雨の日は

休日の朝は鈍い目覚めを連れてくる。まさにスロースターターという言葉が相応しい、怠惰な体をなんとか操縦してカーテンを開こうとすると、その向こう側の様子がおかしいのに気付く。

下側の隙間から差し込んでくる光はいつもより弱々しく、耳を澄ませてみれば、申し訳無さそうに控えめな雨音がしている。子どもたちの悪戯は家に閉じ込められていて、車が流線を描き水飛沫を連れていく音がする。


ぼんやりとした日光を部屋へと招き入れ、目を凝らさないと気付かないような、曖昧に降り注ぐ雨を見つめていた。

そうだ、とスマホでプレイリストを開く。


それは、満を持して開くおもちゃ箱のような。

少し悪戯心に似たものを感じながら、再生ボタンを押すと、目論見通り曲は流れ出した。


とりあえずどこかへ出掛けようかな、などという昨夜の想いはあっけなく覆され、手抜きの朝食兼昼食を用意する。

コンロに火を灯せば、晴れの日に集めておいた、雨にまつわる曲達の音がスープと一緒に煮込まれていく。

湯気を立てたお椀と、トーストが居心地悪そうにはみ出した皿をテーブルに運ぶと、底抜けに明るい情報番組を観ながら、もそもそとやる気なく食べた。油でてらてらとしている食器は流しに置いて、後片付けは後のやる気を出した自分に任せる事にした。


部屋に戻ってテレビを消してしまうと、部屋は空っぽになったようだった。

「さて、何をしよう」という悩みが降り注ぐ。

何も無いけど、そこに何かを足す事もはばかられる、土曜の午後に。


再生される曲と、窓の外の雨音が、今この時だけのセッションを奏でる。

その音に身を委ねていると、今日はそれでいいか、という気持ちになった。


雑然とした本棚を眺めていると、しばらく日記なんてものを書いていなかったのを思い出し、穴だらけの五年日記を引っ張り出した。埃を被った冊子の天の部分が、恨めしそうにこちらを見ている。

なるほど、取り出すのが手間だと邪魔臭く思い、ある日の資源ゴミになってしまった外側の箱はこの為にあったのだ、と今更気付く羽目になった。


直近の出来事から、糸を手繰るようにして筆を走らせていく。本当は、走るなんてほど快調なものではなく、歩くという語の方がふさわしい、亀のようなテンポだけど。

自分の毎日ってこんなたった数行すら埋まらないような、そんな退屈なものだったっけ。この日、何を想って過ごしてたんだっけ。


しばらく自分の過去と格闘していると、突然曲が止んで思考が断ち切られた。リピート機能をオフにしてしまっていただろうか、とスマホの画面を覗いてみると、雨音だけのリラックスミュージックが再生されている。雨だからと短絡的にリストインしてしまった自分はやはり何も考えていなかったんだろうな、と思い知らされた。

外でも雨、なのに部屋の中にも雨を降らせてもなあ……と思ったが、遠い島の雨音と、東京の雨音が違うリズムを刻んで混ざり合い、脳内に雫となってこぼれ落ちる。それはなんだか、とても素敵な事に想えた。

遠い島の雨音がよく聞こえるよう、少しだけ音量を上げる。


ふと気になって、どしゃ降りのスマホで「雨」と検索してみる。

天気予報や気象庁といった文字が並ぶ検索結果の中から、ウィキペディアを開いた。

最初の方には気圧だとか、雲ができる仕組みだとか、中学の頃に習ったような科学の話が立ち並んでいる。今日は難しい話の気分ではなかったので、そこは読み飛ばした。

「雨」という言葉一つにしても、たくさんの切り口がある。下にスクロールしながら知識をザッピングしていくと、「雨の表現」という項目が目に留まった。昔の人は、雨にも一つひとつ違いを見出だして、色んな名前をつけていたらしい。響きが格好良く、漫画やアニメのキャラクターの名前に使われていそうな単語がこれでもかとひしめいていた。天気予報で「雨」と一括りにされた情報しか摂取しない現代人は、果たしてこんな微細な違いを感じ取れるだろうか。

そんな私が、今日の雨に名前を付けるとしたら何だろうか。


後で恥ずかしくなってしまうような試みを真剣にしていたら、一曲目に戻ったプレイリストがロックを爆音で流し始め、慌てて音量ボタンを押した。

混乱したプレイヤーは音量を乱高下させたのち、大人しくなった。


激情を唄い、しっとりとした気持ちを奏で、ただ静かに雨音を響かせて。何度も何度も、この薄暗い午後が永遠に続くかのように、プレイリストは回る。


自分の中のもやもやとした気持ちを洗い流そうとして、私は紙に向かい続けた。せめて自分がどんな人間か、どんな想いでいるのかを少しでも思い出したくて。



「あ、」

最近の悩みも尽きてきて、言いがかりのような文句しか出てこなくなった頃、ふと手元が鋭く照らされた。

顔を上げると、陽の光が窓を貫いている。

それは泣きはらした後のように、うっすらと赤みを帯びていた。

そろそろ夕飯の準備でもするか、やれやれ置きっぱなしの食器の片付けからだ、と凝り固まった体を動かす。


スマホの画面をタップして、雨の音を止めた。

それではまた次の、空が泣きたくなった日に会いましょう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る