二面体の死神

沖田一

0辺目・終わりについての話

 こんにちは。初めましてだ。君は僕のことを知らないだろうし、僕ももちろん君のことを知らない。でも、今は自己紹介を置き去りにして、突然だが僕の話を聞いてほしい。いきなりヘビーな話ではあるが、人が生きる上で一番大事な話だろうから、どうか聞いてほしい。


 君は、「今死んでもいいですか?」と聞かれたら、なんて答えるだろう。大抵の人は、「まだ死にたくないです。」とか「死ぬのは怖いから嫌だ。」とか答えるだろう。君はどうかな。


 僕は、そんな人たちを見るとどうしても自信家だなぁ、とか楽観的だなぁとか思ってしまう人間なんだ。別に僕が卑屈な人間だからそう言ってるわけじゃない。死にたいと思っているわけでもない。僕は生きてゆくのはとても疲れることだと知っているし、何より僕は僕の未来を保証できない。だからまだまだ生きていたいという人間を見ると、どうしても元気で楽観的で、自分の未来に自信を持てる人間なんだなぁとか思ってしまうわけだ。


 ここで1つ考えてみてほしい。そもそも人間、に限らず生き物はいつでも死ぬ機会に恵まれているということについてだ。この文をスマホで見てる君は、横から突っ込んでくる車に気付かずに跳ね飛ばされ、宙を舞ってそのまま天に昇るかもしれない。今向こうから歩いてきてる人が実は通り魔で、君は明日には新聞の一面を飾ることになるかもしれない。今までの生活習慣の悪さが祟って、遺言を書こうと思う隙もなく床に伏して2度と起き上がることはないかもしれない。


 君は心の中で笑っただろう。「そんな風になるわけがない。どんだけ低い確率だと思っているんだ。」って。でもでも、もしその確率に当選してしまったとき、君はどう思うかな?「まさか。」とか「馬鹿な。」とか言って後悔するだろうね。そしてその時になってやっと気付くんだ。今まで「生きていた」のではなく「死を回避し続けてきた」のだということに。


 死は、生の裏側でも反対の存在でも、その一部でもない。ただただ「生」という進行形の事象の終了地点ということ。毎秒毎秒の死ぬか生きるかの網目を通り抜け続けて生きてるってこと。僕らは普段あまりにも死と出会わないから、死はそこら中にあって、自分が今たまたま生きてるってことを忘れてしまう。


 だから僕は、いつ死んでもいいようにいつも死を気にして生きてる。死という確率のクジに当選したときに、「あ、今なんすね。了解です。」くらいのノリで受け入れられるようにね。戦場にいるわけでもないのになんて頭のイカレた奴だと多少の自覚はある。でもね、これはちょっと考えればそんなにおかしいことでもないなって思えるんだ。


 ひとつは、さっきも言ったように、僕らは床にひしめき合っている死を避けて、なんとか足の踏み場を探しながら歩いていることに気付いているっていうこと。死は「意識するもの」というよりも、「そこにあって当然のもの」ってこと。


 もうひとつは、時と共に進んでいるものには必ず終わりがあって、皆それを無意識に意識しているってこと。このつまらない文を読み進めてる君は、いつこの文が終わるのかを頭の片隅で考えているだろう。もし君が学生で、テストとか試験を受けたことがあるなら、試験中に終了時間を気にしないことなんて無いと知ってるはずだ。僕らはただ生きてるんじゃなくて、現在進行形で生きてる。だから、終わりはあるんだ。テストや文との違いはそれがいつなのかが誰にも分からないということ。だったらなおさら、終了時刻を気にするのは当たり前だよね。


 というわけで、常に死を意識して生きてるっていうのもそんなに悪い話じゃないって思うんだ。何より、そう思って生きていればいつ死んでもいいようにいつでも全力で生きることができる。今日できることを「明日やればいいや。」とか言って引き延ばさなくなる。いつも全力で生きるのはとても疲れる。でも、死を曖昧にしてズルズル生きて、ついに死のクジを引いた時に何も成せない、何も残せない、後悔や未練の山を目にしながら死神に首を差し出すのは何よりも虚しいことだと思う。終わりを気にするからこそ、できることもあると思う。


 だから僕は「まだ死にたくないです。」とか言う人の気持ちがよくわからない。じゃあ君はいつ当選するか知ってたら後悔しないように生きれるのか?って聞きたい。いつ死んだとしても、「これだけ全力で生きてきたんだ。やっと休めるぜ。」くらいの域で死んでほしいと思う。


 最後に、もしこの文を読んでくれた数少ない人々の中に、今自ら死のクジを引こうと思っている人がいたら、これだけは言っておきたい。君は、自由に生きることができるし、自由にその「生」の終わり、つまり「死」を決めることができて、誰もそれに口出しはできないってこと。そしてそれと同時に、今自ら死のうと思っている君は、この死が極限まで薄められた社会のなかで、死を身近に感じることが出来ている希少な人間だということ。今君が死ぬ理由がやりきったことによる満足感なら引き留めはしない。でも、もし他人が君の「生」や「死」に口を出してきていて、君がそれに流されているなら、それは正しい死じゃない。誰も君の死には口出しをできない。君が選ぶ君の死は、君自身が理由じゃなくちゃいけない。どうかこのことだけ守ってほしい。そうすれば、少しは君の最後をいいものにできる気がしているよ。


 僕の最初の話はここまで。僕の話がどこまでいつまで続くかは僕にも分からない。次、いつなにを話すかも分からない。今はただこの文を最後のこの文まで読んでくれた君に感謝をして寝ようと思う。


 この本を手に取ってくれたどこかの君へ、君が君の終わりについて考えるきっかけとなることを願って。

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