第9話「ここまでやったらもう言わなくてもわかるわよね」

「こんなに汚らしい状況でその台詞を聞くとは思いもしなかったわ」


 もう一度ナイフで悪漢の頬を撫でつける。

 伸び放題の無精髭がチリチリと音を立てて切れていく。


「ほんと良い切れ味ね~、ガサツそうな見た目に似合わず手入れとかちゃんとしてるの?これ。うっかり手元が狂っちゃったら皮膚もスパっといきそう」

「ひと思いにやれよ」


 悪漢は固く目を瞑り、歯をくいしばる。


「もう覚悟は決まってるようね……、でもそんなに簡単には、終わらせないわ!」


 悪漢の目の前で大きく持ち上げたナイフを素早く振り下ろし、目にも止まらぬ早業で右へ左へ振り回す。


「っ!…………?」


 恐る恐る悪漢が目を開くと、着ていた合成皮革の服が上から下まで紙吹雪のように舞い散った。

 巨体の全身を覆う熊のような体毛と腰周りの下着が露になる。


「やっぱり凄い切れ味」

「なにしてんだオメー!?」

「せっかくのお楽しみタイムだもの、たっぷり堪能し尽くさないと」


 ナイフを指で弄びながら、ほぼ全裸に剥かれた悪漢の身体を下から上まで舐めるように眺める。

 くるくると回していたナイフを股間の下着に突き当て、


「ふふっいよいよメインディッシュ。いままで何人もの女の子を凌辱してきたみたいね、調べはついてるのよ。でもその御自慢のブツがこれからどうなってしまうのかしらね?フフフ」


 より一層楽しそうな声音で、静かに悪漢の耳元でささやきかける。


「ブルブル震えちゃって、子犬みたいで可愛いわね」


 一切の身体の自由を奪われ、男の尊厳の喪失の危機に瀕した男は、無意識のうちに全身が震え奥歯が鳴っていた。

 生まれて初めて心の底からの絶望というものを知った悪漢は、人生で一度も言ったことの無かったセリフを呟いた。


「………………やめてくれ」

「え?なんだって?」

「勘弁してくれ……」


 かろうじて聞き取れる程度の小さい声で何とか絞り出した命乞いに対して、


「あなたは、一度でもそう言って泣いてる女の子を、犯さなかったことがあるのかしら?」


 仮面の男は登場以来一番の低く冷たい声色で返した。


「……っ」

「やっていいのは、やられる覚悟のある奴だけだってね。これ、人生で一度は言ってみたい三大セリフその3ね」


 ついに仮面の男の手のナイフが下着を少しずつ切り開いていく。


「うわあああああ!やめてくれーーーっ」

「御開帳~」





 ガガッ

 その時、仮面の内側のイヤホンに平坦で事務的な女性の声が届く。


『クイーン、もうそろそろ』


 突然の水入りに、ナイフを持つ手を止めて耳に手を当てて応答する。


「えぇ!ウッソ~?いつもより早過ぎない!?」

「制限時間ではありません。警察がそちらのビルに向かったとの情報が入りました。どうやら一般からの通報があったようです」

「え~~、これからって所だったのに」

「おそらくあと十分程度で警察が到着するでしょう。速やかに撤退して下さい」

「はぁーーー、了解……」


 大きく溜息をつき、手をイヤホンから話す。

 想定外の事態によるタイムアップ。一般からの通報との事だが、


(おかしいわね。このビルは丸ごと廃ビルで他に人なんていないはずだし、外からこのフロアが見えるような場所に人が立ち入れる所も無い…………あっ、もしかして)


