第6章 雲厚く日未だ見えず 2

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 5ジグアリフの距離は四半刻もすれば、すぐに過ぎた。城門の目前まで来ると、先刻に皇子が言ったとおり、明らかにミナオの軍旗は皇家のものではないことは判った。


「あれは......」


 ファルシールが荷馬車の横から身を乗り出して城壁を見上げた。


 赤地の布に平行に並んだ二本の剣とその横に牡牛の角があしらわれた旗、ナンガルハル侯アミル=セシムのものである。その他にも、アミル=アシュカーン侯、アミル=ハシュ侯など、皇国十二諸侯の錚々そうそうたる軍旗が掲げられている。


 そして、最も異様だったのは、城市の外に留められていた軍馬の群れである。見渡す範囲だけで優に二千騎を越える数がおり、数ヵ所に見張りの兵士や、天幕が立てられている。


「これ一体なんだ?? すげえ!」


 与一は軍馬の群れに圧倒されて、思わず声を漏らした。遠目からは地平の丸みで見えなかったらしい。


 ファルシールは馬の大群にはしゃいでいる与一を呆れ半分で横目に留めながら、思案した。


(戦時とはいえ、なぜミナオに諸侯の軍が入っているのだろうか? 援軍、、、にしては早すぎる気もする。国土外周の州郡からここまでは、ひと月以上かかるというのに......)


 同時に、与一は与一で、ミナオの風景に少し物足りなさを感じていた。


「ファルシール、ここって確か商業都市だったよな? なんかラクダとか隊商とか、そういうのって居ないの??」


 ファルシールは与一に言われて、周りを見渡した。旗の事に気を取られていて気づいていなかったが、確かに行商人や旅人の姿が見えない。というより、全く無い。


 ミナオから東西に伸びる街道には諸侯の兵の人馬こそ見えても、商人の行き交う賑やかな列は無いのである。


「これはいよいよ妙だ」


「もしかして、また危ない感じか......?」


 与一は普段の町を知らないが、ファルシールの怪訝な顔や、ホスロイで感じたものと同じ雰囲気に、薄々気づいた。


 荷馬車はそのまま進み続けて、ミナオの東門の前まで来た。通常であれば、ここでは通行手形の発行や、隊商のための一時的な厩舎が設けられているが、今は全て軍に使われている。そして、ここにもやはり諸侯の私兵しかおらず、古びた鎧と槍で通る者を睨み付けている。


 さすがに門を通る者がファルシールたちの荷馬車しか居ないだけあって、門兵は与一たちを止めた。


「どこからだ」


 二人の門兵のうちの1人が訛りの効いた辺境のシャリム語で厳めしく問うた。


 ファルシールと与一は互いに顔を見合わせて、耳打ちをした。二、三こと話して、ここはファルシールに任せる事になった。


「東のホスロイから、荷の運搬で」


「ホスロイから? 荷は」


「頼まれて、奴隷を」


「ほう??」


 兵士が荷馬車の幌を捲って中を見た。与一はもうひとりの門兵と目が合って、努めてニコやかな笑みを返しておいた。


「奴隷にしては肉付きが良いな」


 そう訊いてきた兵士だが、もうひとりの兵士が思い付いたようにニタニタと笑いながら肘で仲間を小突いた。


「おい、これアレじゃないか?」


「アレってこたぁ、アレか......!」


 門兵は二人して鼻の下を伸ばすように気持ち悪い笑みを浮かべた。


「本当はダメだけんど、特別に通してやる」


「後で行くから、安くしとけや?」


 ファルシールと与一は兵士が何を勝手に妄想したか、瞬時に察した。奴隷が私娼と分かったのだ。


(むっつりエロおやじじゃん)


「ええ、はい、それはもう......」


 与一は適当に返しておいて、馬に鞭を打った。


 背中に今晩の楽しみが見つかった門兵のはしゃぎ様を遠ざけつつ城門を潜ると、寒空の下、日干しレンガ造りの市街地が広がっていた。だが、町にひと気はなく、皆、家に籠って、我関せずと、大通りを進む与一たちを流している。確かに異様であった。加えて、町の至るところに兵士が立って町を占拠しているように威圧して見えた。


(この感じ、すごく峠越えの前の町に似てる......。また死体の山とか見ないと良いんだけど......)


