第3話「うっかり出ちまいそうだ」
「誰かぁーーーっ!!」
「はっは、叫べ叫べ!そういう声がたまんねえんだよっ」
涙を溢れさせながら、一縷の望みに賭け僅かな可能性に縋ろうとする葉子と、相対するのは顔中を厭らしい笑みで埋め尽くし、不気味な双眸を爛々と輝かせる男。
至近距離で大声で喚き合う男と女の姿はその空間に異様な熱気を発していた。
「ここが何処か紹介してやろうか」
大きく瞳を見開き、息を呑む葉子に男は「ここは俺が好きなように使っているアジトだ」と続け、
「この建物は丸ごと廃ビルだからどんだけ大声出しても外にも誰にも聞こえねえんだよ!!ギャハハハ!」
「っ…………」
拠り所にしていた極々細い希望の糸を情け容赦なく断ち切る宣告に、大きく剥かれた葉子の瞳から生気が失われていき唇が力なく開く。
その様を見た男はさらに興奮し両腕を広げ、唾を飛ばし舌を出しながら一段と喧しくなった笑いを響かせる。
汚らしい体液の飛沫が掛かりそうになり、反射的に顔を逸らした葉子の顰めた横顔から白い首筋までが目に入り、男はゆっくりと舌舐めずり。
「……フン」
ひとしきり笑い終わった男の掌が、おもむろに葉子の胸元めがけて伸びていく。指の拡げられた巨大な手の平は葉子の顔の大きさの倍程もある。
迫りくる、自分の脚よりも太い男の腕が現実以上にスローモーションに見え、葉子はいよいよ戦慄し俯いた。恐怖で全身は縮こまり硬直し、体が勝手に歯を食いしばり声も出せない。
「さぁて、お楽しみの時間、だっ!」
熊手のような男の手が、震える葉子の薄桃色のブラウスの襟に掛かる。
直後、一気に引き下ろされ、葉子の首に感じたことの無い強い衝撃が。その拍子で声が出てしまう。
「あっ」
ブラウスの前を止めていた小さなボタン達が、抵抗も虚しく音を立てて凌辱され弾け飛んでいった。
無残に引き裂かれたブラウスの間から、薄暗い空間に映える白い肌と、胸を包む黒い下着とそれに包まれる椀型の膨らみが露わになる。
両手を上から吊るされ、衣服の前が大きくはだけて首から腹部までの肌と下着が丸見えになり、小刻みに震えながら俯いて表情を隠す女。その光景を前にした男の嗜虐心がさらに黒く燃え上がる。
葉子の髪を掴み、引っ張り上げて無理矢理顔を上げ、
「気ィ失ってて何の反応も無えのはつまんねえし味気ねえだろ?だからわざわざ起きるまでは何も手を出さねえで待ってたんだよ!」
おかげでもう爆発しそうだ、と男は顔を赤らめ恍惚として自らの唇に舌を這いまわせる。
その悍ましく、あまりにも気味の悪い表情に葉子は背骨に氷柱を突っ込まれたような錯覚を起こした。
男は破れたブラウスを両手で乱暴に剥き、舐め回すように下着姿の葉子の上半身を眺めて、
「結構エロいの付けてんなぁ?本当だったら今頃は彼氏の腕の中だった、ってかぁ?」
そんなつもりじゃないのに。悔しさと恥ずかしさで涙が溢れてくる。
決して男に見せる事を意識して選んだわけではない、あくまで今日の大事な仕事に対して自分に気合いを入れるために。
◇
OLスタイルのスーツ姿にまだ初々しさが残る葉子がはしゃぐ。その手には明細書が握られていた。
「明細見た!?梨紗っ。社会人のボーナスって凄いね!」
「見た見た、バイトしてた学生の頃とはステージが完全に違うね」
葉子とは高校からの付き合いで同じ会社に勤める親友の梨紗。
背は葉子より低いものの大人びた雰囲気を持ち、普段は落ち着いている彼女も今日は浮足立っていた。
お互い、大学を卒業して就職し、初めて貰ったいわゆる初任給の時にもその額の差に学生時代のアルバイトと社会人との違いを実感したが、今回は初めてのボーナスである。
仕事が終わってから二人で夜の飲食店街に繰り出し、小洒落た和風イタリアン料理店のオープンテラス席に落ち着いて、小さく乾杯した。
「葉子は何に遣うの?」
「これだけあれば何でも買えちゃうよ」
「何でもは無理でしょ」
「そうだな~、まずは髪が伸びて根本が黒くなってきたから新しい色を入れて~、今よりもうちょっと明るくしてみようかな。そうだっ毛先にパーマかけてみるのどうかなっ?」
大きな瞳をきらきらさせて語る葉子を見て、梨紗は微笑ましい気持ちになる。
「いいんじゃない」
「梨紗は何買うの?」
「私は……貯金」
「えー?つまんなくない?」
「いいのよ、今すぐ買いたい物とか特に無いし」
長い付き合いで気心知れた二人のお喋りと、食事が進む。
他愛もない事から仕事の愚痴まで会話は弾んだが、会社の上司が入店してきたのを目撃し、色々と都合が悪いという事で向こうに見つからないように退店し、時間も時間なのでお開きという事にした。
梨紗は恋人のアパートに向かうというのでそこで別れたが、葉子はまだ帰るにはもったいない気分だったので近くにあるショッピングモールをぶらぶらと物色。
そのうちに女性用下着専門のテナントがふと目につき、何の気なしに吸い込まれるように足が動いた。
店内には大人の女性をメインターゲットにしているであろう、極度に布の面積が少ない物や大事な所を隠す気も無いような布地が透けた商品がずらりと華やかに並んでいる。
買う気は無くともいくつか手に取ってみる。
(こんなの学生の頃だったら着けれないな、デザイン的にも……値段的にも)
