6.今こそ〇〇燃料

 穂花がポリタンクを湧き水の下に置くと、ババババババと水がポリタンクを叩く音が周囲に響く。湧き出し口から距離があるので、さすがにすべての水がタンクの口から中に入るというわけにもいかなかった。どうやら漏斗は用意してないらしい。

「じゃあ、待っている間、凛太朗はこれをやってて」

 そう言いながら穂花は、地面に置いたトートバッグから飛び出している木の柄を掴んだ。

 取り出したのは柄杓――じゃなくて、小型のツルハシ。

「わかった。これで水を汲むよ、ってツルハシやないかい」

 てっきり柄杓だと思い込んでいた俺は、早速ボケてみる。

 しかし穂花の反応は冷たかった。

「誰がこれで水を汲めと言ったの? あんたがやるのはアレ」

 彼女が指示したのは小さな崖の端。そこには地表から五十センチくらいの高さに、真っ黒な地層が顔を出していた。

「あの黒い地層を掘って、このトートバッグに入れて来るのよ」

 なんだよ、せっかくボケてやったんだから、優しくツッコんでくれたっていいじゃないか。

 全く人使いが荒いんだからと、不満を露わにしながらツルハシを受け取り、トートバッグを持って崖に近づく。そして彼女が指示した黒い地層に目を向けた。

 ――なんだこれ、上下の地層とはちょっと違うぞ。

 二十センチくらいの幅の真っ黒な帯。よく見ると黒光りしている。

 触ってみると、石よりも軽そうな黒い塊が数センチくらいの大きさでボロりと崩れてくる。上下の岩ほど硬そうな感じはしない。

 まてよ、これって普通の岩とは違うんじゃないのか?

 もしかして、これは……。

「おーい、穂花。これって石炭か?」

「そうよ。お見事ね」

 マジか。

 石炭って……燃える石のあの石炭だろ? 蒸気機関車の映像とかでよく見るけど、実際に見たり触ったりするのは始めてだ。

 現れたものがあまりにも予想外だったので、頭が状況を受け入れるのに時間がかかっている。

 しかしここはすげぇ。

 山林が自分たちのものというだけでもすごいのに、湧き水はあるし石炭も採れる。先程妄想した湧き水で炊いたホカホカご飯に、ジュウジュウと石炭に肉汁が滴る焼き肉が加わった。

「よし、掘るぞ!」

 俺は意気揚々と、石炭層に夢中でツルハシを打ちつけたのだ。 


 トートバッグを石炭で一杯にして戻ると、ポリタンクも湧き水で一杯になっていた。

「じゃあ、戻りましょ。悪いけどポリタンクをお願いできるかしら」

 また命令されるかと思ったら、予想外のお願いベースで俺は戸惑う。まあ、なんだかんだ言っても、こき使われることには変わらないんだけどさ。

 俺はトートバッグを地面に置くと、代りにポリタンクを持ち上げた。

「げっ、重っ!」

 ポリタンクの容量は十リットル。つまり十キロの重さが右腕一本にかかっているから当然だ。

 この状態でテントまで戻るのはかなり辛い。着くまでに腰がやられてしまいそうだ。

「片腕だけで持ってるから辛いのよ。ほら、これを左手に持ってみて」

 穂花が石炭が入ったトートバッグを俺の左手に差し出した。

 水に加えて石炭まで持たせるなんて鬼だな、と思いながらトートバッグを掴むと――あれ? 全体の重さは増したのに、ちょっと楽になったような……。

「バランスが重要なの。右手と左手でそれぞれ同じくらいの重さのものを持つようにすると歩きやすいから」

 ていうか、都合よく俺を使ってません?

 結局、ほぼすべての荷物を持たされてるじゃん。

 まあ、このために俺はここに連れて来られたわけだから仕方ないんだけどさ。

 ツルハシだけ持った穂花が、鼻歌混じりで俺の前をスキップし始めた。


「すごいでしょ? この場所。私が見つけたのよ」

 前を歩く穂花が自慢げに振り返る。

 確かにすごい。

 これって地域文化なんとかのフィールドワークの賜物なのだろうか?

