狭野茅上娘子

 ああ、来てくれたのか。


 今日も一日お疲れ様。まあまだこれから俺の話を聞いてもらうわけだが……


 晩飯、ラーメンでよかったのか?


 たまに無性に食べたくなるもんなぁ。いいぞ。味玉もメンマも付けていい。


 ……チャーシューも?


 まあ、いいか。それより聞いてくれよ。すっごく素敵な人に出会ったんだ。一途でいじらしくって、それにどうやら美人らしい。


 ……見た目も知らないで好きになったなんて言うなよ。平安時代だって結ばれるまで見た目なんて分からなかったんだぞ。筆跡とか焚きしめられた香で相手を好きになったんだ。それと似たようなものだろ?

 

 今回好きになったのはそれよりもっと前……奈良時代の人なんだが。


 その人は、狭野茅上娘子さののちがみのおとめって言うんだ。奈良時代の歌人で万葉集にその名が残されている。


 夫である中臣宅守なかとみのやかもりがなんらかの罪を犯して天皇の命令で流罪になることが決まったんだ。一説によると采女うねめである茅上ちゃんを妻にしたことが罪になったらしい。


 だから二人は離れている間もお互いの気持ちを確かめ合うために、お互いの想いを伝え合うために和歌を贈りあった……その数なんと六十三首。その全てが万葉集に収録されているんだ。


 ……旦那いるんじゃないかって?


 馬鹿、旦那の出張中の人妻に言い寄るのは男のロマンだろ……そんなことない?


 まあいいや。そんなこんなで一人残された茅上ちゃんは夫を想って和歌を詠んだわけだが……その和歌っていうのがまた素晴らしいんだ。

 

 一番有名なのは「君が行く〜」ってやつかな。


「君が行く道の長手ながてりたたね焼き滅ぼさむあめの火もがも」


 あなたがこれから行く流刑地までの長い道のりを手繰り寄せて畳んで焼き滅ぼしてしまう、天の火があればいいのに……っていう意味だ。そうすれば宅守は流刑地に行かなくて済む……そういった切実さが感じられる一首だ。


 あまりにも大きなスケールの愛でクラクラしちゃうよな。祈りとも呪いとも言えない強い想いが愛する人のために捧げられてるんだ。俺もこんな風に彼女に愛されたいよ……


 それにしても愛がでかすぎないかって?


 そもそも彼女は全体的に規模の大きい愛を詠む傾向があるらしい。他にもこんな和歌を残しているんだ。


天地あまつちそこひうらがごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ」


 世界中のどこに行ったって私みたいにあなたのことを愛している人なんて絶対いない、という殺し文句をそのまま和歌にしたものだ。こんなこと彼女に言われたらもうぎゅっとしたくなっちゃうな……まぁ、俺は彼氏じゃないけどな。


 そして個人的に好きなのが、罪を許されて流刑地から戻った人がいる、というニュースを聞きつけた時の茅上ちゃんの和歌だ。


「帰りける人来たれりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて」


 帰ってきた人がいると聞いて私は嬉しくて嬉しくてもう少しで死んでしまうところだったわ……あなたかと思ったの。


 この表現が俺は何より好きなんだよ。上げて上げて落とす、現代の小説や漫画にも通じるドラマチックな展開だ。


 この巧みな表現ができる彼女はきっと頭も良いに違いない。可愛くって頭もいいなんて周りの男も放っておかなかっただろう。それなのに彼女は宅守に愛を届け続けたんだ。その一途さが好きだ。


 ……結局二人は会えたのかって?


 それについてはよくわかっていないんだ。万葉集には結論が書かれていないし、その他の書物には二人はほとんど出てこない。結ばれたか分かたれたかは読者の判断にゆだねるってところだな。


 つまり、まだ俺にも彼女に言い寄るチャンスがあるってことだ。頑張れば両思いになれるかもしれない。


 お前なら、応援してくれるよな?


 ……宅守が茅上ちゃんを妻にして罪になったんだから、俺も手を出したら島流しになって結局結ばれない?


 …………あー…… 


 ……はぁ…………また失恋か。


 チャーシュー一枚くれるのか……ありがとう。



 なぁ、俺の理想の恋人はどこにいるんだろうな?





 








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