際どい意匠はもとより、値段の書かれたタグを見てすぐに陳列に戻す。
そうして店内を流していると、奥に設置されている一体のマネキンに目を引かれた。
胸部と下腹部に揃いの黒のレース編みを纏い、一段高い台座に佇む姿が他のマネキンとは一線を画した存在感を放ち、葉子はしばらくの間、目を奪われた。
◇
「買っちゃったぁ……」
気が付くと、自宅の姿見の前で同じ下着を着けて立っていた。
どれくらいマネキンの前で呆けていたのか定かではないが、店員が声をかけてきていつの間にか試着をし、サイズを計測され、いつの間にか会計をしていた。
今までの人生でならとても下着には出せないような高額な支払いをしてしまった。
「……ふふ」
くねくねと身体を捻り、ポーズを取り自らの肢体を鑑賞する。初めて身に着ける高級ランジェリーに、得も言われぬ高揚感を得ていた。
魔が差したとしか言えない勢いで買ってしまったが、精緻な編み込みに滑らかで柔らかい上質な繊維、見れば見るほど高級品の雰囲気を放つ一品に後悔などは全く無かった。
「でもこれ、やっぱり透け過ぎじゃない……?こんなの……」
全体的に黒のレースで構成され、下着のシルエットを形どっているがその大部分は網目が大きく、地肌の薄桃色が透けて見えている。かろうじて前の局部に当たる部分だけが、網目が濃くなり光を通さない。
いつの日かこれをつけて意中の男性と食事や映画に行き、深い時間には夜景の見えるホテルでこの姿をその人の前でさらけ出す時が来るのだろうか。
想像したら途端に顔から火が出そうな程恥ずかしくなり、咄嗟にベッドに突っ伏した。
何の因果か、そういったセクシャルな状況は数年経った現在もまだ訪れていない。
恥ずかしいながらもデザインや着心地をいたく気に入った葉子はこの下着を勝負下着とし、異性関係だけでなく仕事等で重要なイベントがある日に気を引き締めるつもりで使うようになった。
◇
「そおら!」
男は乱暴に、強引にスカートを破り捨てんばかりの勢いで捲り上げる。我を忘れた獣のようにストッキングを引き、切り裂いて行く。
白く滑らかで、柔らかい太ももに男の伸びた爪が走り、鋭い痛みが電撃となって葉子に流れた。
「へへ、やっぱり上下揃いか」
ストッキングを破り取り、ついに葉子の下半身の下着が晒されてしまった。白い太ももと漆黒のレースのコントラストが映える。
その姿をじっくりと舐るように眺める男の半開きの口から涎が垂れ落ち、葉子の内腿を伝っていく。
男の下腹部には500mlのペットボトルを仕込んでいるかのような膨らみが隆起していた。
「マジでもう、ガッチガチでうっかり出ちまいそうだ!限界だっ」
男の大きく指を開いた手が黒いレースのショーツに伸びる。
その動きがさっき以上にスローモーションに見えた。
「やめてぇーーーーー!!!!」
ガタガタ。
直後、男の背後にそびえるガラクタの山から物音が。
「んっ?」
音のした方向を睨む男。
この部屋が有るビルは廃ビルである。人はもちろん、生き物の気配も通常、無い。
物音に警戒した男は原因を確かめようと立ち上がり歩き出す。
「ちっ、いいとこだってのに」
男が背を向け離れていくのを見た葉子は、一瞬の安堵ののちすぐさま両手を縛り上げる鎖を解くべく身を捩りだした。
こんな千載一遇のチャンスがくるなんて。何としても鎖を外して逃げなくてはならない。このままだと想像するのも恐ろしい、いや、想像を絶するであろう凌辱を受けることになる。
男の背中は積み上げられたガラクタの山の陰に消えていった。今、鎖の拘束を解いたならこの地獄の様な、いや、地獄そのものと言っていい状況から難なく脱せる。
薄暗い鎖を見上げ、観察する。
よく見ると鎖は単純にぐるぐる巻きにされているだけのようだ。これなら端緒を見つければ解けそうである。
必死に手首や指も動かし、絡まった鎖の糸口を見つけようとする。その時、
ガシャガシャ。
男が消えていった方向から乱暴な物音がしている。
先程の物音の原因を探しているのだろう。
そろそろ戻ってくるかもしれない。猶予は無い。
「あっ」
ついに鎖の端を見つけた葉子は、小さく声を漏らす。
あとはここから解いていけば、鎖を緩められる。
僅かな可能性が見えた次の瞬間、葉子の腕に激痛が走る。
葉子のすぐ側にガランガランと、大きな音を出しながら鉄パイプが弾む。
「逃げられると思ったか?残念、そこまでマヌケじゃねえよ」
「っ……!」
男の投げた鉄パイプが腕に直撃し、痛みで葉子の目に涙が滲む。
また足音が近づいてくる。先の物音に、特に問題は無しと判断したのだろうか。
「なんでもなかったみたいだし、お楽しみの再開だ」
俯く葉子の顎を持ち上げ、口の端を吊り上げ傲然と笑う男。
せめてもの抵抗に目を合わせまいと葉子が横を見ると、窓に大きな影が見えた。
さっきまではあんな影は無かった、間違いなく。
人の背丈程もある大きな影があれば、間違いなく印象に残っているはず。
「ねェ」
声が、空間に響いた。
「そのお楽しみにアタシも混ぜてくれない?」
張り上げているわけではない、それなのに不思議とその場に良く通る声に二人の耳が引き付けられた。
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