遠い深夜

 じり。じり。れる。


 いら。いら。つのる。


 なぜ。

「……なぜこうなっているんだ」

 相手がはずして、一人になった。

 思わず独りごちた。


 高速道路のパーキングエリア。

 SAだったらまだよかった。売店もある。

 この時間に開いているかどうか知らないが……。

 しかしここは古びたPAである。

 自販機が並ぶだけで、気をまぎらわすものは何もない。


「何かおっしゃいました?」

 しまった。一人ではなかった。

 最近はいろいろと面倒なのだろう、過剰なほどに温厚そうな猫なで声で運転手のおじさんは聞いた。

 バックミラーごしに目が合ったので、あいまいに微笑んだ。


 深夜、〇時十三分。

 東京に向かう高速道路の、古びたPAで、わたしはタクシーの後部座席に身を沈めていた。

 なぜPAでエンジンを切ったタクシーに乗っているかというと、先ほど言った、つまり同乗者が用を足しているからだ。


 もっとも、実際に用を足しているのかどうかは知らない。

 こんな時間に理由はわからないが、化粧を直しているのかもしれないし、降りたいと言い出す直前しきりにスマートフォンをいじっていたから、男と電話しているのかもしれない。

(電話をするときにタクシーを降りるというような良識があるとも思えないが)


 お察しのとおり、わたしは、この同乗者のことが、嫌いだ。


「ごォめんなさァい、おまたせしましたァ」

 がちゃりとドアが開いて、ひいやりした空気とともに、ガチャガチャした雰囲気が乗り込んできた。

 鼻を突く、強烈な香水のにおい。

 と、その向こうからの、ヤニ臭さ。

 こいつ、タバコ吸ってやがった。

「いえいえ、じゃあまあ、出発しますかね」

 おじさんが相変わらずの猫なで声で言う。

 おじさんがポリティカルコレクトネスに配慮しているのか知らないが、態度を変えるタイプでなくてよかった。

 更にいらだつところだった。


 エンジンがかかる。シートが振動する。

 PAを出て、合流する。

 速度が上がる。

「ごめんね、真貴ちゃん。待ってもらっちゃって」

 となりの女がヤニ臭い口で声をかけてくる。

 わたしはタバコを吸わない。

 タバコの臭いと香水の臭いで、吐き気がする。

 でも、わたしは頑張って口角を上げる。

「ううん、大丈夫」

 戻ってきてから初めて視界に入れたそいつの顔は、やっぱり化粧が濃くなっていた。


「今日は空いてますからね、あと一時間もしないで着きますよ」

 おじさんが言うと、隣の臭気が嬌声きょうせいを上げた。ありがとうみたいなことを言っているようだった。

「ごめん、わたしちょっと寝るね」

 そういって、ストールにくるまるフリをして、鼻と口をガードしてドアに寄りかかった。

 窓が頭皮に当たって、ちょっと冷たくてスッとする。

 目をつむった。


 もともと、こんなじゃなかった。

 唯一の女子の同期で、人見知りのわたしとも仲良くしてくれて、うれしかった。

 違和感も、見ないフリをなんとか頑張ってきた。

 でも、小さなそれは積み重なって、ある日、気づいてしまった。

 決定的なできごとはなくても、決定的に気づいてしまうことはあるのだ。

 悪意がないことは知ってる。

 だから表面上は、わたしも優しくしてる。

 でも、わたしはあんたが、嫌いだ。


 そして、悪意がないあんたに、そう思ってしまう自分が、嫌いだ。

 無意識に見下して比較してくるあんたを、笑って許せない自分が嫌いだ。

 なぜ。

 なぜこうなった。

 出会ったときから、随分ずいぶん遠くへ来てしまった。


 あと一時間。

 その時間は果てしなく長く、遠く感じる。

 最初のころは一時間くらい楽しく過ごせたのにね。

 この遠さで、出会ったときに戻れればいいのに。

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習作集・風景画杯に向けて ナツメ @frogfrogfrosch

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