熱っぽいアイディア
「ねぇ、寒くないの?」
「ん……? 寒いよ」
あまりに真面目な表情のすっとぼけた返事がきたものだから、私は思わず吹き出した。
「寒いかどうか聞いてるんじゃなくて、寒いだろうから移動するなり何か着るなりすればって言ってるのに」
風呂上がりの彼は冷房直下の場所にタンクトップ姿で居座り、汗を早く引かせたかったのか、扇風機までつけている。
そのまま持ち帰りの仕事を見始めたのだから、とっくにその肌は乾いてしまっていた。
この人はいつもそうだ。よく「トイレ行きたい」とか呟いてる。言う前に黙って行けばいいのに。
「寒いよ」と言ったきり変わらず動かない彼を、私もスキンケアの傍ら観察してみる事にした。
睫毛長いな。
でも大抵女よりも男の方が体毛は濃いわけだから、それは自然な事だろうか。
細い腕には鳥肌が立っている。
いつだか「ジムに月額会費だけ払ってる」と嘆いていた腕は男性にしては細い。腕時計を確かめる時みたいな格好で、自分の腕と思わず見比べてしまった。
ついにくしゃみをした。
何をしてるんだ。
「風邪引くよ」とだけ声をかけると、彼はさすがに扇風機を消した。ただ、その後は資料を握りしめたまま動く様子は無かった。
私は私で漫画でも読んでみるか、と彼の本棚から拝借する事に決めた。手に取ったのは棚で一番多くスペースを占めている、ずっと買い集めているらしいシリーズ。前から勧められてはいたものの、私は何となく手に取るタイミングを失っていた作品だ。数字の大きい単行本のカバーは妙に綺麗で、その理由は単に新しいものだからではない事を、持ち主の代わりに静かに主張していた。
面白いんだよ、と常々聞かされていただけあって、私はものすごい勢いで物語に引き込まれていた。先が気になりすぎる余り、貪るように読み入り、細かい部分の話をされても「そんなとこあったっけ」と返す羽目になるスピードで、あっという間に5巻を手にしていた。主人公たちが追い詰められたところで話が区切られ、週刊連載で追っている人は次週を待つのがつらかっただろうなあ、なんて同情していた時に、現実世界で上から声が降ってきた。
「寒い」
え? とようやく声を出した時には、腰を下ろした彼が両腕を伸ばしてきて、その輪っかの中にすっぽりと私を収めてしまった。冷え切った体温が肌に刺さる。
すっかり油断していた私は、突然の出来事に驚き、足の間に漫画を落としてしまった。カバーがずれた冊子は不格好に背が高くなり、扇を伏せた形でうずくまる。
驚かせてきたのは彼なのだが、ごめん! と叫び、両腕に拘束されたまま漫画を拾い上げた。
大事なものなのに! と怒られるかと思いきや、彼は気の抜けたような声で、いーよお、とだけ言った。
「仕事とかしないで、ずっとこうしてられたら良いのに、死ぬまでさ」
顎を私の右肩に乗せて、わかっちゃいるけど言わずにもいられない、といった濁った声で彼はそう言った。
それだと私が暑いでしょ、となるべく文句くさく聞こえるように言った。
私の意図を知ってか知らずしてか、なんだか嬉しそうな声で彼は笑った。
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