四杯目 地雷王子は心配性

 第一王子シュトラールは、3歳の頃までは非常に成長が早く、神童と名高い王子だった。しかし、5つの頃に母を失い、即妃であった第二王子の母が王妃の座についてから、彼についていた名教師達は軒並み弟に回され、シュトラールの学ぶ場はすべて奪われてしまった。

 いくら成長が速かろうが、まだまだ幼き子供。

 はじめは独学で学問、剣術、魔術と知識を得ようとしたものの、思うようにいかず。彼の居た地位はあっという間に第二王子に取って代わられた。

 父に助けを求めようにも、新王妃派に阻まれ面会すらままならない。信頼できる者は、母を慕っていた幾人かの従者だけ。


 そうして10歳となった今、ようやく王室の慣例に則り国王が改めて教師をあてがったときにはもう、シュトラールの学ぶ意欲など完全に消えてしまっていたのだった。





 ところが、今日はどうしたことか。

 国王が第一王子の目付役にと勅命した政略結婚。その顔合わせに行った日の夕刻、シュトラールは王宮に着くなりそのまま書庫へと足を運んで、ずっと手つかずだった大量の教本を持ち出した。


 頼まれて王子の私室までそれらを運んだ執事のダニエルが、一体何があったのかと首を傾げる。


「シュトラール殿下、これどうするんです?今日は授業の日じゃありませんが……」


「自分で解く。これまでサボってきた分を取り戻さないといけないからな」


 その言葉に更に驚いた。一体今日の顔合わせで何が起きたと言うのか。


 昨日まで、授業の度にサボるか教師を言い負かして追い返していた少年と同じとは思えない。変わるきっかけとして有力ならば、やはり……。


「…………えーと、本日の顔合わせは上手く行ったんですね。よかったです。どんなご令嬢でしたか?アンジェリカ様は」


「……………………………………………………………まぁ、いい子だった。と、思う」


「いやに間を取りましたね。本当に何があったんです?」


「……追々話す」


「さいですか。よろしければ見ましょうか、魔歴なら得意分野ですよ」


「あぁ、頼む」


(瞳に光が戻っている……。本当に、何があったのだろう)


 しかし、今はあまり突かないほうが良さそうだ。


 なんにせよ、今にも爆発しそうだった危うさが軽減されるなら、何よりだと思った。












 その翌朝は、月に一度の王室の会食の席だった。

 少しばかり遅れて席についた王妃が、シュトラールの顔を見るや否や扇を広げて乾いた笑みを浮かべる。


「シュトラールは昨日、書庫から学問の書物を大量に持ち出したそうね?いったいどう言う風の吹き回しかしら。今夜は槍が降るかも知れないわね」


 あからさまに馬鹿にした物言いに、前王妃派の者達は眉を潜め、中立派は傷ましげにシュトラールを見る。しかし、誰も彼を庇わないのは、他ならない国王が王妃に何も言わないからだ。


 そんな中、母の言葉に乗じてふたつ下の弟が嫌味を重ねる。


「そんな厳しいことを仰らないでください母上。兄上は昨日、クランペット公爵家のご令嬢と対面したのでしょう?あの家は学問に長けた名家、かの家に婿入りするならば最低限の学がなくては。今のままの兄上では……ね」


 ニヤリと笑うその顔に、昔の純真な愛らしさはもう無い。シュトラールの母が存命の頃は仲が良かったが、現王妃が長年我が子にシュトラールへの侮蔑をささやき続けたことですっかり人柄が変わってしまった。


 誰もが固唾を呑んでシュトラールが何と返すかを見守る中、彼は食卓のオムレツをひとくち、口に入れる。


(うん、良い焼き加減だ。……だが、昨日アンジェリカ嬢の出してきた物も違う美味しさがあったな)


 同じ食材なのに、不思議なことだ。

 そう言えば、こんなふうに何かを味わうことも、長らくしてなかった気がする。


「ちょっと!何とか言ったらどうなの!?本当に可愛げがないったら……」


 そう呟いている王妃の顔を見る。なんだ、普通の女性じゃないか。別に怖くもなんとも無い。


 自分は今まで、何にあんなに怯えていたのだろう。


「えぇ、お陰様で。彼女とは上手くやっていけそうです。さぁ、皆も食べたほうが良い。冷めてしまう前にね」


 そう穏やかに笑ったシュトラールの笑みがあまりに前王妃にそっくりで、生前彼女に多大な劣等感を抱えていた現在の王妃はそれ以上何も言えなかった。













「いやぁ、見ましたか王妃様のあの悔しそうな顔!あれは見ものでしたね!!」


「別に興味ない。あの人にどう思われていようが、彼女達に僕を王宮から追い出す術など無いのだから」


 シュトラールの母は、海の向こうの大国の王女だった。

 去る年の大災害に打撃を受けた我が国が救いを求めて交友関係のあった何カ国かに縁を求めた際、唯一受け入れてくれたのが彼女だったそうだ。なんでも、若い頃我が国に留学した経験があり、こちらの国に親友が居たとか。

 国力からすればアリと象程の差。それでも王妃は夫を立て、この国の救済に心血を注いだ。


 当時は王妃の故郷である海の国にもずいぶんと援助を受けたようで、我が国はあちらに頭が上がらないと聞く。その恩が、母を亡くしたシュトラールの立場を支えていた。


「とは言え、いざという時に自分自身の身を護るには知性も力も必要だ。今日も続きをするから、この教本の続巻を頼む」


「畏まりました。でも、流石にちょっといきなり量をやり過ぎでは?何をそんなに焦って……」


「焦ってはないよ。ただアンジェリカ嬢と会って思ったんだ。僕がしっかりしないと…………」


 しっかりしないと、なんなのか。まだアンジェリカに会ったことのないダニエルは、続きが恐ろしくて聞けなかった。


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