第8話「大丈夫、新品よ」

「重いわねえ……」


 仮面の男の独り言に、じゃらじゃらと金属音が応えるように響く。


 粘膜から体内に入った特殊な薬品の効果により全身の筋肉が弛緩し動けなくなった悪漢。

 巨体を壁際まで引き摺って動かす。

 数十分前までは葉子を縛り上げていた鎖をそのまま利用し、悪漢の体を両手両足を広げた大の字の形に壁に磔にして固定する。


 その出来映えに仮面の男は腰に手を当て満足げに眺める。


「よし、こんなところね」

「ぐっ、離しやがれ」


 わずかに残る力を振り絞り体を揺らし、鎖を揺らす悪漢の無造作に伸びた顎髭を撫でながら優しく言う。


「怖がらないで、とっても気持ちいい事よ、……あっ」


 その時、傍らで横になり気絶している葉子が目に入る。


「ちょっと待っててネ」


 このままでは居たたまれないな、と抱え上げいわゆるお姫様だっこの形で移動。


 どこに寝かせるのがいいかと辺りを見回しながらフロアを歩き回ると、雑然と積み上げられたオフィス用の机や椅子の山の向こうに、少し開けたスペースが見えた。

 あの辺りだけ片付けられているようだ。


 そこはフロアの一角、4メートル四方程度の広さに低めのテーブルやソファーが置かれ、多少の生活感を醸し出している。

 テーブルには酒瓶や飲食物、他にも何だかよくわからないガラクタ等が散乱していて、男の一人暮らし感を演出していた。


「ふうん、犯罪者とは言ってもやっぱり人間なのよね。こういう所を見せられると、複雑な気分だわ」


 ソファーはどこから調達してきたのか怪しい、かなりの年季を感じさせる状態。

 あちこち皮革が破れ内側の綿がはみ出ている。


 サイズ的には葉子を横にするには十分の大きさ。

 だが、ソファー自体には何のいわれもないとは言え普段はここで悪漢が寛いだり寝たりして日常を過ごしていると考えると、そこに安置するのは葉子の気持ちを考えると少々憚られたが他に丁度良い場所はもう見当たらない。


「仕方ないわ、生理的に嫌でも我慢して頂戴」


 葉子自身は意識を失っており、さらに今夜の記憶は消えるのだが一応ソファーの表面を払い、静かに横にする。

 葉子は未だ気を失ったまま、目を覚ます様子は無い。ツンとした鼻が静かに呼吸を繰り返している。

 確認した後、少し悪漢の日常空間に散らばるガラクタを物色。


「さてと、もうそろそろヤバいかしら」


 ぽつりと呟き、仮面の人物は磔になった男の元へ向かう。



「お・ま・た・せ」

「クソが、何する気だっ」

「そう焦らなくても、すぐに気持ち良くしてあげるわ」


 そう言うと仮面の男は、身に纏う衣装のポケットの中から松茸の形状を模した張子を取り出した。


「お、おい!そりゃなんだ」

「大丈夫、新品よ」


 張子の表面をぐるりと全面真空パックで覆っている透明なビニールを、右手の人差し指と親指で、悪漢の目の前で見せつけるようにゆっくりと丁寧に剥がす。


「そうじゃねえよ!何する気だっ」

「あなたはいつも血が通った生の使い込んだのを咥えさせてるんで、しょっ!?」


 両手両足を縛り付けている鎖を揺らし、ガシャガシャと鳴らしながら喚く悪漢の口が開いた瞬間に、素早くその隙間に松茸型張子を突っ込む。


「ごおっ」

「ホラホラ、奥まで咥えて~」

「っ……っ!!」


 張子をぐりぐりと力をかけて押し込み、悪漢の荒れた唇をこじ開け喉奥に突き立てる。


「どう?気持ちいい?」

「……っ!……!がはっごほっ」


 張子を悪漢のこじ開けられた口からずるりと引き抜く。

 ぬめぬめと涎が糸を引き、こぼれた唾液が音を立てて足元の床に落ちた。


 喉の圧迫から解放された悪漢は、涙目になりながら荒く呼吸し、目の前の悦に入った仮面の男を睨みつける。


「わざわざ汚れを知らない新品を使って上げてるんだから感謝しなさいよね」

「はぁーっはぁーっ!てめぇ……」

「いいわぁ、その表情!ゾクゾクしちゃう」


 憎悪に燃える双眸を軽く受け流し、くねくねと身を捩らす。


「さて、お次は……っと。アナタのガラクタの中に良い物があったわ」


 またもポケットから出てきたのはギラリと鋭く光る刃物。


 悪漢の汚らしい髭面にゆっくり近付けて、頬をぺちぺちと叩き、軽く撫でつけてやると何本もの毛がはらはらと舞いながら落ちた。


「なかなか良い切れ味ね」

「それは……」


 仮面の男は親指を後方に向け、葉子を寝かせている方向を指す。


「さっきあちらから拝借させてもらったわ」

「そうかい……」


 塒にしているあの場所には普段いろいろな意味で便利に使っているナイフも置いてあった。

 今それが、敵意を持った見知らぬ者の手に渡り自分に向けられている。

 そして自分は奇怪な薬品を盛られて自慢の筋力を奪われ、さらに両手両足を鎖に繋がれまったく身動きが取れなくなっている。


 現状から鑑みるにこれから何をされるのか、出来が悪いと自覚している頭でも察しがついた。


 親などおらず物心ついた時から荒んだスラムで育ち、そこから大人になった現在まで好き勝手に欲望の向くまま暴力で強奪略奪凌辱、あらゆる犯罪行為に手を染めてきた報いを受ける時がついに来た、と。

 悪漢は今際の際を悟った。


「くっ、殺せ……」

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