1辺目・それではまた明後日に

 「キモイ。なんてイタイ文章なんだ。」それがこの文章を読んだ少年の率直な感想だった。おそらく、この感想は少年に特有なものではないだろう。大多数の人が同じような感想を抱くはずだ。レポートのテーマが「生と死」だったから、せっかく図書館に来てこの本を手に取ったというのに、どうやら大外れだったようだ。


 しかし、少年は左手の上で広げていたその本をパタリと閉じると、そのまま脇に抱えて受付に持って行った。この少年の通う高校の図書館には、「生と死」に関する本がこの本しかなかったのだ。「参考図書ゼロよりはまあ、ましか。」そんなことを思いながら、貸し出しの手続きを済ませる。


 「では、明日から夏休みなので、返却は夏休みが終わってから3日以内、9月3日までにお願いしますね。」


 30歳くらいの赤フレームメガネのよく似合う司書さんからその本を受け取ると、少年は図書館を出た。


 「お待たせ。ありがと。」


 少年は図書館の入り口で待っていた同級生の隼人に声をかける。隼人は少年の数少ない友人のひとりだ。卓球部なのにラグビー部員のようなゴツい体つきをしている。いやむしろラグビー部員よりもラグビー部員らしいと言った方が正確かもしれない。


「おっけ、じゃあ帰ろうぜ。」


 隼人は自分のワイシャツの胸の部分を掴んで、バタバタさせながらそう言った。まだ7月も半ばだというのに、アスファルトで目玉焼きが作れそうなほどに暑い。


 「待たせてごめんな。外暑すぎ。」


 少年はそう言うと駅の方向に歩き出した。隼人も少年の横を歩き出す。少し、隼人の方が背が高い。


 「それにしてもお前はまじめだよな。あんなふざけたテーマのレポートを書くために、ちゃんと参考図書を探すなんてさ。」


 「いやいや。普通探すでしょ。明日から夏休みでしばらく図書館開かないんだから、隼人も探しとけばよかったのに。」


 少年は「生と死」に関する図書が一冊しかなかったことに言ってから気付いたが、会話を続ける。


 「でも面白いテーマだとは思うよ。高校生に相応しいテーマかと聞かれれば分からないけど。」


 「相応しいかなんてどうでもいいけどさ、夏休みの間中、そんな暗いテーマについて考え続けるのは嫌だね。」


 「じゃあ早めに終わらせればいいじゃん。隼人いっつも宿題ギリギリだし。」


 実際、隼人は宿題を提出日の朝に学校に来てから終わらせるタイプの人間だ。少年は、そんな隼人のことを、逆によくその短時間で宿題を終わらせられるな、と感心している部分すらある。そのくらい、隼人はマジのギリギリ人間なのだ。


 「俺はギリギリでも毎回間に合うから問題ナシ。」


 案の定の返答が隼人の口から出る。


 「まあ、それは確かに。」


 気温のあまりの高さからか、少年の返答もだいぶてきとうになっている。今は一刻も早く学校の最寄り駅に着いて、冷房の効いた電車に乗り込みたいとしか考えていない。最寄りまではあと4分くらい。次の列車は6分後だとアプリが表示している。電車には間に合いそうだが、「なんで弱冷房車はあるのに強冷房車はないんだ。」とか考えだす始末だ。


 「そういえば、明後日の海、どうせ暑くなるだろうから早めに北汐海駅に7時集合でいいか?」


 隼人が確認してきた。そう、少年は明後日、隼人と海に遊びに行く予定なのだ。夏休みに男ふたりで海というのは何とも悲しいが、それはしょうがない。ふたりとも彼女ができる気配すら無い。ちなみに北汐海は「きたしおみ」と読む。なんとも海際にありそうな駅名だが、そんなことはない。普通に住宅街の真ん中にある、少年と隼人の最寄り駅だ。そこから急行に乗れれば海まで30分といったところだ。


 「え、早くね。でも、まあいっか。暑くなる前に海に入っていたいしな。」


 少年は了承した。せっかく夏休みに入ったのに早起き、というのは避けたいところではあるが、暑さの回避が最優先事項だ。


 ほかの宿題の確認とか、あいつはついに彼女ができて夏休みは彼女とフィーバーするらしいとか、あいつはインターハイに出場するらいしいとか、そんな話をいくつかしているうちに駅に着いた。電車到着まであと2分。


 きっかり2分が経つと、駅の警音器が鳴り出した。駅まで歩いて首元にべったりと汗をかいたふたりを涼ませるように、電車が風を巻きながらホームに入ってくる。冬場には殺意の芽生える電車の風であるが、夏場には天使の抱擁のような救いの風に感じる。


 ふたりは電車に乗り込んで帰路に着いた。ふたりが次に会うのは海に行く明後日だ。

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