第3話 ヒーローの出勤

 私の朝は早い。ロードワークから始まり、筋トレ、一通りの型の確認でみっちり2時間、雨が降ろうが嵐が来ようが年末年始だろうが欠かした事はない。常に己を最高の状態に維持するために必要な事。ルーチンは多ければ多いほど良い。


「おはようございます。……うへぇ、何作ってるんですか?」


 トレーニング後のシャワーから上がりスペシャルドリンクを作っている所でアイが起きてくる。結局昨夜彼女は泊まっていった。寝心地が変わるとパフォーマンスに支障が出るためベッドを貸すことはせず、リビングに適当に布団を敷いてやった。


「植物性プロテインに青汁、各種スーパーフード粉末及びマルチビタミン。コールドプレスのエキストラバージンココナッツオイルと平飼い卵のミックスだ。ああ、勿論全てオーガニックだから安心してくれ」


「美味しいんですか?それ」


「美味しいかどうかは問題じゃない。大事なのは身体が欲するかだ」


「少し飲んでみても?」


「一口だけだぞ?」


 私は渋々彼女にドリンクを渡す。しかし健康に気を使う人間が一人でも増える事は私としても喜ばしいことだ。


「ゴクッ。…………」


「どうだ?」


 これでも試行錯誤を重ねて今の形に落ち着いている。決して美味しいわけではないが、味も我慢できるレベルまで来ていると自負している。

 

「ヒーローって大変なんですね……。皆こんな物飲んでるんですか?」


「いや、私だけだ。皆には事ある毎に勧めているんだが不思議と誰も始めない。それで、味の方は……」


「そうですね。うーん……。ドロヘドロ、ですかね」


「なるほど良い趣味だな。クラシックには残るに足る理由がある。私もあの漫画は好きだ」


「ハジメさんって、前向きですね」


「ああ。それもこのドリンクのおかげだ。君も始めると良い。人生がより豊かになる」


 と言っても初心者には厳しいだろうから彼女には卵かけご飯を提供する。これには満足したようで「卵かけご飯ってレベルじゃねぇぞ、って感じです。驚きです」だそうだ。私も面目が保てて何よりだ。


 私は仕事に行かなければならない。状況が分からないから彼女には家で待機するように言った。彼女には私の個人用携帯を渡し、仕事用携帯への連絡先を教えた。何かあったら連絡するようにと。念のため有事以外の通信機器の使用は禁止した。私の家には多数の漫画や小説があったからそれで暇を潰して貰うことにする。本当は嫌だったが、お腹が空いた場合には冷蔵庫の中の物を適当に食べて良いと許可を出した。


 家を出る際、彼女は言う。


「いってらっしゃい」


「…………」


 私は返事が出来ない。一瞬脳裏に浮かびかけた情景を無理矢理抑える。これは、弱さだ。


「あれ。どうしました?」


「いや……。何でもない。行ってくる」


 私は自職場へ向かう。政府警備隊の仕事は多岐に渡るが、出動要請が出るまでは各隊毎に訓練を行う事が多い。加えて隊長格になると若干の事務作業がある。いつもは邪魔くさいとしか感じないが今回は別だ。お陰で怪しまれることなく情報収集を行う事が出来る。

 私は担当地区における昨日の情報をざっと調べる。異能者による事件が多数確認されたが、いずれも即時解決していて大事には至っていない。上への報告が少なくて済むのは大変喜ばしい事なのだが肝心の情報を見つける事が出来ない。これは、おかしい。


 私は昨夜の襲撃者を殺していない。勤務時間外にそれをやると色々と後処理が面倒なのもあるが、何より殺す程ではなかった。襲撃者は私に手加減をしていた。つまり彼には一定の理性があった。であれば目標を失った時点で諦めて帰るだろうと私は判断した。しかしそれはそれとしてだ。町中には至るところに監視カメラが設置されている。暴君に襲われたとして、被害者がSOSを出さなくても10分もすれば最寄りの駐屯所から政府警備隊が派遣される。少なくとも、私の掌底を喰らった襲撃者は30分は目覚めない。であれば、本来ならあの後で駆け付けた政府警備隊に捕まっている筈。その事は当然昨夜の日報に挙がっていなければおかしいのだ。


 ……アイはボロボロだった。そもそも私と会った時点で10分は優に超えていただろう。考えられる理由は3つ。1.襲撃者を雇った組織に凄腕ハッカーがいて監視カメラの映像に何らかの細工がされた。2.襲撃者の能力で監視カメラが故障。3.政府が意図的に見逃した。


 しかし1,2であるならいずれにせよやはり報告が挙がっていないのはおかしい。政府警備隊のセキュリティはそこまでザルではない。考えたくはないが、となると……。


 嫌な予感は当たる。隊員へ訓練内容の指示を済ませ、各隊から総監への前日報告が終わった所で私だけその場に残される。


「貴様、昨夜は勤務終了後に何をしていた」


 どうせ私だとバレている。素直に答える事にする。


「淑女が暴漢に襲われていたため、これを制圧。仲間がいる気配はなかったのですぐにその場を離れました」


「助けた女はどうした」


「既に申し上げた通り仲間の気配は感じなかったため、暴漢制圧後の関与はしていません」


 これを聞いてくるということは、今現在政府はアイの所在を把握していない。おそらく私を追い掛ける過程で監視カメラの目から外れたのだろう。私自身がもしもの報復に備えてそういうルートを選んでいたのだから当然と言えば当然。しかしこれも時間の問題である。人海戦術でもって町中のカメラ記録を調べられたらいずれは判明する。すなわち、私が彼女を匿っている事もバレる。それは自明だ。


 にもかかわらず私は総監への報告を偽ってしまった。うーん。もしもの時はどう言い訳しようか。たまたまナンパした女性がまさかあの時助けた本人だったなんて思いもしませんでした。通じるか?いや、通じない。


「……ふむ。そうか。貴様に限って間違いは起こさないだろうが、あまり勤務外で派手な行動を起こすなよ。万一があったときに揉み消すのも大変だ」


 うん?単純に心配されている?私が疑い過ぎているだけなのか?


「了解しました。申し訳ありません」


 私は敬礼して部屋を出る。


 一先ず安心したが、この件についてはもう少し詳しく調べる必要がある。私は安全監視官のハルを訪ねる事に決めたのだった。


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