ストレングスの後悔

てんこ

第1話 ヒーローの日常

「た、助けて下さい……!」


 声のする方を見る。歳は20半ばだろうか。中肉中背、若干つり目で性格キツそうだけど美人な部類だろう。そんな彼女は何かから必死に逃げている。多分ヒールを履いていたのだろうが今は裸足。良い判断だ。そもそも私、ヒール嫌いなんだよね。ファッションのために機能性を犠牲にするとか馬鹿の極みとしか思えない。


「た、たすけ……」


 場所は歓楽街。当然周りにいる人間は私だけではない。でも誰も彼女を助けようとはしない。皆知らんぷりだ。ま、メリットがないからね。と言うか、デメリットが大きすぎる。大人しく政府警備隊の到着を待つ方が良いだろう。つり目ちゃん、がんばってー。


 で、いよいよ近付いてきた彼女を追っている何かを、私は視認する。……違法強化パッチ及び能力合成型。ふむふむ。強化レベルBで合成回数は3ってとこか。うーん。これはちょっと、逃げ切れないよなぁ……。小娘相手にガチり過ぎだろ。


 つり目ちゃんが私の横を通りすぎる。私は彼女と追跡者との間に立ち塞がる。


「邪魔だ!そこを、どけぇ!」


 どけぇ!とか言いながらも一般人が喰らったら普通に死ぬであろう攻撃を仕掛けてくる。具体的には金属製の棍棒で頭をかち割る気だ。これだから、誰も助けに入れないんだよなぁ。っていうかさ、その武器持たないで追い掛けたら普通に捕まえられるんじゃないの?馬鹿なの?


 ズゥン……。


 敵さんは沈む。完全に沈黙。なに、大した事じゃない。棍棒を避けると共に敵の腹部に掌底を打ち込んだだけ。コツはそうだね。自分を、地面に刺さった杭だとイメージすることかな。インパクトの瞬間、右足で大地を踏み砕くのです。さすれば、全てのエネルギーは相手に返るのです。ほら、簡単でしょう?


 これ以上面倒に巻き込まれるのが嫌なので、私は早々にその場を立ち去る。路地裏を無駄に経由して、途中、適当なコンビニで少し時間を潰す。帰宅時間が予定よりも30分は遅れるだろう。その分夕食の時間も遅れる。くそ。明日の私のパフォーマンスは10%減だ。


 コンビニを出る。視線を感じる。撒けなかったか。はぁ。これでまた帰宅が遅くなる。


「あ、あの!」


 聞き覚えのある女性の声。ん?つり目ちゃん?でも私は無視して進む。何故なら早く帰りたいから。これ以上は勘弁マジ御免。


「…………」

「…………」


 なんか付いてくるんだけど。無言で。やだよぅ。怖いよぅ。よし。撒こう。


 彼女の視線が外れた瞬間、私は音もなく駆け出す。直ぐに細い路地に入り迷路みたいな道をトップスピードで進み続ける。勿論、自宅の方向へ。もう時間のロスは避けたい。


 程なく私の住んでいるマンションに辿り着く。彼女の気配はとうの昔に振り払っている。ふぅ。時間外労働お疲れ様、私。


 エントランスからエレベーターに乗って10階へ。チン。到着。嫌な予感。扉が開く。私の部屋の前に人影。ガッツリ目が合う。私はエレベーターの扉を閉める。動揺していたのだろう。間違って最上階である12階のボタンを押してしまう。押すなら1階だった。これでは逃げられない。


 チン。12階へ到着。いるわこれ。気配感じるもん。私はエレベーターの扉が開かないように閉じるボタンを連打。


 一瞬だけ開いた扉の隙間から差し込まれる女性の指。


 はい。ここまで完全にホラーですね。でも私は幽霊の存在など信じていないし何なら10階で目が合ったのはつり目ちゃんだった訳でこのままでは彼女が怪我をしてしまうから仕方なく私は自分の手を差し入れ力を入れる。扉が開く。もはや見慣れたつり目がこちらを睨んでいる。


「そこまで避けなくて良いじゃないですか。アイよりもよっぽど真剣に逃げてましたよね」


 どうやらこの子の名前はアイというらしい。自分の事を自分の名前で呼ぶ女は嫌いだ。大抵精神年齢が低くて面倒臭いから。要するに地雷の可能性が高い。


「……君以外に誰かいる?」


 いないことは分かっていたけど一応聞く。


「いません。それよりも、先程はありがとうございました。危うく殺される所でした」


「嘘付け。自慢じゃないけど隠密行動には自信があったんだ。私に付いてこれる君が、あの程度の相手から逃げられない筈がない」


「そんな事はないです。別にアイは身体能力が高い訳じゃないですから。いつかは捕まってしまったでしょう」


「……ここで長居するのは他の住人に迷惑だ。ひとまず私の部屋で話そう。茶くらい出す」


 改めて見ると彼女はボロボロだ。相変わらず靴も履いていない。


 10階に戻り部屋の鍵を開ける。私は彼女を抱える。


「ひぅ!!!な、何を……」


「何をじゃないよ。部屋を汚したくない。まずはシャワーを浴びろ。話はそれからだ」


「非常にありがたいですが、それは、女性に対して大変失礼だと思います。もう少しオブラートに包んで下さい」


「潔癖症なんだよ。本当なら部屋に他人を入れたくない。でも今からまた外出して、只でさえ崩れているルーチンを更に悪化させるのは耐えられない。察してくれ。私は己に残る僅かな善意のみで動いている。……嫌々な」


「……分かりました。すみません。あなたの判断に従います」


「それでいい」


 私はアイを風呂場に押し込んでからいつも通り夕食作りを開始する。平穏だ。極めて日常。ただ暴漢に襲われている女性を助けただけ。至って普通のことだろう。


 ……いや。一つだけ異常がある。


 今日は、二人分の食事を作らなければならない。

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