 つい先刻の出来事を思い出した。


 悪漢と揉み合いになり、窓から突き落とされそうになった事。

 元々この辺り一帯は人気が少なく、夜のこの時間ともなるとまず人影など無いエリア。


 だが、たまたま今日に限って、気まぐれに散歩か何かしらの理由でここを歩いていた人がいたとしたら。

 物音に気付いて上を見上げた時、ビルの窓から人が押し出されそうになっている。


 そんな光景が目に入ってきたら確かに通報するだろう。


「考えられるのはその辺かしらね、運が悪いわぁ」


 油断もあったとはいえ、自分の運の悪さに今日は諦めをつけるしかない。


 悪漢に目を向けると、何が起きたかは把握はしていないが、目の前の仮面の男の様子からこれ以上は危害を加えられる事はないと感づいているようだった。


「もうお察しかしら?お楽しみタイムは強制終了よ。せっかく他にも色々イジメるおもちゃを持ってきてたのに」


 衣装のあちこちに付けられているポケットを叩くと、中から複数の物がぶつかるガチャガチャした音が。


「もしかして、これで助かったって、汚されずに済んだって安心した?でも残念。このままだとこっちの気が収まらないのよね」

「なんだと……?」

「あの子も連れて行かないとだし時間がないから……、これで……」


 ポケットからロープと蝋燭を取り出し、悪漢の両腕をロープで縛りまとめる。

 ロープの反対側の端を天井のフックを通して近くの柱に括り付ける。

 悪漢の足に絡まっている鎖をロープに引っ掛け、М字開脚の形で腕だけで吊られ空中に浮いた形にする。


 それは非常に手早く淀みない、滑らかな作業だった。

 悪漢の両腕の鎖をほどくと巨体の全体重がロープに掛かり、鈍い音をあげて腕に食い込み、締めあげた。


「それから……、これね」


 ライターで火をつけた蝋燭を、悪漢の両腕から天井のフックを通り柱に括り付けたロープに近づけて置く。

 ロープの表面が、小さく揺れる炎にちりちりと焼かれて次第に周囲に焦げ臭さが漂い始めた。


「これでよし。さてと」


 もう一度ナイフを手にした仮面の男が、悪漢の股間に近付いていく。


「おい、何する気だ!」

「武士の情けで前だけは勘弁してあげるわ」


 ナイフで下着の後ろを切り裂く。


「これなーんだ?」

「それは……」


 それは先程、無理矢理咥えさせられた松茸状の張子だった。

 またもポケットの中をまさぐり、手の平サイズの容器を取り出した仮面の男はその中身を張子に垂らして、


「これ、さっきと同じローションね」


 液体まみれになり妖しく照り光る張子を、悪漢の真下に立てて置く。


「ここまでやったらもう言わなくてもわかるわよね」

「お、おい!待ってくれ」

「もうロープもだいぶ焦げてきたところかしら」


 たった一本で悪漢を吊り上げているロープは火に炙られ、その直径はもう元の半分程度まで細くなっていた。


「やめてくれ!頼む」

「ホントはじっくり真正面からこの先どうなるか観察してあげたいんだけど、もう時間も無いしここらでお暇させてもらうわ」


 嗜虐的趣味を満たせる滅多にない絶好の機会を逃すのは断腸の思い。

 だがここで自分の欲を優先して警察等の公に姿を晒すわけにはいかない。


「わかった!土下座でもなんでもする、だから……」

「じゃあね、チャオ!」


 涙を浮かべ眉を下げて懇願する悪漢の哀れな姿に一度も目を向けることなく、仮面の男は軽妙な口調で手を上げ、背を向ける。


「待ってくれえぇぇーー!!」



 カンカンカン。


 葉子を背中におぶり、ビルの階段を駆け下りる仮面の男。

 出口が近づいた所で人目がないか気にしながら仮面を外す。


「ふう、ほんと息苦しいわね。もうちょっと息が楽になるように改造をお願いしようかしら」


 久しぶりの外気に一息ついた時、


「あ゛あ゛あ゛あああぁぁぁぁーーー!!!」


 上空から悲鳴とも咆哮ともつかない、野太く濁った叫びが聞こえた。


「汚い声ね」


 近付いて来たパトカーのけたたましいサイレンに、下劣な叫びはかき消された。

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