五杯目 やさしいせかいは、何だかどこかがズレている
アンジェリカの家があるクランペット公爵領は、海外との貿易が盛んだ。お陰で、アンジェリカの望む和風の調味料や食材も意外と難なく買うことが出来て、毎日のように新メニュー開拓に勤しんで。一年もする頃には、レシピ本まで出版する事態となっていた。
大豆を手に入れた彼女が喜び勇んで開発した“味噌”を始めとした加工商品は今や人気商品だ。
そして今、アンジェリカは何やらツボ一杯の粘土のようなものに野菜を突っ込み、ニマニマしながら揉んでいる。
「きゅっ、きゅっ、きゅーりのきゅーちゃん元気かな?はーい、新しいぬかだよ〜!『ありがとう、きゅーちゃん嬉しい!』」
初対面のあの日、『今後は週に一度はうちで一緒にご飯を食べること』とアンジェリカに約束させられ、今日も律儀にクランペット家を尋ねてきたシュトラールは、きゅうりと自主的に会話する婚約者の姿を見て勢いよく扉を閉じた。
「失礼する」
「お待ち下さい殿下!」
「そうですよお嬢様を見捨てないで!」
「これまで散々お嬢様のご飯食べて健やかになったんですから、あれくらい慣れてくださいよ!!」
「あっ、ラル様〜。ご飯出来るよー」
が、すぐさまクランペット家の従者達に縋りつかれ、加えて彼の姿に気づいたアンジェリカに手まで振られてしまい、やれやれと肩を竦めて用意された席に着く。
「お邪魔するよアンジュ。それから、これを」
「わぁ、ありがとー!」
シュトラールが差し出した小箱を受け取り、喜々としたアンジェリカがリボンを外す。中から出てきたのは、ギザギザした穴が多量に開けられた薄い板状の金型だった。
「はわぁ〜っ、これだよこれ!では早速……!」
受け取ったそれをボールにセットして大根を擦り付け始めるアンジェリカの奇行を苦笑半分、愛しさ半分の顔で見やるシュトラールに、『殿下もクランペット家にすっかり染まってしまわれた……』と密かに涙する従者達。
「違う……!年若い婚約者にあげるべきはそれじゃないですって殿下……!!」
『もうこの際無礼を承知で言わせて貰いますけど!』と前置きしたダニエルが主人であるシュトラールの両肩を掴む。
「あんた今までアンジェリカ様に何を贈り物したか覚えてます!?包丁に始まり食材保管用の魔導式冷蔵庫、大豆とか言う東の国の豆の輸入交渉に、昨年のお誕生日なんか見たこともない木製の杓子(?)渡してたじゃないですか!わざわざ工場に顔を出して手作りしてまで!」
「“しゃもじ”だな。仕方ないだろう、彼女が希望する品が我が国の流通には無いのだから」
「だからって婚約者の贈り物の為に木製細工やら陶芸やら金型まで作りこなす王族が何処に居るってんですか!」
そう。今アンジェリカが大喜びで使っているおろし金も、食卓に並ぶ茶碗に小鉢、湯呑み等の陶芸品も皆、彼女の拙い説明と絵から詳細を割り出したシュトラールによるお手製品ばかりである。
ゲーム内でも現在の王室でも何の才もなく不器用だと揶揄されていたシュトラールには、実は発明の才があったようだ。
「まあまあ、今日もアンジュの周りは賑やかねぇ」
「本当に、あの子の周りには常に花が咲き乱れているようだ。きっと君に似たのだろう」
「まぁ、旦那様ったら」
昨年、陽菜がアンジェリカになってから、彼女の周囲の生活は一変した。
冷え切っていた筈の夫婦仲は今や、使用人が砂を吐かない日はない程の激甘となり。アンジェリカによる生活リズム、食事、習慣の管理により家族はもちろん、使用人も皆健康になった。今や全員が日の出に起き、朝の体操をするくらいである。
シュトラールの方も知らぬは本人ばかりで、実は好転していく一方なのであるがその話はさて置き。
この日は、アンジェリカの兄であるクランペット家の長男が、1年ぶりに屋敷に帰還する日なのであった。
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