「ヨイチ、荷馬車をどこかに駐めて、歩いて高官の館へ向かおう」


「え?......ああ」


 与一はファルシールの危機感が滲み出た表情を見て頷くと、適当な路地裏に荷馬車を駐めて馬車を降りた。


 座りっぱなしで痺れた脚を伸ばしつつ、道を知っていそうなファルシールに付いていく。荷馬車に置いていく私娼たちの事を気にかけたかったが、一緒について来させるわけにもいかないし、元々はセグバントの奴隷である。いつまでも荷馬車ごと奪っておく事に意味は無かった。与一は後ろめたさを飲み込んで前を向いた。


 一応、与一は自分の学生カバンを背負って、いつでも帰れる備えをしておいた。ファルシールは外套を被って懐に隠してある短剣アキナカを常に握り、警戒を濃くして進んでいった。


 ファルシールは諸侯がどういう者たちか知っていた。彼らは皇家によって辺境に押し止められた古い野心家たちである。事実、皇家は諸侯の領地を接収したり地位を剥奪したりして、諸侯を潰していった過去がある。故にミナオにパルソリア平原への出兵の留守を任せる警備兵として、諸侯の、しかも十二家を同時に召集するとは考えられなかった。


 やがて高官の館の近くまで来ると、ファルシールは少し緊張を緩めた。邸宅の警護をする兵士が、皇家の兵装をしていたからである。そして、それは館の主が、まだ健在であることを意味していた。


「良かった......まだミナオの高官は居るようだ」


 ファルシールは居ずまいを正して、警護をする門兵に近づいた。


「この館の主に会いたい。すぐ取り次いで欲しい」


「なんだ貴様は」


 兵士2人は、得体の知れない少年二人が外套で顔を隠して近づいて来たので、警戒感を強めて持っていた槍を構えた。


「(ちょ、ちょっとファルシールさんや。これ、大丈夫なのぉ!?)」


 与一はファルシールに耳打ちした。


「う、うむ。言い方が良くなかったようだ......」


 ファルシールはゆっくりと外套の裾を開いて、下げていた短剣アキナカを見せた。


「声高には言えぬが、こういう者だ」


 兵士は目を細めてファルシールを上から下まで見分けんぶんすると、驚いたように目を見開いた。


「白銀の髪、黒獅子アル=シャースフの柄の短剣アキナカ......っ???!!!」


 兵士は2人とも血相を変えて館の中へと駆け込んでいった。


(すげぇ、まんま水戸なにがしじゃん)


 ファルシールの持つ短剣は、皇族の、しかもより本流に近い者しか持っていない代物である。皇家の軍の兵士ともなれば、その事も知っていた。また、白銀の髪の皇族で、本流に近い者と言えば、皇帝の第6皇子しか居なかった。


 兵士たちは慌てて戻って来ると、先程までの態度とはうって変わって、恭しくひざまずいた。


「殿下におかれましては、先程の無礼、知らざることと、何卒ご容赦くださいますようお願いいたします」


「許す」


「感謝します」


(へえ、ファルシールってやっぱり皇子さまなんだな......)


 そこで、ふとファルシールの手が震えているのが見えた。与一はファルシールの後ろに立っていたので、顔までは見えなかったが、手元が小さく揺れているのは分かった。


(どうしたんだろ)


 それから兵士が主の待つ部屋まで案内するのに付いて豪邸とも言える高官の館の中を進むと、やがて豪奢に飾られた応接間へと着いた。






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