「この地域に石炭が出るのは分かっていた。近くの町には昔、大きな炭鉱があったしね」

 ほお、やっぱり調査の賜物なんだ。

 なんだかんだ教授に文句を言っても、ゼミ活動が役立ってんじゃねえか。

「地元の博物館に行っていろいろと教えてもらったの。この付近の山には小さな石炭層が広がってるって。亜瀝青炭で質も低いから地元では無視されてるけど、キャンプするならこれで十分じゃない?」

「ああ、そうだな」

 十分どころか最高だよ。

 まだ燃えるところを見てないから断言はできないけど、ちゃんと燃えるなら盛大な拍手を送りたい。

 だってキャンプに必要な水と燃料がその場所で、しかもタダで手に入るんだよ。動画なんかでうっかり広めたら、たちまち全国から人が押し寄せちゃって、この周辺はプライベートキャンパーの聖地になってしまうに違いない。

 それにしても、こんな使える資源が地元では無視されてるなんて、なんてもったいない。

 まあ、もっと大きな炭鉱があってそこでたくさんの石炭が採れたのなら、あんな二十センチの石炭層なんて屁みたいなものかもしれないけどね。

 ――今こそ自家燃料。

 そんな言葉が俺の頭に浮かび上がる。現代のプライベートキャンプがその価値を再発見させたんだ。

「去年の今ごろからこの周辺をいろいろ歩いて、石炭層があって湧き水もあるこの場所を見つけたの」

 すごいよ穂花。見直したぞ。

 地域文化なんとかに進んだ成果が表れてるじゃないか。

 俺は最初、この土地は健介さんが選んで買ったんだと思っていた。

 が、実際は穂花が買わせてたんだな。

 まあ、可愛い娘のためだし、最高のプライベートキャンプができるなら俺が親でも買っちゃうかも。値段もかなり安いし。

 

 すると突然、ガサガサという音が横の草むらの中から聞こえてきた。

 何か野生動物がいるのだろう。

 距離は約十メートル。一方、動物はこちらに気付くことなく草むらを物色している。

 音の感じから予想するに、そんなに大きな動物ではない。猫くらい、もしかしたら鳥かもしれない。

 ちょうどいい。休憩だ。いい加減疲れたよ、水と石炭の両方持ってるんだから。

 俺はポリタンクとトートバッグを地面に置くと、スマホを取り出し、そろりそろりと草むらの中に入る。もう少し近づけば写真を撮れるだろう。

「ちょ、ちょっと凛太朗。やめておきなよ」

「大丈夫だよ。あの大きさならウサギかタヌキじゃないの?」

 それだったら撮るしかない!

 俺はスマホを目の前で構え、録画を開始しながらさらに近づく。

「待ってよ、凛太朗。私を一人にしないでよ」

 ツルハシをぎゅっと握りしめた穂花が俺の背後にくっついた。

 彼女はこの場所を詳しく知ってるようだったけど、やっぱり女の子なんだなと俺は思う。

 小学生の頃、家の近くを一緒に探検したことを思い出した。ガサゴソしている木の枝が気になって、一緒に塀に登ってどんな動物なのか見に行ってたっけ。

「それに、たとえ可愛い動物が撮れても、SNSには上げられないわよ」

 ここに着いた時にスマホを確認したら圏外だった。

 そのことを穂花は言いたいのだろう。

「あの丘をちょっと登れば電波は入るんだけどね」

 それなら問題はない。

 いい動画が撮れたら、ちょっと丘を登ってポチっとすればいいだけじゃないか。

 俺はさらに近づく。そろりそろりと、ガサゴソする草むらに向かって。オドオドする穂花も俺の背中にぴったりくっついて――とその時、予想外の出来事が起きた。

「あっ!」

「きゃぁ!」

 ふっと体が浮いたと思ったとたん、いきなり周囲が暗転したのだ。



《つづく》

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