第2話 ヒロインの当惑

「あの!アイの服はどこです?」


 脱衣所からアイの声が聞こえる。


「洗濯中だ。汚いから本当は捨てたかった。悪いがそこに置いてあるジャージを着てくれ。下着も一応置いてるが、嫌だったらまぁ、食事の後でコンビニに買いに行く」


 よし。そろそろ本日の夕食も完成だ。と言っても大した料理じゃない。羊のレアステーキ、茹でブロッコリー、玉葱とジャガイモのポタージュ。勿論全てオーガニックだ。


「そこまでお世話には……」


「気にするな。事情はこれから聞くが、あの様子では自宅に帰れないだろう?」


「いえ、それはそうですが、その、貞操の危機を感じているというか」


「……心配するな。うちの洗濯機は高性能だ。二時間あれば乾燥も終わっている」


「120分コース……!やっぱりそういう……!」


 いや、何でわざわざ自分でいかがわしく言い換えるの?ふざけんな?


「……もういい。君の夕食も作ってある。髪を乾かせ。服を着ろ。話は食べながら聞く」


 彼女と食卓を挟む。改めて見ると化粧を取った彼女は前の印象よりも幼く見える。つり目は変わらずだが。さっき貞操がどうとか言っていたが案外本当に処女なのかもしれない。


「わぁ。なんだかとても健康的な食事ですね。まるで、意識高い系のOLのようです」


 …………。これは褒められている、のか?


「それで?君はそもそも何で追われてたんだ?」


「それが、アイにも良く分からないんです。普段は事務やってます。今日も普通に仕事をして、その帰り道に突然……」


 ふむ。本人には自覚がないか。と言うことは、後天的に能力が開花したパターンだな。


「最近、会社で健康診断とか能力診断をやらなかったか?」


 現代社会では社員の健康状態と共に、その異能を把握する事が義務になっている。希に自分では抑えられない能力があって、業種によっては仕事にならない場合や危険が伴う事があるからだ。と言っても義務化されたのは最近の事だ。異能が世間的に初めて認識されたのはおよそ30年前。当時は数も少なかったし、異能といっても大した事は出来なかった。せいぜいがスプーンを曲げるとか、体が若干の磁性を持つとかそんなもん。しかし異能者の数は段々と増えていく。同時に能力の種類は多彩に、かつその力も強力に。

 能力診断の義務化だけで言えば、契機は10年前。製鉄工場で発生した大火災だ。当事者は事故で死んでいるので推定になるが、当日の状況や難を逃れた同僚の証言から異能が原因だと言われている。当事者の異能は可燃性ガス。彼はいつも通り個室でオペレートしていた。違ったのは部屋の換気扇が故障していたこと。知らずの内に部屋はガスで充満し、勤務態度が良好ではなかった彼はタバコに火を付けて爆発。災害は波及し周囲の3工場を炎上させた。死者数1500人に及ぶ、近代先進国では類を見ない災厄。


「どちらもやっています。ただアイは元々能力を持っていません。今回の結果もいつもと変わらずでした」


「……なるほど」


 これは、思いの外マズイ状況なのかもしれない。彼女を追っていた人間は明らかに素人ではなかった。むしろ上から数えた方が早い位の手練れだ。であれば可能性は一つ。能力診断結果の改竄。だがそうまでして処理したい能力となると……。


「そうだな。診断結果はともかく、至近で自分の身に何か異変を感じてはいないか?」


「異変……。そうですね……。大した話じゃないんですけど、デジャヴって言うんですかね。何かに付けて既視感を覚える事が多いです」


 いやこれ完全にヤバいやつじゃん。え?もしかして予知能力?異能者が認知されてから大分経つが、その手の能力は未だかつて確認されていない。


「あと、これも気のせいかも知れないんですけど、周りの人に対してアイがこうして欲しいと思うと、その通りに行動しているような感じがします。そうならない相手もいますけど」


 …………は?なんだその能力。洗脳?催眠?今の所はそこまで強い拘束力は無さそうだが。あれば襲撃者を止められただろうし、私以外の通行人も彼女を助けていただろう。だが、そんな能力は無いと片付けるにはおかしな点が多すぎる。逆に言えばその2つの能力があったからこそ彼女は逃げる事が出来ていたと考える方が自然か?


「…………。先回りをしてこのマンションに辿り着けていたのは……」


「はい。ここに来れば貴方に会えるような気がして」


「そうか。ああ、そう言えば裸足で逃げていたな。悪い。シャワーの前に消毒するべきだった。見せてみろ」


 私は彼女に近付いて、足裏の状態を確認する。


「へ?あれ。何で……」


 私もだが、彼女自信も驚いている。今まで意識していなかったのだろう。彼女の足裏には、傷一つない。そうだ。そもそも服はボロボロだったのに身体に怪我が見られなかった。……おいおい。おいおいおいおい。どうなってる。なんだこれは。


 これは……。ヤバいなんてもんじゃない。


「君、通信機器の類は……」


「途中で落としてしまって、今は持ってないです」


 不幸中の幸い。ここが直ぐに襲撃されるような事はないだろう。だがそれも時間の問題。どうする?どうするのが正解だ。いや。まずは冷静になれ。情報収集は終わっていない。基本的な事からコツコツと行こう。


「ふぅ。私の予想が正しければ、君は今、大変危険な状況に置かれている、と思う。ひとまず今日は泊まっていけ。下手に外に出る方が危険だ。自己紹介をしていなかったな。私はハジメ。この地区を担当している政府警備隊の隊長だ。歳は今年で31。君に比べたら大分歳上だろう。ちなみにそういう趣味はないから安心してくれ」


「凄い!隊長さんってことはヒーローじゃないですか!良かったです。助けてくれたのが貴方で」


 ……ヒーロー。政府警備隊の隊長格以上は一般的にそう呼ばれる。その極めて分かりやすい名称は民衆に安心感を与えると共に、本人に強い自制を促すという意味で一定の効果がある。力は麻薬だ。俺達はそれに囚われてはいけない。


「でも、安心は出来ません。アイとハジメさん、そんなに歳離れてないですから」


「え?」


「アイ、こう見えても今年で28です。エヘヘ。皆からは老けないねって、いつも羨ましがられてます」


 ……未来予知。認識操作。そして、不老不死。


 アイと名乗る異能者との出会いは、私の平穏を簡単に破壊していくのだった。

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