第4話「気持ちイイ事が嫌いな人なんていないじゃない」

 声の主は、壁際の柱に接する開け放たれた窓の枠にすっくと立っていた。

 背後から浴びる赤や黄、緑などの原色のネオンの光が、妖しくすらりとしたシルエットをより一層黒く象っている。


「なんだ、てめえ!」


 辺り一帯、夜になるとほとんど人気が無くなる工業エリアの、さらにその外れに位置する廃ビル。

 そこでは全てが自由で、そして安全に出来た。法に縛られること無く、やりたいことをやってきた。


 自分で調達した獲物以外の生き物の気配と言えば極稀に、野良猫やネズミが入ってくるぐらいのものである。

 日の当たる道を歩けなくなった悪漢にはこのアジトは居心地の良さを感じさせ、ならず者なりの安心を得ていた。


 そんな自分だけの聖域ともいえるアジトに招かれざる客が来たる、という全くの想定外の事態。

 蹂躙を開始しようとしていた手を放し、闖入者に対して素早く向きを変えて身構える悪漢。


「楽しそうなコトしてるじゃない?アタシも一緒に混ぜて頂戴よ」


 妙な口調で柔らかい話し方をしているが、発せられる声の低さは間違いなく男性のものである。

 修羅場に乱入しておきながらそこに不釣り合いな程、呑気で余裕を孕んだ静かな声。

 

「誰だてめえ!どうやってここに、いつの間にそこに!」

「一度にいろいろ聞かれても困るわネ~」


 葉子から離れ、得体の知れない存在に足を向けて唾を飛ばしながらまくし立てる悪漢。

 それに対して細い窓枠に立ったまま器用にくねくねと動く影。足を滑らせれば落下の危険があるという心配など微塵も感じさせないまま彼は続けた。


「方法とかはどうでも良いじゃない。一つだけ言えるのは、アナタが今からやろうとしてた気持ちいい事がアタシもだーい好きってことよ」

「なんだよ、似た者同士だってか?だとしても邪魔してんじゃねえ出てけ!」

「つれないわねェ。楽しい事、気持ちいい事はみんなでやったほうがもっと盛り上がると思わない?一緒に楽しみましょうよ」


 語気を荒げ部屋中に大声を響かせる悪漢と、飄々として涼しげな妖しい影。


 極端に温度差がある二人の会話の間に風が生まれ、窓に立つシルエットの横を抜けていく。瞬間、シルエットが大きくはためいた。

 謎の影が纏うのは、頭をすっぽりと覆うフードが頭から足元まで繋がった一枚物の長いマント。


「……っ」


 葉子の見開かれた二つの瞳は眼前で展開される出来事を捉えてはいたが、その映像を伝えられる脳は何も処理していなかった。


 半狂乱の状態にさらに混乱を追加され、混迷を極めた現在の状況に葉子の小さく形のいい頭部に収められた脳は許容の範囲を完全に超えて、恐怖ただ一つの感情に全て支配されたままフリーズ。


 乗り込んで来たのが警官であれば一気に安心できたであろう。しかし現れたのは何者なのか正体不明で、目の前の悪漢よりも妖しさや不気味さはむしろ上とも言える得体のしれない存在。


 涙も枯れ、ただ茫然と固まっている葉子をよそに、男たちの会話は続いていた。


「わかったわかった、オメェも相当なスキモノなんだな」

「気持ちイイ事が嫌いな人なんていないじゃない」

「でも俺は美味い物は一人で全部独占したいタチなんでな」


 欲張りさんねェ、と体をくねらせたマントの男は窓枠から跳び上がり、ふわりと室内の床に着地する。

 音も無く領域に入ってくる姿に、悪漢は大きな足で床を踏み鳴らし警戒心をさらに強める。

 

