2辺目・陽と海に沈む

 夏休みが始まってから1日が経過し、少年はまだ日が昇りきらない時間に海沿いの駅に来ていた。少年の最寄り駅、北汐海から急行列車で30分。もちろん、横には隼人の姿がある。ふたりとも涼し気なTシャツ短パン姿であるが、涼しいというような表情ではない。


 「まだ7時40分だぜ。さすがに暑すぎないか?最近の日本は。」


 隼人が愚痴をこぼす。と言っても夏場の暑さに愚痴を言うのは会話の枕詞みたいなものだ。


 「今日の最高気温は38度だってさ。」


 「でも昨日はまだ涼しかったよな。」


 「それでも35度だったよ。もう隼人の体感はバグってるな。」


 そんなたわいもない会話をしながら海岸へと歩く。それにしても、隼人が愚痴を言うのも納得できる。朝っぱらから海へ出向いてきたというのに、住宅街と変わらずの暑さだ。しかも肌に感じる風は潮風であるから、なんとなくべっとりとしていて、空気に粘性を感じる。少年もすでにその頭皮に汗を蓄えていた。


 駅から海岸へ出る道は軽トラ同士ならギリギリすれ違えるくらいの細い道で、海岸へ出る直前で海岸沿いに伸びる県道とぶつかる。県道にでると、横にサーフボードを括り付けたバイクに乗り、朝からひと波乗りたいというサーファーが走り抜ける姿がボチボチ見受けられた。


 ふたりは県道を横断して海岸へ出た。県道を渡れば、そこに段差や階段などはなく、すぐに砂浜の世界となる。久々の感覚を足裏が捉える。足を踏み出して、その力が砂のズレとともに四方へ散ってゆき、少しだけ沈むこの感じ。とても楽しい。砂浜を歩くだけでも興奮できるのは子供の特権かもしれない。


 海岸を見渡すと、さすがにこの早い時間帯であるからか、人は少ない。地元の人々が数組いる程度だ。


 「荷物、どの辺に置く?」


 「そりゃ、とりあえず日陰でしょ。」


 隼人は即答する。荷物を置く拠点は海から遠すぎても面倒だが、日中に影が落ちてくる場所を選ばなければ、ふたりもふたりの荷物も干上がってしまう。


 「じゃ、この辺でいっか。」


 「そだね。」


 少年が返事をすると、隼人がリュックからブルーシートを取り出す。ふたり用の小さめのやつ。この位置なら数時間後にはちょうど街路樹の陰になりそうだ。客寄せだか市の観光イメージアップだとかで、県道に沿ってずっとヤシの木が植えられている。正直、日本全国海沿いにはヤシの木が植えられている気がして、逆に没個性的ではないかと少年はふと思う。


 ブルーシートを敷き終わると、ふたりは風でシートが飛ばされないように、各々のリュックをシートの隅に置いた。


 「じゃあ、さっそく泳ぎますか!」


 隼人が背伸びしながら言う。朝が早かったからか、あくびを噛みしめながらの伸びだ。


 「行きますか!」


 少年も応える。夏休みに入って最初の海。女子とでないのが少し残念ではあるが、楽しみなことに変わりはない。友人とふたりで満喫する海も悪くない。


 ふたりはゴソゴソと服を脱ぎだす。ふたりとも服の下に水着を着てきているので、拠点を決めてしまえばあとはもう服を脱げば準備完了だ。少年はTシャツ、短パンを脱いで、適当に丸めてリュックに突っ込む。スマホだけは見失っては困るので、短パンのポケットから取り出して、突っ込んだ服の上に乗せる。リュックのチャックを閉める前にスマホのロック画面で時間を確認する。8時だ。




 それからふたりは夕方まで海遊びにふけった。休憩らしい休憩をしたのは昼ごはん休憩くらいだった。午後には泳ぎ疲れて、ほとんど砂浜で城や堀の建築にいそしみ、作っては波に解体されを繰り返していた。


