに慣れつつあるウリ坊は、大人しく俺の胸に抱かれている。それどころか、人懐こい可愛らしい視線を俺に向け始めていた。
――おいおい、そんなつぶらな瞳で見つめられたら投げにくいじゃねえか。
目を閉じて心を鬼にする。
すべてはお前にかかっているのだ。明日と明後日の俺たちが快適に過ごせるかどうかが。
俺は一つ深呼吸すると、目を開けてぐっと深くしゃがみこみ、「行けーっ!」と掛け声と供にウリ坊を投げ上げた。
クルクルと横ロールするウリ坊は、なんとか穴の外に飛んで行く。そしてガサっと草の音がしたかと思うと、ガサガサと草をかき分ける音が遠ざかって行った。どうやら無事に地上に降り立ったようだ。
「あとは運を天に任せるだけだな……」
穂花を向いて呟くと、彼女は「そうね」と静かにうなづいた。
「ゼミの先輩方はみんないい人なんだけど、教授がね……」
ウリ坊を投げ上げてから六時間が経過した。
もう二十時だ。洞窟の中は真っ暗。穴の入口からは、ぼやっとした淡い光が差し込んでいた。きっと月が出ているのだろう。
俺たちは洞窟の壁に背を預けて座り、この二年間についての話をする。別々にキャンパスライフを過ごしていた、お互いが知らない時間について。こういうのは焚火を挟んでコーヒーの香りと供に味わいたかったのだが、こんな状況だから仕方がない。
話しに夢中になっていると時間が経つのを忘れることができた。お腹が空いてくれば、毛糸をツルハシの汚れていない刃の根元の部分で短く切って、温泉に付けてから口に含む。十分くらいくちゃくちゃしていると柔らかくなって、飲み込むことができた。
トイレに行きたくなった時のために、上側の洞窟の行き止まりに穴を掘って簡易トイレを作っている。朝以降はほとんど何も食べていないので、大に行きたくならないのが救いだった。
「そろそろ横になろうぜ」
「そうね……」
さすがに六時間も話していると疲れてくる。
俺たちは堆積する土砂の柔らかい場所を選んで横になった。この際、服が汚れるなんて気にしている場合じゃない。できるだけ体力を温存することが大切だ。
「ウリ坊ちゃん、ちゃんとスマホを運んでくれてるかしら……」
SOSメールが健介さんに届けば、その二時間後には来てくれるはず。
誰も来てくれないのは、穂花のスマホが圏外のままであることを示していた。
――頼むから丘の上に運んでくれ、ウリ坊ちゃん!
仰向けになり、わずかに明るい出口の穴を見つめながら俺は祈っていた。
それから一時間。
眠れずに俺は、今日起きたことを思い出していた。
ここに着いて、草刈りして、テントを張って、水と石炭を採りに行って……。
そこまでは最高の体験だったのに、今はこうして穂花と土まみれになって洞窟で横になっている。
何でこうなった? 何を間違えた? 俺が草むらに行かなければ良かったのか?
でも地下にこんな洞窟があるのなら、いずれは誰かが落ちてしまうような気がする。そういう意味では、俺は見事に角尾家のファミリーキャンプのお膳立てをしたのだ。数ヶ月いや数年という長い目で見た時の貢献度はでかいに違いない。
出口からの淡い光のおかげで、全くの暗闇ではなくうっすらと周囲が見える。それは心強く、有難かった。
ぼんやりと出口を見上げていて思い起こすのは、ここに落ちた時の無重力感のフラッシュバック。
あれは一体なんだったんだろう……。
それとウリ坊が落ちて来た時もデジャヴュを感じた。
薄らとした記憶だが、俺は昔、迫る危険から穂花を守れなかったことがある。
だからもう一度同じことが起きたら、今度は絶対穂花のことを守るんだって小学生の俺は心に刻みつけたんだ。その記憶が、ウリ坊が落てきた時の映像と結びついて離れない。俺の二十年の人生の中で、頭上からイノシシが落てきたのは今回が始めてだというのに。
唯一言えるのは、小学生の頃の後悔と決意によって、ウリ坊から彼女を守ろうと自然に体が動いたことだけだった。
そんなことを考えていると穂花がそろりと上半身を起こす。そして俺の様子を伺い始めた。俺は慌てて寝たフリをする。
「やっぱ寝られないわ」
そう小さく呟いた穂花は、上半身を起こしたままゴソゴソと何かをしている。薄目を開けてみると、彼女はサロペットデニムの胸ポケットの中を漁っていた。
「今こそね、これを使うのは……」
そして取り出したのは、四センチ角くらいの正方形の薄いビニールのパッケージ。中に入っているものの形が、リング状に浮き出ている。
それって、まさか……コンドーム!?