「おい!入ってくんじゃねえ!俺が満足するまでたっぷりこいつで遊び尽くしたらその後はオメェにくれてやる。だから今はどっかに消えてろ!」

「アナタ、かなり精力有り余ってそうねェ。カラダも大きいし、かなり自信があるんじゃない?アタシにお鉢が回ってくるのはいつ頃になりそうかしら?」


 持ち上げるような口調に、悪漢の頬が少しばかり緩んだ。


「フン、前にオモチャにしたやつはかなり具合が良くてな。そいつの時はなかなか昂ぶりが止まらなくてな、夜に遊んでたと思ったら気がついたら明るくなってたわ!ハハハハハ!」

「タフだわぁ、スゴイ!」

「そいつは実に良かったんだが、もう声も出さなくなって目すらも動かなくなって何の反応も無くなっちまった。そうなるとつまんねえだろ?だから飽きて山に捨てちまった」


 得意げに、自慢するように戦慄させる過去を饒舌に語り両腕を広げて悦に入る悪漢に、両手を合わせて同調するような仕草を見せるマントの男。


 こいつはどんなかな、と悪漢は禍々しく顔を歪め葉子に目線を向ける。

 その視線はさながら極上のステーキを目の前に我を忘れる大食漢のようだ。その悪辣な眼光を浴びせられた葉子の全身は、電気を流されたように大きく痙攣した。


「でかい尻をふりふり振って歩いてるのを見たらよォ、一気に沸きあがっちまった。今日はコイツだなと決めたね」


 衣服は全身ズタズタに引き裂かれ下着が露出し、髪はバサバサに乱れ、見るも無残な状態の葉子をニヤニヤ眺めながら涎を垂らす悪漢。

 禍々しい気配に、固まっていた葉子の体が恐怖と寒気を思い出したかのようにまた震えだす。


 傍目から見てもわかる程に大きく震え、葉子の両手を縛り上げている鎖が腕につられて振動し、絶え間なく金属音を鳴らしていた。


「見ろよこいつを、ガタガタ震えてらぁ」

「そうね……、じっくりと楽しみたいわ」


 二人の男に睨まれた葉子はついに今際の際を悟り、下唇を噛んだ。

 これから自分はどうなってしまうのか、暴力で強引に汚され蹂躙される恐るべき想像が抑えたくても抑えきれず脳内で溢れてしまう。


「俺が楽しみ終わって飽きたらオメエにくれてやるから、また後で来い。明日の昼ぐらいがいいんじゃねえかぁ!?もうその時にゃ壊れてるかもしれねーけどな、ハハハハハ!」


 悪漢が葉子に手を伸ばそうとした矢先、


「……そんなに待てないわ」

「ぁ?」


 マントの男からぼそりと呟かれた言葉に、悪漢が聞き返そうと目線を戻そうとした刹那。強い風が過ぎ去り、伸び放題の髪と髭を大きく揺らした。

 次の瞬間、突然視界がぐるりと回転し背中と後頭部に大きな衝撃が走る。


「がぁ!」


 コンクリートの床に強かに巨体を打ち付け、激しく星が点滅する両目と全身を襲う激痛に意識が混濁する。


「なんだってんだ……」


 自らの身に何が起きたのかわからず、頭を押さえてもんどりうつ悪漢。

 全くの無防備な状態から真っ逆さまに頭部を床に打ちつけた痛みは相当である。体格には自信のある悪漢といえど、それは我慢できるものではない。

 そこに更なる異物感が襲い掛かる。


 人肌程度で生温く、粘度が有りぬるぬるとした液状の何かが全身を這い、服の隙間から肌にまとわりついてくる。


「な、なんだっ!?」

「ウフフ、アタシの特別調合のローションよ」


 影の男はマントの中から2Lサイズのペットボトルを両手に取り出し、中のどろりと糸を引く液体をどばどばと悪漢の巨体にぶちまける。


「やめろっ、なにしてんだ!気持ちわりぃ!…ぐっ、がはっ」


 手足が滑り、じたばたと床で暴れる悪漢を下に見ながら、全身に行き渡るようにペットボトルを動かす。

 顔にもしっかりと掛けられたローションが鼻や口に入り、激しくむせ返った。苦しそうに咳き込む顔面にさらにローションを追加で流し、その様子を見ながらマントの怪人は肩で笑っている。


「アタシが楽しみたいのはこの子じゃなくアナタなのよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る