第5話 えっ?

ブラウスの胸元を握る手に徐々に力が入っていく。どうしよう。その5文字で頭がいっぱいになってきた。耐えきれなくなって視線をふっと外した。視線を外した直後にふわっと落ち着く匂いと体温に包み込まれた。頬に少しだけ肌触りの良いワイシャツが触れている。理解出来たのは右手で頭を撫でられていて左手が背中に置かれているという事と自分の体温と心拍数が上がっている事だ。自分が急に同級生の男子に抱きしめられているなんて理解出来ない。体温が高いせいか自分の体の輪郭が分からない。そもそも夢か現実かすらも分からない。親に抱き締められるのとは違って落ち着かないし不安の様な物もある。それでも大きな手で頭を撫でられると落ち着いて安心してしまう。落ち着いて徐々に体温が戻ってきたのか自分の体が抱きしめられているというのがハッキリしてきた。不意に耳元で

「...千歳は悪くないから。ごめん。」


という声がした。悠里のその一言のお陰で現実だとようやく理解出来た。と同時に肩に入っていた力が一気に抜けていった。顔を悠里の肩の辺りに埋めたままなのにも関わらず深呼吸をしてしまった。それでもまだ悠里の右手は私の頭を撫で続けていた。頭の中がクリアになってきてようやく状況が理解出来た。と同時に体温が離れていった。私の両肩には悠里の手が置かれている。悠里の目は先程とは少し変わっているように感じた。優しさと誠実さがヒシヒシと伝わってきた。その目が綺麗で思わず見惚れてしまった。

「遅いし帰ろ?」


「...え あぁうん」


ワンテンポ遅れた返事をしてやっと現実に引き戻された。カバンを背負って階段へ向かおうとして振り向いた。悠里が先に階段を下るか後ろから着いてくるか確認したかったからだ。先に行く様子がなかったからゆっくりと廊下を進んで階段を下った。11月だとは思えない程に暑いのは急に抱きしめられたせいだろう。生徒用玄関まで行って靴を手に取る。駐輪場に向かう悠里の背中に向かって

「じゃあね」

と言ったが聞こえなかったのか急にあんな事をして気まずかったのか返事は返って来なかった。薄暗い道を家に向かって歩いているうちにふと疑問が浮かんだ。何故抱き締められた時に嫌だと思わなかったんだろう。嫌だと思わなかったとしても何故拒否しなかったんだろう。ただの男友達に抱き締められたら嫌だと思って拒否するのが普通ではないだろうか。しかも頭まで撫でられるなんて相手によっては鳥肌ものだ。なのに何で私は抱き締められ、頭を撫でられて落ち着いたんだろう。以前から薄々気付いてはいたがまさかこれが世間一般的に言う『恋』なのだろうか。

6月、修学旅行の自主研修の打ち合わせを始めた辺りから恋心のようなものはあった。だけど勘違いだと思い込んで誤魔化してきた。だけどもう誤魔化せない。これで『恋心のようなもの』ではなく『恋』だと気づいてしまったから。




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