穂花はコンドームを握りしめると立ち上がり、そそくさと温泉の方へ歩いて行ってしまった。
一体、何をしようとしてるんだろう? あいつは。
コンドームを使って男女がやることと言えば、アレしかないじゃないか。
――今こそコンドーム。
いやいや、今回は副題を復唱しなくていいから。使おうとしているのは穂花なんだし、いや待てよ、いざとなれば使うのは俺なのか?
それにしても穂花はコンドームを持ってどこに行ったんだろう?
まさか、温泉に行って身を清めているとか。
それだったら俺も清めたい。だって俺にとっては初体験なんだから。
なかなか戻って来ない穂花のことを考えると、股間がムズムズしてくる。一人で悶々としているうちに彼女はあるものを持って戻ってきた。
それは、水で膨らんだコンドーム。
きっと温泉を中に入れて来たのだろう。
「あー、これでやっと寝られるわ」
何をするのかと薄目で観察していると、どうやら頭の下に敷いているようだ。
「枕かよ」
ドキドキしていた自分がバカらしくなって、思わずツッコんでしまった。
「なに? 起きてたの?」
「ああ。そいつで何をするのかって思ってな」
「ふーん。もしかし凛太朗、期待しちゃった?」
「バ、バカ言うんじゃないよ。おまえなんかに童貞捧げるくらいなら風俗行った方がマシだよ」
ホントは思いっきり期待してたけど。
照れ隠しの言葉が思いのほか強くなってしまい、今度は後悔で頭の中が一杯になった。
「ひどい。最低。可愛い幼馴染に向かってそんなこと言う? 私だってこんなところで初体験を迎えるなんてまっぴらだわ」
穂花を怒らせて申し訳ないと思うと同時に、その後の彼女の言葉が気になってしまう。
――こんなところで初体験?
この言葉を信じるとしたら、たとえ穂花に彼氏がいてもまだ深い関係には至っていないのだろう。
可笑しくなった俺は、静かに笑い始めた。
「お互い、清い体なんだな」
「そうよ、小学生の頃のまま」
俺は寝返りを打って穂花を向く。
彼女はコンドーム水枕に頭を乗せたまま、こちらを向いていた。
というか、頭を乗せても破れないなんてすごいじゃないか。
「結構破れないんだな、それ」
「すごいでしょ。でも素敵な男性なら、黙って腕枕してくれるんじゃないのかな? そしたらこんなもの必要ないんだけどな」
「悪かったな、素敵な男性じゃなくて」
ホントにこいつは一言多い。
ていうか、腕枕なんて思いつきもしなかった。恋愛経験の少なさが悔やまれる。
「こんなところで腕枕なんてしたら、腕がクラッシュ症候群になっちまう」
「それを言うなら橈骨神経麻痺でしょ?」
ああ言えばこう言う。
穂花のそんなところは小学校の頃から全く変わらない。
「水枕、気持ちいいのか?」
「めっちゃ快適よ。あんたも使ってみる? まだあるから」
「いや、いいよ。俺は枕が無くても寝られるから」
まだ持ってるのかよ。
お前の胸ポケットは四次元なのか?
「コンドームって意外と色々なことに使えるのよ。コンパクトだし、こんな風に水を入れることもできるし、ペロの散歩の時もうんちを持ち帰れるし、いざとなれば買ったものを入れることだってできるんだから」
百歩譲って最初の三つは認めよう。が、最後のは納得いかねえ。だってコンドームをエコバッグ代わりにするんだよ。そんなの見たことねえよ。女子大生がそんなことするものなら、一発でSNSに上げられて大バズりになっちまう。
不覚にも俺は、穂花がアイスやペットボトルをコンドームにツッコんで家に持ち帰る姿を想像してしまった。
「だからね、いつもメガビッグサイズを買うことにしてるの。残念ながら凛太朗には使えないわね」
カチンと来た。
だから言い返してしまう。
「こう見えても俺だって成長してるんだぜ」
穂花の胸みたいに――とは言わなかったが。
「無理しなくていいのよ。あんたのちんちんなんて小学生の頃からたっぷり見てるんだから。こんな大きいのをはめたって、すぽって抜けちゃうじゃない」
言ってくれるじゃないの。こいつ、大人の男ってものを知らないな。
それなら俺の本気を見せてやる――と、ここでアピールするわけにもいかないし。
「まあ、そうだな。俺のちんちんあの頃のまんまだし、ブカブカで残念だよ」
言い争ってもしょうがないので俺はゴロリと仰向けになる。
「私の体も、小学生の頃のまんまだよ」
穂花も仰向けになって腹部をなで始めた。
なに? その意味深な行動は?
それよりも俺は、なだらかに盛り上がる双丘の方が気になってしまう。小学生の頃は見事にぺったんこだったぞ。いつの間にか俺たちは、大人ってものになっちまったんだ。
すると「きゃっ」と穂花が可愛らしい声を出した。
「破れちゃった……」
彼女の頭を見ると、破裂したコンドームの水で髪をびっしょり濡らしている。
ふん、ざまあ見ろ。俺のちんちんバカにした罰だ。
《つづく》
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