 そうしているうちに日が傾きはじめ、東の空の奥が濃い青に染まりだした。浜辺には朝ふたりが来た時と同じ位の人数しか残っておらず、遠方から来ていた観光客はもう浜辺からは退散したようだ。


 ふたりは砂の建築にも飽き、8,9時間前に定めた拠点からぼんやりと水平線を眺めていた。昼間に日光で温められたブルーシートの温かさが、お尻から伝わってくる。これで横にいるのが彼女だったらなんて良いムードなんだろうかと少年は何度も想像したが、残念ながら少年の横にいるのはラグビー部員顔負けのムキムキな隼人である。


 遊びの疲労からか、ふたりは長い間沈黙していた。沈黙の間に、海から上がってきた地元のカップルらしき男女が着替え、テントを仕舞い、浜から帰っていった。もう西の空もオレンジ色がかかりだしている。


 「最後に、もうひと泳ぎするか。」


 沈黙を先に破ったのは隼人だ。


 「いいよ。そうしよっか。正直疲れてるけどね。」


 「そんなの俺もそうだよ。」


 実際、少年は水平線を眺めながらウトウトするくらいには疲れていた。しかし、海が久しぶりだったということと、隼人と遊ぶ時間が想像以上に楽しかったことが少年を「いいよ。」と言わせた。


 ふたりは立ち上がると、特にそう決めたわけでもないが、競うように波打ち際まで走り出した。これが男子高校生という生き物のノリなのだ。笑い声の混ざった呼吸をしながら、全力で走る。


 数十分も座って、ぼんやりしてからのいきなりのダッシュは心臓と四肢が軋む。少年はそれすらも若干の快さに感じながら、踏み込みがいのない砂を思いっきり踏み込みつづけた。


 突如始まった拠点から波打ち際までのおよそ80mダッシュの軍配は、大差で隼人に上がった。そのままの勢いでふたりは海にダイブする。――バッシャーン――


 「はっ、はっ、俺の勝ちっ!」


 隼人の息を切らしながらの勝利宣言。モリモリの肩の筋肉が躍動感ある上下運動を見せる。


 「え?なんて?」


 隼人の勝利宣言は、少年自身の乱れた呼吸音、波の音によってかき消され、聞き取れなかった。しかし、隼人は言い直すことはせずにそのままずんずんと海の奥に歩いていく。自分が勝ったことは明白だったし、勝利宣言なんて何回も言い直すものでもないということだろう。


 少年もすぐに後を追う。波が膝、腰、へそと順々に這い上がってくる。さすがにそれ以上の深さになると歩きずらいので泳ぎだす。しかし、隼人には追い付かない。2,3メートル前方を力強く泳いでいる。こうして後ろから泳ぐ姿をみると、水泳部員にも見えてくる。


 少年もクロールで追うが、なかなか差は縮まらない。隼人はどこまでいくつもりなのだろうか。もう水深が3,4メートルくらいあるところまで来てしまった。そんなことを考えながら、息継ぎのために顔を上げた瞬間だった。ちらっと前方を確認すれば、そこに泳いでいるはずの隼人の姿が見当たらない。


 「!!??」


 少年は驚くと共に混乱を始めた。少年は驚きに任せてクロールを止め、立ち泳ぎになる。改めて周囲を見渡すが、360度どこにも隼人の姿はない。あのガタイだから見落とすこともないだろう。


 「まさか、溺れてる!?」


 少年はその立ち泳ぎの姿勢を維持したまま海中に潜り、視界を海中に移す。頼むから早く隼人の姿を確認させてくれという思いと、溺れるなんてそんなわけない、自分の見落としであってくれという思いが一瞬の間に交錯する。


 少年が海中で目を開けると、そこには海底から引っ張られているかのようにだらりと手足を垂らして、今まさに海に沈みゆこうとする隼人の姿があった。


 海は、傾いた陽光を取り入れ、オレンジの色に染まっていた。

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